■デストラーデ インタビュー(後編)

 久しぶりに来日を果たした元西武のオレステス・デストラーデ。前編では90年代の西武黄金時代についての話を中心に聞いたが、今回は日本人メジャーリーガーを中心に、これからの日本野球について熱く語ってもらった。

―― デストラーデさんは90年から3年間、日本でプレイし、93年にメジャーリーグに復帰しました。その数年前に、セシル・フィルダーやビル・ガリクソン、ウォーレン・クロマティが日本球界を経て、メジャーリーグで活躍しました。日本人にとって、日本と大リーグとの距離が縮まった印象があります。

「私は、メジャーリーグと日本の一軍との距離は遠くに感じていなかったよ。結局、日本の選手やファンが、大リーグを精神的な部分(マインド)で遠いものと考えていただけじゃないかな。実際、アキ(秋山幸二)の身体能力はメジャーリーグでオールスターに出場する選手ぐらい高かった。ラルフ・ブライアントやブーマー・ウェルズ、マイク・ディアスといったほとんどの外国人選手が『アキは間違いなくメジャーで通用する』と話していたからね。キヨ(清原和博)のパワーもメジャーで通用しただろうし、渡辺久信も素晴らしい投手だった。ただ......アキが実際にメジャーリーグに行っていたら、成功するのは難しかったと思うんだ。技術ではなく、マインドの部分での準備ができていなかったからね」

―― 95年に野茂英雄さんがドジャースと契約し、衝撃を与えるほどの活躍を見せてくれました。

「野茂さんの成功を確信していたよ。フォークや身体能力の高さだけでなく、野茂さんは素晴らしいマインドを持っていた選手だったからね。ドジャースという名門チームを選び、それなりの成績ではファンも納得しない。プレッシャーは相当なものだったんじゃないかな。でも、野茂さんはそれをものともしない強いマインドがあった。だから、あれだけの活躍ができたんだ」

―― 野茂さんと対戦経験があっただけに、他の選手からアドバイスを求められることはなかったですか?

「カルロス・バイエガをはじめ、何人かのラティーノの友人たちがアドバイスを求めて来たよ。僕は『野茂は本当にすごい投手で、私もいっぱい苦しめられたんだから、あなたも同じ苦しみを味わいなさい』と。野茂さんの攻略につながる秘訣を知っていたんだけど、あえて教えなかったんだ(笑)。1年後、バイエガは『野茂は本当にすごかった』と言ってきたよ(笑)」

―― 野茂さんがメジャーに挑戦してから25年、日本とメジャーリーグの距離はグッと近くなったと思います。

「野茂さんが大きな橋を渡ったから『自分もメジャーリーグに行ける』と、あとに続く選手が出てきた。イチロー、松井秀喜も強いマインドを持った選手だったね。新庄(剛志)は、打率などを見ると決していい選手ではなかったけど、彼らと同じく強いマインドを持っていた。だからメジャーリーグでもプレイできたと思うんだ。今の日本人の選手は子どもの頃からメジャーリーグを目指している。25年前とは全然違う。そういう強いマインドがあるから、日本はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で2度のチャンピオンになれたんだよ」

―― 野茂さんから数えて、日本人メジャーリーガーの25年の歴史で、投手は安定した活躍を見せていますが、野手は厳しいように感じます。最近は試合に出ることも難しい状況です。

「こればかりはケガでどうにもならないこともあるし、契約の大きさがプレッシャーになっていることもある。ただ基本的なことを言えば、日本人野手にとってメジャーリーグはとてもタフな場所だということだね。メジャーリーグは30球団あって、1チームにつき12人ぐらいの投手がいる。日本とは投手の数が全然違う(笑)。これだけの投手の情報を勉強するのは大変なことだよ。だからこそ、松井秀喜は素晴らしい選手だと思うんだ。しかも、ヤンキースという名門でスターになった。彼は本当にスマートな選手だったね。ホームランは打者にとって魅力のあるものなんだけど、松井はそれを犠牲にして打点や得点が大事だと理解していた。だから、ジョー・トーリやデレク・ジーターは、松井のことが好きだったんだ」

―― 今後、日本人野手が試合に出るには、何が必要だと思いますか。

「スピードであったり、松井秀喜のように打点を稼ぐ能力に長(た)けていたり、特殊な能力が必要かもしれないね。対戦回数が少ないうちは、投手の方にアドバンテージがある。さっきも言ったけど、その投手がどんなスピードで、どんな変化球を持っているのかという情報が少なすぎる。その中で結果を残すのは、何か特別なものがないと厳しいだろうね。逆に日本人の投手は、最初の1、2年は相手も情報がないからいい結果を残すけど、3、4年目になると"まあまあ"の投手になって、徐々に成績が下がってくることもある。これはメジャーがコンピューターやスコアラーをフルに使って、投手の情報を丸裸にしてしまうからで、そういう意味で日本の投手は3年目から4年目が勝負のシーズンになるだろうね」

