大沢樹生が元妻・喜多嶋舞との息子・A君を相手に起こした『親子関係不存在』確認の裁判。
《原告と被告との間に親子関係が存在しないことを確認する》
 大沢とA君は父子ではないという判決が下され、大沢の“勝訴”となった。大沢が自分の息子にDNA鑑定を施し、その結果、自分の子ではなかったという衝撃的なスクープを『週刊女性』が報じたのは’13年の年末。
 そもそも、大沢がA君のDNA鑑定をしようと思ったきっかけは何だったのか。大沢と喜多嶋は’96年に結婚。当時、喜多嶋のお腹には3か月になるA君がいた。翌年にA君が誕生したが、’05年に離婚。
 当初、A君の親権は喜多嶋にあったが、A君が通う学校を転校させたくないという理由で、A君は大沢の家に同居し、家を出た喜多嶋がときおりA君に会いに行くという生活を送っていた。
 しかし、’07年に喜多嶋が大手出版社勤務の男性と再婚したことを機に、親権も大沢に移ることに。一方、大沢も’08年に15歳年下の元モデル女性と再婚。3人での生活が続いていた。
 ’12年5月に大沢と妻の間にできた子どもが死産。そのころから大沢とA君の関係がギクシャクしてくる。
 同年10月、当時15歳だったA君が『週刊文春』で《僕はパパに殺されます》と、大沢や喜多嶋から虐待されていたことを告白。これに対し大沢と喜多嶋は虐待を否定。大沢はA君に心の病があることを明かした。
「“死産”とA君の“心の病”が自分のDNAに問題があるのでは、と考えた大沢がその鑑定に踏み切ったということです」(大沢の知人)
 DNA鑑定の結果、A君は大沢の子どもでないことが判明。大沢と喜多嶋は弁護士を間に入れて話し合い、親権は再び喜多嶋に移った。
 しかしA君と喜多嶋は大沢の主張を認めなかった。すると大沢は、’13年夏に喜多嶋とA君に対し親子関係不存在確認の調停を申し立てたが、その直前に、喜多嶋の実父母である喜多嶋修氏と内藤洋子がA君と養子縁組をする。
 大沢は親権者を修氏と洋子に変更して調停手続きを進めたが、修氏らはA君の精神的不安定などを理由に調停を拒否し、不成立となった。
 そして前述の『週刊女性』が発売された直後、今度はA君が『女性自身』で、大沢が留守の間に検査結果の紙を見たとし、こう反論。
《そこには、僕とパパは99・9%親子、たしかにそう書いてありました》
 今回、『週刊女性』が改めて裁判記録を閲覧すると、そこには資料として提出されたDNA鑑定の書類が。ハッキリと《総合父性指数 0》《父性確率 0%》と書いてあることが確認できた。
 調停が成立しなかったために、改めて大沢が裁判に訴えたわけだ。
「当時交わされた合意書に、《親子関係不存在確認の調停をAが18歳になるまで行わないと確約する》という項目があります」(スポーツ紙記者)
 A君が18歳を過ぎても喜多嶋側が調停に応じず、裁判となったわけだが、今回、大沢が勝訴した判決結果を見て、『弁護士法人・響』代表の西川研一弁護士は、こう語る。
「DNA鑑定の結果の信用性が肯定されたことが勝訴の決定的な要因でしょう」
 これで大沢の主張が認められ、17歳まで育てたA君は大沢の子どもではなかったというわけだ。A君は大沢との間に生まれた子と一貫して主張していた喜多嶋は、判決に納得していないとも伝えられる。
 しかし大沢がここまでA君との親子関係をはっきりさせようと思った本当の理由とは?
「決して慰謝料や謝罪を求めたいからではありません」(前出・知人)
 それはすべて、昨年生まれた娘のためだという。
「このままでは大沢に何かあったとき、血のつながりがないA君にも財産分与がなされ、娘の取り分が半分になってしまう。それを避けるためです」(前出・知人)