昨日の阪神対ヤクルト戦は、統一球導入後よく見られる引き締まった好試合だった。その試合をさらに盛り上げたのは、矢野燿大の解説だった。

鳥谷のファインプレーに、

「ゴールデングラブ当確やね」「このアングルから見るのが一番きれいですね」

「僕が一番ほしかったタイトルは、ゴールデングラブですよ。自分のミット(のタイプを)ゴールドに塗ってくれるんです。めっちゃかっこええんですよ」


柴田講平がつまりながらも左前安打で出ると

「こういうヒットが出だすと率は上がりますね。柴田的には差し込まれているんですが、強引にヘッドを出してしまうとフライになったりゴロになったりする。遅れたまんまの角度で打てるというのは、簡単ではないですが、すごく内容のあるヒットですよ」

出塁した柴田に、

「こういうところで、警戒される中で柴田は盗塁しないと」

「三割打つには、“しっかり打った”というヒット以外のヒットが増えてこないと」

「イチローなんか見てると、テニスみたいですよね。ラケットの面でボールを捉えるように打っている」


「変化球って、楽に投げるとバッターは振らないんですよ。変化球ほどしんどく投げないと。結構労力使うんです。フォークなんてほんと、腕の振りが勝負なんで」


8回2死から藤川球児がマウンドに上がると

「球児というピッチャーは、チームのために投げたいというピッチャーなんで、(イニングまたぎ)はあまり気にしなくてもいいと思うんです。チームのために投げたいと思っているんですから」

2007年に藤川が10連投したことに触れて

「あれは申し訳なかったです。あれは球児に頭が上がらなかったです」


ご飯でいえば、つぶが立って光っているという感じ。新米の炊きあがりみたいだ。

前にも言ったが、引退間もない選手の解説は、現場の空気をそのまま伝えることができ、言葉も非常に新鮮だ。この日は、湯舟敏郎とのダブル解説だったが、平素はややダルな印象のある湯舟が引っ張られていい解説をしていた。

矢野は、長く阪神で正捕手を張っていた。投球について客観的な視線でトータルに語ることができる。しかも3割を打ったこともある好打者だ。打撃についても語ることができる。ベストナインも、ゴールドグラブも取っている。控えめな性格だが、堂々たる実績があるのだ。

今の矢野は、捕手の感覚で、試合の局面局面で何をすべきかが頭に浮かび、それが自然に口をついて出てきている感じだ。まだ半分現役選手なのだろう。

「●●さん、△△選手は、最近ちょっと引っ張り気味で、ゴロが多いですね」

「そうですね、△△は、どちらかといえば、このところ、強引なバッティングが目立って、引っ張る打球が多いんですね。結果論ですが、そういう当りがゴロになっているんです。センター返しをすべきなんですね」

CSに多いのだが、こういう解説を聞くと、この人は頭の中で、昨日のゴルフのスコアとか、奥さんへの朝帰りの言い訳とか、他のことを考えているのではないかと思ってしまう。解説することに倦んでいるという感じだ。

矢野に加えて、赤星憲広、桑田真澄、今はあまり見かけないが清原和博、彼らの解説を聞いていると、自然にTV画面に顔が向く。試合を見ようという気になる。言葉が新鮮なうえに「伝えたいこと」がはっきりわかるからだ(野茂英雄は破格だが、彼も面白い)。

解説者の中には、年数を経ると新鮮さが薄れ、いてもいなくてもいいような存在になってしまう人も多い。本人の資質、意識の問題だろうが、同時に世間が解説者という仕事をきっちりと評価してこなかったことも大きいと思う。

解説も放送の重要なコンテンツである。放送局としては、選手時代のネームバリューで解説者を選びがちだが、「気持ち」と「質」で、しっかり選別してほしい。