トリプルスリー達成に期待がかかる柳田悠岐(左)と山田哲人(右)[BASEBALLKING]

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◆ ヤクルト・山田がついに30盗塁に到達!

 9月6日、山田哲人(ヤクルト)が広島戦で30盗塁に到達した。現在の成績は打率.333、33本塁打、30盗塁。終盤戦でよほどの大スランプに陥り打率を大きく下げない限り、2002年の松井稼頭央(現楽天/当時西武)以来、13年ぶりのトリプルスリー達成は間違いない。柳田悠岐(ソフトバンク)も、打率.360、29本塁打、28盗塁と、こちらもトリプルスリー達成をほぼ手中にしていると見ていい。

トリプルスリーがいかにハードルの高い記録かということは野球ファンには広く知られている。長いプロ野球の歴史において、達成者はわずかに8人。長打力を備えたアベレージヒッターであり、さらに走力まで持ち合わせた“偉人”たちを振り返ってみる。

・岩本義行(1950年/松竹)

打率.319、39本塁打、34盗塁

 戦前に1試合3本塁打を記録した唯一の選手であり、元祖“神主打法”でも知られたスラッガー。2リーグ制となった1950年には、開幕2試合目の中日戦でセ・リーグ第1号本塁打を記録した。3番・小鶴誠、5番・大岡虎雄とクリーンアップを組み、“水爆打線”と呼ばれ恐れられた強力打線を構成。史上初のトリプルスリーを達成し、初代セ・リーグ優勝に大きく貢献。38歳での偉業達成であった。

・別当薫(1950年/毎日)

打率.335、43本塁打、34盗塁

 1947年に大阪に入団すると、1年目の1948年から首位打者争いを演じ、翌1949年には“ダイナマイト打線”の一翼を担う。2リーグ制に移行した1950年には毎日に移籍し、岩本義行とともに史上初のトリプルスリーを達成。この年は本塁打、打点など多くの打撃部門でリーグ最高記録をマークし、パ・リーグ初代MVPを獲得。また、同年の第1回日本シリーズでも打率.500を記録し、シリーズ初代MVPに選出された。

・中西太(1953年/西鉄)

打率.314、36本塁打、36盗塁

 プロ入り前から“怪童”と呼ばれ、数々の伝説を残しているスラッガー。ずんぐりした体形ながら俊足でも知られ、プロ初本塁打はランニングホームランだった。プロ1年目から活躍し、新人王に輝くと、2年目にはトリプルスリーを達成。20歳での達成は今なお史上最年少記録である。その後、首位打者2回、本塁打王5回、打点王3回など、数多くのタイトルを獲得している。

・簑田浩二(1983年/阪急)

打率.312、32本塁打、35盗塁

 3年目の1978年から2番・左翼手のレギュラーに定着すると、61盗塁を記録。早くから足で魅せる選手として知られ、さらには同年から8年連続でダイヤモンドグラブ賞を獲得するなど、まさに万能型選手の典型。1980年には31本塁打、39盗塁、31犠打の、史上唯一の「30-30-30」を記録。1983年、3番打者を務めながら35盗塁をマーク。30年ぶりのトリプルスリー達成により、同記録が脚光を浴びるきっかけを作った。

・秋山幸二(1989年/西武)

打率.301、31本塁打、31盗塁

 ド派手な「バック宙ホームイン」パフォーマンスでも知られたように、図抜けた身体能力は長いプロ野球の歴史の中でもトップクラス。1986年から1994年にかけ、9年間で8度のリーグ優勝を果たした西武黄金期を代表する選手のひとりだ。4年目の1984年から三塁手のレギュラーに定着。1989年、自身初の打率3割を記録すると同時に、史上5人目のトリプルスリー達成者となる。意外なことに、秋山の打率3割到達は同年と1996年の二度のみ。

・野村謙二郎(1995年/広島)

打率.315、32本塁打、30盗塁

 2年目の1990年に遊撃手のレギュラーをつかむと、球宴にも出場し、盗塁王を獲得するなど、華々しく活躍。翌1991年には全試合に出場。最多安打を記録するとともに、2年連続の盗塁王を獲得。広島最後のリーグ優勝の原動力となった。1994年から7シーズンにわたり主将を務め、チームリーダーとしても奮闘。1995年は、腰痛を抱えながらも、10月6日のヤクルト戦で30盗塁に到達し、トリプルスリーを記録。

・金本知憲(2000年/広島)

打率.315、30本塁打、30盗塁

 入団直後は「足を生かせ」とコーチから指示されるほどパワー不足だったが、肉体改造によりマッチョな中軸打者へと変貌。4年目の1995年には開幕スタメンの座をつかみ、主に5番打者として24本塁打をマーク。2000年にはシーズン中盤から4番に座り、シーズン最終戦で30号本塁打を記録。見事、トリプルスリーを達成した。

・松井稼頭央(2002年/西武)

打率.332、36本塁打、33盗塁

 40歳の大台に乗る今季も、ここまで打率.264、10本塁打、13盗塁と奮闘中。万能型選手の代表格だが、入団当初の走塁技術は素人同然だったという。1年目の1994年にスイッチヒッターに転向し、翌1995年には69試合に出場。走塁技術も飛躍的に改善され、21盗塁、盗塁成功率.955を記録。以降、遊撃手のレギュラーに定着し、2002年、新ストライクゾーンの導入でリーグ全体の打撃成績が低調となる中、最多安打のタイトルを獲得するとともに、スイッチヒッターとして初のトリプルスリーを達成した。

 ペナントの行方とともに、個人記録にも注目が集まるシーズン終盤。同シーズンに複数のトリプルスリー達成者が現れるとなれば、実に65年ぶりの大事件だ。間もなく、プロ野球ファンは歴史的瞬間を見届けることになる。

文=清家茂樹(せいけ・しげき)