このところ、中国の仏教の聖地である普陀山が株式上場する話や、九華山、五台山も積極的に株式公開の準備をしているといううわさが流れている。仏教の本山がこの資本市場の波に巻き込まれていることは、今後、道教の聖地泰山、華山、武当山またその他の有名な聖地も追随し、上場企業となることも予想される。

 将来、みな山麓にある寺院に心の故郷を求めて参拝するが、実際には上場した企業を参拝することになるかもしれない。ほとんどの中国の有名な観光地には寺院があるが、そうした寺院は地方自治体の金のなる木と化している。

 今中国の寺院は、少し名が通るだけで、どこも入場料を取るようになっている。入場料だけでなく、その他多くの“高額料金の”サービスがある。例えば、焼香代、鐘突き代、おみくじ代、おみくじ解説代等。観光客に大金があれば寺は焼香をあげ、鐘を突き、水陸道場など様々な儀式を執り行ってくれる。

 一般の観光客が寺に行くと、寺の僧侶は焼香を上げるよう勧めるが、御香は外から持ってくることはできない、それは不浄であるとのことだ。観光客は焼香を終えて初めて、日本円で数千円も払うことになることに気づく、しかも値段交渉することもできない。値段交渉そのものが敬虔さの欠如とみなされるからだ。観光客は文句を言いたくても言えない。境内では香を上げるのに最低でも200元(2500円)、最高10万元(125万円)も支払った例もあるという。ギネス記録を打ち立てたのは多分四川省の峨眉山の宝光寺だろう。香のオークションで落札価格が99万元(1237万5000円)! 現金を持ち合わせていないと心配する必要はない、寺の僧侶はPOS機を取り出してカード払いさせてくれる。

 続いて、僧侶は賽銭簿を持ってきて観光客にサインするよう勧める。実に気前のいい態度で、サインするなら住職自らお経を読み、開運祈願と厄払いをしてくれるという。賽銭簿にサインして初めて住職は「サインは無料ではなくお布施が必要で、どれぐらい寄付するかはあなた次第、3でも6でも9でもよい」。よくよく聞くと、3、6、9とは300元(3750円)、600元(7500円)、900元(1万1250円)、3000元(3万7500円)、6000元(7万5000円)、9000元(11万2500円)のことで、その中から選ぶということである。

 入場料のゆえに仏教を学ぶ道を断つ人は少なくない。道理で言えば仏教は“苦海の慈航”(苦しみの多い世界の助け船)であり、もっと貧しい人々に関心を示して然るべきだ。過去において貧しくお金のない人が役所に入って公正さを要求するとき、寺に行き無料で仏や菩薩に苦しみを訴えることもできた。しかし今となっては、高額の入場料のために貧しい人は門前払いにされる。中国は皆が皆豊かではなく、まだ多くの人々は毎回入場料を払い、境内に入り、仏教の説法を聞くことはできない。

 同じ寺院でも台湾の仏教徒はどんな寺に入るのも、入場料を払う必要はなく、手厚く歓迎され、仏教の教えを紹介され、質問に答え、仏教の本やDVDまでプレゼントしてくれる。むしろ、これらを拒否されることを恐れている。寺の唯一の収入源は仏教徒による寄付だけだ。このような良い循環作用が形成されているため、台湾では優秀な仏教徒が次々に輩出している。

 今の中国の寺では単に香が盛んにたかれているだけでなく、僧侶は公務員を越えて最も稼ぎがよく、且つ尊敬される職業となった。寺の僧侶が儲かる職業であることから、偽僧侶も増えてきた。例えば観光客におみくじの解説をするために、ある寺院では大金を払って偽僧侶を雇っている。

 寺院の収入はすべて住職の“話術”にかかっており、それがお金を生む源となっている。敬虔な観光客は寺の境内に入った瞬間、寺にとっていいカモとなる、少なくとも数百人多ければ数万にのぼる数の人が。住職の言葉による圧力の中、また仏教徒の厳粛かつ敬虔な雰囲気により、心は暗示にかかり自然と理性を超え、こうして途切れることのない賽銭が寺院のものとなるのである。

 この種の“ビジネス”は利幅が大きいことから、僧侶、尼僧、その他階級職の名前や立場で雇用契約書にサインし、毎月給料を得、仏を拝むために出勤し、退勤後は一般人に戻り、その収入はホワイトカラーを超える。これら住職の多くは結婚し子供もいて、市内に家を購入し高級車を乗り回している。

 住職に限ってはその立場が僧侶を指導する立場から、収入は更に手厚い。少し以前にある報道機関によると、雲南省の玉渓市霊照寺の最高住職が殺害された後、約400万元(5000万円)の預金が残されており、預金の所有権をめぐって住職の娘と寺院が訴訟を起こしたと報じられた。

 信仰、それはすべて精神のより所となるものだ。欧米には教会があり、中国には寺院がある。しかし、教会に通うのと、寺院で参拝するのとでは目的が大きく異なる。西欧人は主に懺悔のために教会に行き、中国人は利得のために通う。教会では無料で説教を受け、自分の罪を懺悔し、教義を聞くことができる。一方中国の寺院ではお金を払って香をあげ、おみくじを引き、安全と平安、金儲け、仕事の成功、開運を願い求める。前者は心や感情の浄化であり、後者はお金を用いて更なる利益を画策しているのである。(編集担当:祝斌)