 そしてデストラーデは「いつも安定した成績を残したイチローは本当にすごい」と語り、こう続けた。

「イチローは宇宙のどこからか来たエイリアンだよ。でも野茂はヒューマンビーイング(人間)だったね(笑)。僕は95年に西武に復帰してその年で引退するんだけど、その時、オリックスにイチローがいたんだ。誰もが『イチローはすごい』って言っていたけど、最初の印象は細いということ。でも、彼のバッティングを見て『何だこれは!?』と思ったね。あの時は振り子のように右足を大きく動かしていたけど、ホームランは打つし、平凡な内野ゴロもヒットにしてしまう。それにワンバウンドのボールも打つ。これまでの野球人生で見たこともない選手だった。たとえるなら、ウェイド・ボッグスの打撃とビンス・コールマンの足や、トニー・グウィンの美しいスイングとリッキー・ヘンダーソンの足を兼ね備えた、そんなすごい選手だということだよ」

―― メジャーリーグと日本の関係を見た時に、どんなことを考えますか。

「日本の選手がメジャーを目指すのは当然のことだと思う。世界のベストプレイヤーが集まるリーグだからね。ただ、唯一、気に入らないのは、アドバンテージが常にメジャーにあることだね。日本のスター選手がメジャーに行くと、そのチームのグッズを日本に売り込んでくる。テレビでも、ヤンキースやマリナーズの中継が、日本の野球よりも多い。でも、メジャーは日本のチームのグッズを売らない。それがビジネスなんだけど、メジャーだけが儲けているやり方が気に入らないんだ」

 デストラーデは、「WBCはなぜ開催されたのか、わかるかい」と問いかけてきた。

「僕の考えだけど、WBCはある国のために開催していると思うんだ。アメリカ? いや、違う。それは日本でもドミニカでもヨーロッパでもなく、中国なんだ。そのためにアメリカは中国にコーチを派遣した。中国はビッグマーケットだからね。NBAはヤオ・ミンを見つけたことで、とんでもない利益を生んだ。中国から、イチローまでとはいかなくても、井口(資仁)さんぐらいの選手がひとりでもメジャーに行けば、すごいビジネスになる。そのためにWBCという大会をつくったと言ってもいい」

―― では、これからの日本のプロ野球について、何か思うことはありますか。

「日本の野球文化のコアな部分を変える必要はない。先輩、後輩の関係だったり、数多いミーティングだったり......そこは大事な文化だと思うんだ。ただ、時代は変わっていくものだから、野球も変わっていかないといけないだろうね。特に、若い選手へのコーチングは時代に合わせていくべきじゃないかな」

―― デストラーデさんなら、どんなコーチングを?

「大事なのはひとりひとりの個性を理解すること。コーチの方から門戸をオープンにする。そして、ひとつのスタイルにこだわらないこと。そのスタイルが合っている選手はいいけど、そうでない選手もいるだろ。だから、いろんな教え方が必要になってくるだろうね」

―― 日本で監督をしてみたい気持ちはありますか。

「チャンスがあればやってみたいね。僕は、日本の選手もメジャーの選手も理解することができるし、選手を見る目はあると思っているよ。それに、僕はカリビアン、ラティーノ、キューバ、アメリカ、日本と数多くの文化を経験している。だから、選手へのアプローチの仕方もいろいろできる。現実的に考えれば、監督になるとすれば前年度の成績がBクラスのチームだろうね。外国人を監督に招くチームは、だいたい前年度の成績が悪く、何かを変えたいと考えているチームだろ。Bクラスのチームの監督をするのは、僕にとってもチャレンジだし、何かを作り上げていくのにすごく興味があるね。日本の監督の厳しさと、メジャーの、たとえばレイズのジョー・マドン監督のようなイージーさ(寛大さ)をミックスさせるのも面白いだろうね」

 デストラーデは日本の野球文化を理解し、日本語も堪能で、メジャーリーグをはじめ、中南米の野球にも精通している。90年代の西武黄金期の中心選手だった秋山幸二、伊東勤、渡辺久信は現役引退後に監督となり、それぞれのチームを優勝に導いた。そして今年はソフトバンクの監督に就任した工藤公康もそれを実現しようとしている。その中に、デストラーデの名前が加わるのも、そう遠くないと思えるのだった。

【プロフィール】
■オレステス・デストラーデ
1962年5月8日、キューバ出身。81年にヤンキースと契約し、87年にメジャーデビュー。88年5月にトレードでパイレーツに移籍。89年6月に西武に入団。83試合の出場ながら、32本塁打を放つ。90年は42本塁打、106打点で二冠王に輝く。91年も39本塁打、92打点で2年連続二冠王を獲得。92年も本塁打王を獲得するなど、3年連続日本一に貢献。93年からMLBに復帰し、2年間マーリンズでプレイ。95年に再び西武に入団するが、シーズン途中で退団。現在はフロリダを中心に野球解説者として活躍している。

島村誠也●文 text by Shimamura Seiya