「昭和元禄落語心中」11話。これは見事な「野ざらし」

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「助六さん。後生です。八雲を継いで落語をなさい」

「昭和元禄落語心中」、前回の11話は姿を消した助六とみよ吉を追って旅に出た有楽亭菊比古が、二人の間の子である小夏に会う場面で終わっていた。その小夏から家を聞き出し、ついに助六との再会を果たす。
助六の背中をずっと追い続けてきた菊比古は自分のために落語をやるのだと割り切った。対する助六は、客がいなければ落語などできたものではないという考えの持ち主だ。にもかかわらず、今は客の顔が見えないのだという。その助六に対して、他の誰でもなく自分、有楽亭菊比古のためにもう一度落語をやれ、と菊比古は迫った。両者の落語観、そして芸に対して自信を喪った者と逆に貪欲にそれを極めようと決意した者との違いが浮き彫りにされた、いい場面である。


雲田はるこの原作は今回で4巻分が終了。どうやらシーズン1は、5巻半ば、第2部「八雲と助六編」の終わりまでは続くようである。

今回の噺


第2話、七代目八雲に2人の少年が入門を願った日に初太郎(のちの助六)が最初に口演したのも「野ざらし」だった。第10話で菊比古が小夏に出会ったとき、彼女は父・助六から教わった噺を蕎麦屋で披露していた。その噺も「野ざらし」である。
そして今回、小夏にせがまれた菊比古はうろ覚えで怪しい「野ざらし」を語り始める。案の定つっかえると、割って入った助六が後を続ける。途中からはまるで夫婦漫才のように2人の合作となり、他にはない素敵な「野ざらし」が出来上がった。
以前も書いたが「野ざらし」は昭和の落語家・三代目春風亭柳好の得意根多であった。半ばで入るサイサイ節などを歌い調子で演じたのである。その賑やかな部分を助六、噺が本来持つ怪談の要素と、妖艶な幽霊のキャラクターを菊比古が分担することで、水と油が乳化して1つになるように、バラバラな要素がまとまったのだった。「昭和元禄落語心中」きっての名演である。

寄席という場所


シーズン1も終わりに近づいてきたので、これまで触れなかったことも書いておきたい。

現在東京には落語の定席が5つある。上野・鈴本演芸場、浅草演芸ホール、新宿末廣亭、池袋演芸場、そして唯一の公的施設である国立演芸場だ。このほかに二ツ目による落語会を平日はほぼ毎日行っている神田連雀亭など、常設に近い会場がさらに両手に余るほどある。場だけを見れば、20年前からすれば考えられないほどに恵まれている。番組を観て気になった人が1人でも多く足を運んで落語を聴いてもらえれば幸いである。

ちなみに、東京に寄席がもっとも多かったのは大正時代だったと思われる。そのころの状況を豊かに伝えのが、六代目三遊亭圓生の『寄席切絵図』だ。
圓生はわずか6歳にして義太夫の豊竹豆仮名太夫として寄席に出演、さらに10歳で落語家に転身して橘家圓童を名乗った。明治の末から昭和にかけて寄席芸人として生きた人であり、『寄席切絵図』はその記憶を現在の地図と照らし合わせるような形で綴った1冊だ。浅草、入谷、神田といった現在も定席や落語を聴ける場所がある土地だけではなく、京橋、芝、赤坂など、そんなイメージが無くなってしまった街にもかつては寄席があったことに驚かされる。地域寄席や個人主催の落語会が増えたことで、状況はそれに近づきつつあるわけだ。

さらに興味深いのは戦前の寄席の構造が克明に描写されていることである。アニメ「昭和元禄落語心中」に登場する寄席は、現在の新宿末廣亭をモデルにしている。末廣亭は戦前からある寄席だが、戦争で焼け、1946年に現在の場所に再建された。木造建築で一部桟敷席に畳敷きもあるが、椅子席が基本になっている。
『寄席切絵図』を読むと、戦前の寄席は畳敷きが主だったことがわかる。一階が経営者宅で二階に客席、という構造も多かったが、その階段は梯子であったりした。
以下は1970年に閉場されるまで東京の演芸の中心であった人形町末広の描写である。ここもやはり畳敷きだった。

──入口の左手にテケツ(入場券売場)があって、はいると土間になっていて、右手のほうが下足をあずかるところになっている。(中略)なくなるまでずっと、客席は畳のままでした。それで、左右の両側に、二階桟敷というんではなく、二尺ほど高くなった桟敷があって、そのうしろ側は戸があって、更にその外が両側とも廊下になっていました。(後略)

地方寄席はまだまだ可能性がある


東京の寄席は空襲でも焼かれたが、それ以前に関東大震災でも甚大な被害を受けた。有名どころの寄席の多くも焼けてしまい、そのために落語家たちも仕事を失った。名古屋を拠点として活動していた雷門福助によれば、彼が東京から移住したのもやはり、震災の影響で仕事が減少したためだという。地方のほうがむしろ食える時代だったのだ。

──たまに寄席へ出たところで、一軒か二軒。七十人か八十人ぐらいしか客がこないんですからね。七厘五毛の割りィもらったって三十銭ぐらいなもんでしょ。商売になんかなっりゃァしません。
 ところが名古屋へ行ってみると、一日の給金が二円!! 一カ月で六十円になったン。しかも別に”乗金”として十円札をくれたんです。こっちァうれしくて飛び上がりましたね。(後略)(川戸貞吉編『初代福助楽屋話』冬青社)

前述の『寄席切絵図』にも東京だけではなく、圓生がかつて巡業で訪れた地方都市、静岡、博多、金沢、高崎などの寄席の様子が活写されている。
第10話で、助六を探しに旅に出た菊比古が街の人に、このへんに落語を聴ける場所はないか、と訊ねる場面があった。地方の繁華街などにそうした演芸を見せる小屋が設けられていた時代も、かつては存在したのだろう。
現在では落語芸術協会が草津温泉に若手落語家を派遣し、毎日温泉寄席を開いている。そうした場所がもっと増えることを期待したい。「昭和元禄落語心中」ゆかりの噺を持って落語家が各都市を回り、その土地に地方寄席の芽が吹くのを助けるのもいい試みだと思うのだが。

さて、今夜放送の第12回では、ついに助六が高座に復帰し、菊比古との兄弟会を実現させる。その模様と、みよ吉を交えた関係の行きつく先が描かれるはずだ。最終回まであと2話。どうかお見逃しなく。
(杉江松恋)

おまけ


本稿筆者の杉江松恋も、落語会をお手伝いさせていただいております。
よろしければお立ちよりください。場所はすべて新宿5丁目・CAFE LIVE WIRE。
3/31(火)午後6時半(開演午後7時)「笑福亭羽光単独ライブ3〜私小説落語家族編」
4/8(金)午後6時半(開演午後7時)「立川談慶独演会 談慶の意見だ#10」
4/17(日)時間 午前0時半(開演午前1時)「立川談四楼独演会 オールナイトで談四楼#14」
4/20(水)午後6時半(開演午後7時)「ぼくらのあにさんが帰ってきた! 瀧川鯉八独演会#2」