映画「オデッセイ」の日本版タイトルは「火星の人」にするべきだったのか

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大ヒット公開中の映画「オデッセイ」。火星に取り残されてしまった宇宙飛行士ワトニーが、絶体絶命の状況下にもめげずに科学の力で生き残り、彼の生存を知ったNASAの人々も科学の力で彼を地球に連れ戻そうと奮闘する物語だ。見終わったあと、純粋に「かがくのちからって、すげー!」と思わせてくれる。
原作『The Martian』はアメリカで大ヒット。日本でも2014年に早川書房から『火星の人』という邦題で出版され、読者から愛されている。エキレビ!でも原作ファンのレビューが公開された


「オデッセイ」はダメなタイトル?


公開前、SNS上でもっとも注目を集めていたのはその日本版タイトルだ。原作ファンが予想していたタイトルは本命:火星の人、対抗:The Martian(及びそのカタカナ表現)といったところ。
ところがタイトルは「オデッセイ」! 原作にはかけらもないこのタイトルをセレクトしたことに、原作ファンの多くは不満を持った。
では、「オデッセイ」という題は、いわゆる「ダメ邦題」だったのだろうか?

そもそも、「オデッセイ」とはどういう意味のタイトルなのか。その答えはパンフレットに書いてある。少し長くなるが引用しよう。

〈挿入歌としてデヴィッド・ボウイの「スターマン」がフルに使われている。リドリー・スコットとデヴィッド・ボウイといえば、じつはリドリー演出のアイスクリームのCMに無名時代のデヴィッドが出たことがあって、22歳のデヴィッドは「スペース・オディティ」のヒットで将来が開ける直前だった。
スタンリー・キューブリックとアーサー・C・クラークは、時間と空間のかなたまで行って帰ってくる旅の物語を、ホメロスの「オデュッセイア」にならって『2001年宇宙の旅』(2001:A SPACE ODYSSEY/宇宙のオデュッセイア)と名づけた。デヴィッド・ボウイはそれをもじって「宇宙のオディティ(特異な人)」を書いた。本作の邦題『オデッセイ』も、火星に行って帰ってくる旅の物語だからこそ選ばれたのだろう〉

「オデッセイ」は、「行きて帰りし物語」を表す言葉。そして過去の偉大なSF映画にも大スターにも目を向けた言葉でもある。そうやって考えると、そう悪くないのではないだろうか?

『火星の人』にはどうしてならない?


とはいえ、やはり熱心な原作ファンの多くは「『火星の人』がよかった」と言うだろう。確かに『火星の人』は名題なのは間違いない。しかしいくつかの点で、『火星の人』が選ばれなかった理由も察せられる。

1.日本で公開されてヒットしている映画は、ほとんどがカタカナタイトルである
副題的な部分にひらがなと漢字が使われているのを除くと(ハリーポッターシリーズなども含む)、歴代洋画興行収入ランキング100のうち、カタカナオンリーではないタイトルは「ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女(46位)」「宇宙戦争(58位)」「硫黄島からの手紙(78位)」「カールじいさんの空飛ぶ家(82位)」「オペラ座の怪人(94位)」だけ。
いわゆる大作映画(もしくは大作映画として配給したい映画)ではカタカナでタイトルをつける傾向があることが見て取れる。

2.『火星の人』は知らない人には火星人ものに見える
「火星人が出てくる話なのかな?」「最後まで見たけど火星人が出てこなかった!」という人が出てくること、つまり宇宙人とのコンタクトものだと誤解されることが予想できる。

3.『火星の人』という邦題がそこまで日本で知名度がない
『The Martian』は大ヒット作品だが、日本における『火星の人』は(もちろんSF作品の中では高く評価され、支持されているが)一般的に知られているわけではない。
こうした知名度に関する国内外での差があると、日本版タイトルは変わりやすい。たとえばル・カレの『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は本国では有名作品であり、またマザーグースのもじりになっているので、海外の読者にとっては馴染み深いタイトルである。
では日本国内ではどうだろう? 翻訳は同タイトルだが、映画が公開されたときは「裏切りのサーカス」という名前になった。これは作品の知名度や、マザーグースに対する感覚の違いが原因だろう(なお、このタイトルを受けて、知人の原作ファンは「めっちゃショックだけど受け入れざるをえない」とぼやいていた……)。

そしてもっと言えば、『The Martian』→『火星の人』も、いくつかのニュアンスを拾いきれていない難しさがある。これについてもパンフレットで若干指摘されている。
〈原題を「The Martian(ザ・マーシャン)」というこの小説は、単に「火星人」と訳したら「火星にたった一人でいる人」という含意が伝わらないので、「火星の人」となり〉
日本語では「The」のニュアンスは訳しにくい。「火星の人」も、原作を読み終われば「本当にいいタイトルだ……!」と思うが、初見でそれを察するのはなかなか難しい。
それっぽく訳すとしたら、SNSにおける宣伝で使われていた表現「火星ひとりぼっち」が近いだろうか。でも「火星ひとりぼっち」だと、今度は「The Martian」のさっぱりとしたニュアンスがとれてしまう……なんて完成度の高いタイトルなんだ!


『火星の人』にはなく、「オデッセイ」にあるもの


「オデッセイ」という題はいちばんわかりやすい例だが、原作ファンは原作ファンであるので、映画や映画の宣伝の物足りないところを指摘しがちだ。映画で独自に追加された部分に関しても、賛否は分かれている。
けれど、かなり終盤のシーン、ワトニーが語るこの台詞は、映画で追加されたものの中でも、とりわけ優れていると思う。

「ひとつ問題を解決したら、次の問題を解決する(You solve one problem...then you solve the next one)。
そうしたら、また次の問題を(And then the next)。
そしてもし十分に問題を解決することができたら(And if you solve enough problems)、
家に帰ることができるんだ(you get to come home)」

「オデッセイ」(『火星の人』)は科学の素晴らしさや面白さを描いた作品だが、科学にほとんど興味がなくても惹きつけられるのは、目の前に現れた問題を、ワトニーがひとつひとつ処理して前に進んでいくから。原作の中には「問題」という単語が204件出てくるが、それを全部対処できたから、ワトニーは地球に帰ってこれた。作品全部をまとめるいい台詞だ。
レベルの低い感想かもしれないが、私はこの映画を見終わって「どんなに仕事が溜まっていても、ひとつずつ終わらせていけばいつか全部終わるんだ……!」と感動した。
ワトニーに比べたら全然マシ、頑張っていこう! 「オデッセイ」は、そんな「お仕事映画」でもある。

『火星の人』(早川書房) Kindle版 新版(文庫上巻)

(青柳美帆子)