ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんによる、話題の作品をランダムに取り上げて時評する文化放談。今回は『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』について語り合います。

「エピソード7」より面白い!!


藤田 『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』は、スターウォーズサーガの映画シリーズの、ナンバリング作(1〜9予定)の、番外編という位置づけの作品です。実質上、エピソード3.5でしたね。

飯田 3.9くらいじゃない? アニメの『反乱者たち』のほうが3.5感あるよ。
 エピソード4の前日譚(本当に直前まで)。デス・スターの開発者ゲイレン・アーソの娘ジンの話。
 デス・スターの開発者になる科学者の娘が、反乱軍の暗殺やスパイ等々のダーティワークに手を染めている連中と共闘してデス・スターの設計図を帝国軍の基地から盗んで、みんなでリレーしてレイア姫に渡して全滅すると。レジスタンスの群像劇。

藤田 最初に、ぼくの好みから話すと、大絶賛です。SWシリーズは、大昔にファンムービーを作ったことがあるぐらいのファンですが、このSWは歴代の全ての中でもトップクラスの作品です。正伝の7より全然面白い。

飯田 7より攻めてたよね(僕は一応SWは1〜7まで円盤持っているのですが、「一応観ている」くらいでファン度は薄いです)。
 プリクエル(エピソード1〜3)でのジェダイのだめだめっぷりというか、みんな奢りすぎていて連携が悪かったのと比べると、今回の反乱軍はなんだかんだ揉めつつもちゃんと連携していて気持ちよかった。ジェダイより優秀なんじゃないかと……(異論は認める)。

『ローグ・ワン』には「ゴジラ精神」がある!?


藤田 監督は2014年に、日本の原発事故を題材に描くことで、核兵器のメタファーだった一作目のゴジラの精神をちゃんと継いだ『GODZILLA ゴジラ』を監督したギャレス・エドワーズ。彼のゴジラは、なんだかんだ言われていますが、ぼくは好きです。そして今作にも、ゴジラ精神があった。

飯田 ゴジラ精神って何?

藤田 超兵器を開発した科学者の苦悩の部分ですね。
 『ゴジラ』の芹沢博士は、超兵器のオキシジェン・デストロイヤーの作り方を残したら悪用されるっていう理由で、ゴジラと心中して設計図も無くしちゃうわけですよね。今回の物語の筋は、大量破壊兵器の設計に参加させられる科学者が、生きて研究を手伝いながらも、フェイルセーフになるような破壊の余地を内部に残し娘に託すという贖罪の仕方をしているので、似ていると思いましたよ。
 わざわざ、超兵器の描写がキノコ雲のようでしたし。そのほかにも、破壊描写の「怖さ」にもゴジラ精神を感じました。

飯田 いやあ、さすが『シン・ゴジラ論』という単著を書いた評論家は言うことが違うなあ(宣伝)。
そういえば「ドアが閉まって分断されたやつが死ぬ」っていうギャレゴジとほとんどおんなじシーンが終盤にあって笑ったw

藤田 ジャンジラでの原発事故のシーンを思わせる箇所は随所にありましたね

飯田 ギャレスだけで撮った最初のバージョンはディズニーが拒否してトニー・ギルロイが入ってだいぶ撮りなおしたみたいなので、どこまでギャレス作品として観るべきなのかわからないけども。

「汚れた」宇宙での戦い


藤田 今回のSWでいいのは、反乱軍が汚いことw 貧乏で薄汚れている連中ががんばって勝っている。帝国も、つるつるで綺麗な感じで、テクノロジーで圧倒的な力を行使するところ。これで、帝国の怖さがちゃんと表現できてたし、レジスタンスのアウェーで追い詰められた感じの壮絶さが出ていてよかったですね。
 全体的に、今作は「汚れ」が目立つ映画でした。

飯田 もともと「汚れた宇宙」を描いて当てたことがSWの画期だと言われていたけど、今作に出てくる連中の仕事の内容はハン・ソロよりよほどダーティだった。
 こういう感じでスピンオフやってくならどんどんつくってほしい。いろんな監督のSWが観たい。

藤田 SF映画と言えば、クリーンでつるつる(『2001年宇宙の旅』)と、汚れてざらざら(『エイリアン』『ブレードランナー』)の二極があるんですが、SWってそれの衝突を内在しているところが元々ありまして。今回は、「汚れて疲れた末端のストームトルーパー」が出てきたりして、そのレイヤーが多層化してて、絵とテーマの合致度が高くてよかったですね。彼はなかなか良かったですね、帝国も末端は疲れてるんだなって同情が湧いてw

飯田 兵器描写といえば惑星ジェダでの市街地の戦闘が今っぽいと思った。モスルとかでの戦闘を想起せざるをえなかったですね。もちろん、現実のほうがよほど過酷だけれども。
撃たれてやられたやつはちゃんと「撃たれて、痛みを感じて、死んだ」というのがわかるような演出になっていて。今までは「戦争」と言っても神話的なファンタジーの戦争だったけど、もう少しリアルな戦争になっていた。なので、ひとりひとりの死が重い。

