MRIの罠『その〈脳科学〉にご用心』

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fMRIに異変?


先般、脳の活動状態を可視化するfMRI(機能的共鳴機能画像法)の複数のソフトウェアの一部にバグがある可能性が見つかり、過去15年間に取られた4万件近い研究結果に、誤りがある可能性が出てきた、というニュースが配信された。
(Forbes Japan、「脳に関する研究結果に誤りの可能性? fMRIのソフトウェアにバグを発見 欠陥はすでに修正も残る不安」[2016年7月10日12:00配信])

そうなると最悪のばあい、間違った治療法が導入されてきた可能性がでてくる。
脳神経科学の分野で、今後の研究の方針転換が求められる可能性もある。

それはそれとして、fMRIの脳画像は(それがもし「正確」なものであったとしても)、私たちの心や行動を「説明」するものとして、あまりに安易に用いられすぎる傾向がないだろうか?
このことにたいして、ほかでもない研究の現場から強く警鐘を鳴らす本が、2013年にすでに刊行されている。

精神科医と心理学者のコラボレーション


精神科医サリー・サテル(イェール大学医学部講師)と心理学者スコット・O・リリエンフェルド(エモリー大学心理学部教授)の共著『その〈脳科学〉にご用心 脳画像で心はわかるのか』(柴田裕之[やすし]訳、紀伊國屋書店)がそれだ。
日本語訳は昨2015年に刊行された。


近年、精神科医や脳神経科学者が、心理学者とコラボレーションで一般向けの書籍を書くというケースが、英語圏でも日本でも増えてきた。
こういったコラボレーションを可能にしたのが、fMRIだったりもするわけで、このあたりはなかなか複雑な問題だ。

「ゲーム脳」的な、あまりに「ゲーム脳」的な?


本書の第1章で、以下のことがはっきりと言い渡される。

〈「脳スキャン画像から◯◯判明」と謳う新聞の見出しを見にしたら、いつも読者は健全な懐疑心を抱くべきだ。〔…〕脳スキャン画像から、Xという構造がYという機能を「生じさせる」と研究者が結論できることは、まずない〉

たとえば、暴力的な表現のあるデジタルゲームプレイ中に、攻撃的な傾向と関連した脳領域が活動を増す人がいる、という結果が出たとしても、暴力的なデジタルゲームが暴力的な行動の原因になるという結論は出ない。

運動生理学者・森昭雄・日本大学文理学部教授の、fMRIではなく独自の脳波計による実験をもとにした『ゲーム脳の恐怖』にたいしては、すでに多くの批判が出ている。同じような安易な「デジタルゲーム悪者論」が米国にも起こったのだろう。


また本書によれば、研究者たちが偏った結果のサンプルから結論を引き出す傾向があることも指摘されているという。

マーケティング・依存症治療・裁判


〈ニューロマーケティング〉を、従来の行動経済学のアップデート版とみなす業界もあるようだが、そのなかには、有用なものもあれば、あやしげな疑似科学まがいのものもあるという。

また、〈神経中心主義的〉な見かたでは、薬物依存症は脳の報酬回路が高度に活性化した一種の病気であって、そこに落ち込んだ当事者である患者にはどうしようもないことだ、という恐ろしい見かたになってしまう。
しかし、米国立薬物研究所の研究では、中毒者には自己制御能力があり、この自己制御能力をうまく動機づけることができれば、再び薬物に手を出す可能性を下げることができる。薬物中毒は認知症とはちがうのだ。

刑事裁判においてもfMRIの脳画像が証拠物件として提出される現在、ひとりひとりに脳科学リテラシー(それは哲学リテラシーでもある)が要求されることがわかる。
本書は読者に、誤った「脳決定論」から脱し、人間としての「自由意志」と「責任」を再確認することをうながす。

1990年代にfMRIを使った研究が盛んになると、米国では徐々に、のちには急速な勢いで、その実験データが経済や司法の分野に応用されることになった。その現状がいかに進行しているかを知ることができるのも、本書のいいところだ。

本書で個人的に興味深かったのは、『ワンダーウーマン』の原作者ウィリアム・モウルトン・マーストン(チャールズ・モウルトン)がハーヴァード大学の学生だった時期に、現代のポリグラフ(嘘発見機)のプロトタイプとなる装置を発明したというエピソード。
DCコミックスに詳しい人はご存知のように、
〈ワンダーウーマンは腰に魔法の投げ縄をつけており、このゴムホースのマジック版で締め上げられると、悪漢たちは真実を告白する羽目になる〉


(千野帽子)