ジョー・ニュートンは、彼が見てきた野球にまつわるたくさんの良い物語を知っている。ニュートンが主催するザ・プレイヤーズ・ダグアウトは、ケンタッキー州エリザベスタウンにあるプライベートな野球教室だ。教えていたコーチの一人は、彼の仲間のスティーブ・デラバー、今はマリナーズのリリーフピッチャーだ。

そしてニュートンは、デラバーに実際に起ったことが未だに信じられないでいる。

「素晴らしい物語だ」昨晩ニュートンは言った。「たぶんスティービーは、この事を自慢なんかしないだろうけど、これは素晴らしいことだ。これはたぶん、メジャーリーグの歴史の中でも初めてのことだと思う」

粉々になった肘のせいで、野球選手としてのキャリアを一度は諦めた臨時教師兼野球コーチが、適切なトレーニングにより新たな選手としての人生を見つけたのだ。2003年のドラフトでパドレスに29巡目指名されたデラバーは、5シーズン主に1Aでプレーした。

2008 年と2009年は、独立リーグで投げた。2009年彼の肘には疲労が溜まっていた。しかしコーチは、デラバーが抵抗したにも関わらず、彼に投げて試合を終わらせるように指示した。彼は球を投げたとき、肘が壊れる音を聞いた。皮膚から折れた骨が飛び出し、彼は激痛に見舞われた。

外科医は、ワイヤーで彼の肘を繋ぎ直し、9つのネジで金属プレートを固定した。デラバーは見る勇気のある人には、彼のi-Phoneに入っているその写真を見せる。 2010年の彼は金曜日夜のソフトボール選手、そしてルイスビル大学で彼の教員コースを修了させるプログラムに通い始めた。

デラバーは、臨時教師を務めるだけの資格をすでに持っている。彼の妻は、エリザベスタウンのジョン・ハーディン高校で、フルタイムの教師として働いている。なので彼が主にそこで仕事をすることは、自然なことだ。

もちろん彼は、そこで野球のコーチを手伝っていた。

「彼は大きな子供みたいだったけど、素晴らしいトレーニングの知識を持っていたよ」その時の学校のヘッドコーチ、アダム・リンゼイは言った。「冬の間週に3回から4回、子供たちと一緒にトレーニングしていた。彼の持っている知識は、彼らに途方もない物をもたらしてくれた」

リンゼイは高校で、肉体的コンディショニングのクラスを持っていて、必要な時にデラバーが彼の代わりを行うことにためらいは無かった。

「私は彼が、実際に何をするのか知っていたしね」リンゼイは言った。「それは他の人が学生にするような、休暇みたいなものでは無かったよ」

今のデラバーは6フィート5インチ、220ポンド。この体格の一部は、彼が学生に教えながら得たものだ。彼の経歴は、プロ野球選手と学校のコーチからなっている。

「僕は、少し口うるさかったかな。僕は彼らより年上だったから」デラバーは言った。「だから僕が少し言えば、彼らはおとなしくなった」

何人かの選手は、彼が教えているクラスの中にもいた。デラバーは、彼らを叱りつけたことがある。

「彼らが、少しふざけすぎたからね」彼は言った。

しかし彼は、教師として柔軟性を学んだ。

「サブプランとして、レッスンプランを選んで続けていくよ」デラバーは言った。「そのうち僕は、第2グレードの先生になって、いつの日か第10グレードの、生物学の先生になる」

そしてデラバーの人生が、向かっていた先である。彼が2010年はプレーできないと伝えたとき、彼が所属していた独立リーグのチームは、彼との契約を破棄した。

「僕はたぶんフェードアウトするんだろうなって、思った」デラバーは言った。

彼は、ジョン・ハーディンで子供たちをコーチしていた。彼らのヘッドコーチが考案した”スーパーセット”の足の使い方で勝ち抜いて行くために、シーズンオフの投球練習でどのように何球投げるかなど全てを教えた。