藤田 CGの見本市だったエピソード1〜3も、嫌いではないんですが、こういう質感は失われていた。汚れと、対比される形で、異様にメタリックで無機質でクリーンなデススターがあるという描き方をしたのが本当によかった。
 ジェダの戦闘は痺れましたね。911以降の中東での戦争を思わせましたね。反乱軍も、孤児だったりして、実質的に少年兵のゲリラのようなもので、暗い。陰鬱な部分も積極的に描いたからこそのカタルシスだったと思います。反乱軍の主要メンバーが、疑心暗鬼になって、仲間も裏切り者と思うとか、現実にもよく見ますからねw

飯田 プリクエルはブルーシートをバックに撮っているから意外と空間の使い方が狭くるしく感じるところがあるし「会話のシーンでやたら座ってる」とかディスられがちだったけど、今回はデス・スターにしろジェダの描写にしろ、とにかくでかさを感じさせる撮り方をしていた。スケール感の演出が徹底していて、きもちよかった。それと決して「英雄」ではない小個人の集団が偉業を成し遂げるということのコントラスト。

藤田 でかいもののでかさ、怖いものの怖さをちゃんと撮れるって、すごい才能だと思う。デススターに光が当たって、少しずつ全貌が見えてくる描き方とか、細かいアイデアや技法の積み重ねで可能になっているんだと思う。ブルーレイが出たら、メイキングで確認したいです。

座頭市登場!?


飯田 ギャレスは『隠し砦の三悪人』を参考にしたらしいね。

藤田 いや、ジェダと言えば、生き残りのジェダイらしき盲人、あれは座頭市っぽかったw 宇宙座頭市って感じで、実にカッコよかった。元々SWは黒澤映画から着想得ているのは有名な話ですが、今回はちょっと斜めの遺伝子を持ってきたようなところに、驚いた

飯田 あいつはジェダイではなくてたんに信仰してるだけだから。キン肉マンにおけるジェロニモみたいなもの(超人じゃないけど超人のふりして戦ってる的な)。ローグ・ワンはSWなのにジェダイを出さない。ガンダムで言えばニュータイプじゃない連中の話。でもおもしろい。
 このスーパーヒーロー映画全盛の時代にジェダイじゃない普通の兵士たちの活躍を描いている。ヒーローじゃなくてもやれるんだよ! 組織にいてもコマで終わるわけじゃないんだよ! と。これはすばらしい。

藤田 7の冒頭で黒人の帝国兵が裏切りますよね。自分の良心に目覚めるというか。今回は、帝国と反乱軍の両方から「はぐれちゃった」人が、ことを成し遂げる――命令されて動くだけの機械や兵隊から脱することが重要だ、というメッセージを、ナンバリングから「はぐれ」てる作品で言うという構造になっていて、7よりもこっちの方が出来がいいもんだから、そのメッセージに説得力があってすごかった
 
飯田 今までのSWの「外に出たくてしかたがない人間の話」ではないんだよね。「意に沿わないことに従事している人間の話」という意味ではいっしょだけど、「組織に所属してダーティワークに手を染めている人間たちがついに組織の命令に背いて志と義に生きる話」だから全然印象が違う。SWを少年時代に観た人間にとってはもちろん「外に出たくてしかたない人間の話」はグッとくるわけだけど、大人になったらだいたいほとんどの人間は「組織で働く人間」になっているわけだから、こっちのほうがよりグッとくるよね。
 ただそれがSWらしくないかといえば、そういうことでもない。ギャレスは以前『ゴジラ』の一作目のマインドを引き継ぎつつハリウッドでゴジラをやったわけだけど、今回はSW一作目時点での「当時は何者でもなかったルークやソロ」のような人たちを描いたのかなと思う。彼らにも伝説になる前の時代があったことを、もうほとんど僕らは忘れているけど。
 ローグ・ワンでの「大義はあるのか?」&「大義があるなら何してもいいのか?」という問いは重い。人間、どのみちいつか死ぬわけだけど「何をして死ぬか」って大事だよなあと、まじめに考えてしまった。

名も残らない人たちの活躍が……


藤田 名前も残っていないような一般の兵士も含めた大勢の人たちお陰で、4以降の「希望」に繋がって、作戦の立案・実行も可能になったという話でもあるし、巨大プロジェクトの中で意に沿わない一生を送らざるを得ない人間が、どう抵抗するのかという割と現実的な話でもありましたね。
 自分の個人の生きたことが、何か未来につながると思うほうが、生きる意義を発生させやすいですからね。まったく何にも繋がらないで消えます、っていう酷薄な人生観だと、やる気なくなると思うw

