5年ぶりにJリーグの試合をスタンド観戦したという人がどれほどいるか定かではないが、そういう人がいたとすれば、さぞ驚くことだろう。ピッチ上のプレイのレベルが上がっていることについて。毎週、欠かさず見ている人より、それは鮮明に写るはずだ。

先の日曜日、僕が観戦した試合は川崎対鹿島で、川崎の相馬新監督が古巣の鹿島と対戦するということで、注目を集めた一戦だ。会場の等々力には、鹿島そして日本代表で一緒にプレイにプレイしていた秋田豊さん、名良橋晃さんも観戦取材に来ていた。

僕の脳裏には彼らの現役時代の姿がふと浮かんだ。ピッチの上でバックラインを構成する姿が。すると、そこから先、つまり前の方でプレイしていた選手の姿が次々と浮かぶ。ボールの流れとか、試合の模様もなんとなく蘇ってくる。

実際に行われた川崎対鹿島と、それは自動的にトレースされることになる。彼らが出場していた頃のJリーグと、いまのJリーグとのレベルの差を垣間見た瞬間だ。

僕はいつかのブログで、Jリーグのレベルは上がっていないと書いている。いまとまったく違うことを述べたわけだが、それは過去と比較しての話ではない。過去と比較すれば右肩上がりは維持されている。問題は世界との比較。その相対評価だ。世界の中でのポジション、いわゆる世界ランクは、昔に比べて大きく後退した。上昇率という点で遅れているわけだ。

上昇率3%なのか8%なのか。それこそが問題だ。世界の平均は5%だが、Jリーグは3%。この状態を僕はレベルが上がっていないと言ったのだが、いわゆるサッカーのレベルというのは、どの国も確実に上がっている。5年前といまとを比較すれば、いまの方が上。例外は希であるはずだ。それこそが、僕はサッカーの特殊性を思う。

サッカーほど競技レベルが右肩を示すスポーツも珍しい。僕はそう思う。いまのバルセロナは、サッカーの進化を表す最たるもの。5年ぶりに見る人は、「こんなに巧いんですか」と、ビックリ仰天するはずだ。

でも、いまのバルサの試合の映像を、5年後に再生すると、いま5年前のチャンピオンズリーグの映像を見て思うことと、同じ感想を抱くだろう。昔は緩かったなーと。昔は凄かったとは思わない。

10年前の映像を見せられると、まるで別の競技を見ているような気分になる。

サッカーは右肩上がりを続ける競技。限界点はいまだ見えていない。選手のレベルが上がったから。そのボール操作術が上がったから。それこそが最大の原因なのか。

僕はそうは思わない。昔と今との一番の違いは、相手ボール時の動きにある。昔のサッカーを見て思うことは緩さだ。暢気というか、ピリピリ感、緊張感に乏しいように見える。言い換えれば、105m×68mのピッチには、まだまだ開発の余地が残されていた。

そのスカスカな感じを埋めてきたのは、監督に他ならない。そのサッカーゲームの戦い方が、サッカーの進化に大きな影響を与えてきたというべきだろう。監督の力によってサッカーは発展してきた。サッカーの進化をリードする筆頭は監督。僕はそう確信している。

リヌス・ミケルスとアリゴ・サッキ。サッカーは両者が発明した「トータルフットボール」と「プレッシングサッカー」の出現により激変した。それぞれはサッカー史における2大発明だと言われている。

実際、プレッシングのアリゴ・サッキは、僕にこう言ったものだ。「トータルフットボールの出現でサッカーは180度変わった」と。さらにアリゴ・サッキは「プレッシングサッカーは、トータルフットボールの延長上にあるもの」とも語っている。

そしてそのマイナーチェンジは、毎シーズン繰り返されている。まるで、携帯電話やパソコンの進化を見るようである。そのバージョンアップする姿とサッカーの進歩はかなり似ている。