飯田 観る側としてはもちろん「サーガを掘り下げてほしい、ちゃんとしたドラマを観たい」でも「ほかにもジェダイいた」的な物語はもうアニメでやってるし、あれ以上増やすと「おいおい」ってことになりかねない(なんのためにいったん無数に存在していたスピンオフの歴史をチャラにしたのかということになる)。その条件をクリアして、ちゃんとおもしろいところを選んだのがえらい。
「デス・スターでみんな死んじゃったから後世でもあんまり語られていないんだな」という想像がついて切ない。

藤田 座頭市のようなやつも、帝国軍にジェダイ教のようなものを徹底して弾圧されても、信仰を捨ててないで守っている。ああいう捨て石のような一人が、実は要石でもあるというのは、色々と励まされるメッセージかもしれませんね。宗教や文化、表現の問題として考えても。

飯田 デス・スターって名前からしてちょっとばかばかしい響きがあるけれども、土地ごとぶっ飛ばして記録も記憶も消し去るというのは現実世界の紛争地域(パレスチナとか)でも起こっているからね。ギャレスはさすがに『ゴジラ』を撮っただけあって、エンタメのなかに社会派的なモチーフを入れるのがうまい。SWでオルデランをぶっ壊されても、観る側である僕らはオルデランの人たちになんの思い入れもないわけじゃない。そんな状態だと星が破壊されても「あー、大変だ」くらいの重さしかなかった。でもローグ・ワンでデス・スターを使われるとめちゃくちゃショック。そこに生きる人たちに思い入れがある状態でぶっ壊されているから。

藤田 そうなんですよ、エピソード7で星が吹っ飛ぶよりも、今回の弱めの「試し撃ち」の方がずっと恐ろしく、ぞっとする、迫力のあるものに描いてあるんですよ。岩のテクスチャーとか音楽とか、煙の動きとか諸々で迫力が出ているのだと思いますけど。実際の死傷者の数では、エピソード7の方が多いはずなのに。
 この兵器はマジで壊さないとヤバイ感がちゃんと出ていた。エピソード7はそこに失敗していた。ローグ・ワンだって、「どうせ成功するんでしょ、ハイハイ」っていう結末は分かってるんだけど、それでもスリリングに見れる。
 さらに、SW映画であんな結末来るとは思わなかったら、驚いてしまった。またゴジラを引用するならば、芹沢博士とゴジラがオキシジェンデストロイヤーで共に死んでいくときのような、心中めいたロマンティシズム(本多監督が初代ゴジラはその側面あると言ってます)がありましたね。

飯田 スカイウォーカー家は自己犠牲の精神があんまりないからな……

『スター・ウォーズ』世界をどこまで拡張できるか?


飯田 しかし、現実世界で死んだ俳優が作中ではCGで蘇っているのに(レイア姫は亡くなる前から代役+CGだったけども)、新しく出て来た俳優が演じるキャラクターはみんな死ぬのが、皮肉というか変な感覚。

藤田 死なないと、EP4〜6のときに何してたんだよ、ってなっちゃうってのはあるんですけどね。EP4〜6に出てきた人物を主役級に据える手もあったのに、デス・スターの設計者の父娘を主役級に据えるってのは、なかなかよかったですね。
 悪いプロジェクトXみたいでw

飯田 みんな死んだことにすればいろいろできるんだなあの世界、とは思った。

藤田 藤子・F・不二雄さんの短編に出てくる作中作で「スターウォーク」ってのがあって、帝国軍の修理係を主役にしてるのがあるんだけどw そういう末端を描く可能性はまだまだある気がしましたw

飯田 デス・スターの開発を推進しているクレニックがそれをダシに皇帝に取り入ろうとしているのとか、組織内の権力闘争が帝国にも反乱軍にもお互いありつつっていうのもおもしろかったし、クレニックみたいな帝国軍側の話も観たい。ダースベイダーに気を遣う『トネガワ』みたいな作品とかw トルーパーの採用試験とか描いて「見分けがつかん! バカ!」「すでにいるメンバーと名前が似すぎているのであいつは不採用!」ってw

藤田 エピソード8と9でも、癇癪もちのカイロ・レンに振り回される周りの部下の話は展開できそう。カイロ・レンのパワハラでニューオーダー軍がどんどん離職してってつぶれる話かもしれないw

飯田 ダースベイダーでもまったく同じテーマで作ってパワハラサーガを……w

藤田 真面目に言うと、宇宙を舞台にしたスペースオペラ作品として、SWのサーガへの愛着を抜きにしても、非常によくできた作品だったと思います。はじめてのSWとしてもいいと思います。これを観てから、EP4を観ればいいです。本作を観る予備知識はあんまりいらない。
 繰り返しますが、歴代SW映画の中で、ひょっとすると最高傑作に近い面白さだと思います。EP4や5の歴史的な意義は超えられないでしょうけど、映画としての出来では、かなりの上位に入ることは間違いがないと思います。
 これを、番外編の、はぐれ映画が実現したことの意義は大きい。勇敢な作品です。