古田敦也氏

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3月31日放送、フジテレビ「S-PARK」では、野球解説者の古田敦也氏にインタビュー。15年前のプロ野球史上初となるストライキを振り返った。

2004年(平成16年)6月13日、大阪近鉄とオリックスが合併を発表したのを機に、プロ野球界では球団数を減らして1リーグ制にすることを訴える経営者側と、12球団2リーグ制の維持を求める選手会側とが争った。

選手会の会長だった古田氏は、「球団数を減らすというのは、お客さんを一気に失うし、多くの選手が首を切られるわけで、何とか減らさなくて済む方法をリーグで考えるべきではないか」と、選手サイドの主張だったと話す。

古田氏は「球界の発展になるなら仕方がないが、例えば高校野球や小学生も野球をやっている。脈々と日本の文化で、日本で一番人気のあるスポーツだったので、簡単に球団数を減らしていいのか」と、プロ野球というより、球界の未来を考えて話をすべきとの姿勢だったと述べた。

結果、選手会は70年のプロ野球の歴史で初めてのストライキを断行。前夜、古田氏はテレビ番組で涙を流したほどだった。

ただ、ストライキ当日に交流イベントを行った選手たちの気持ちはファンに届き、スト明け最初の試合では全6試合で約20万6500人もの観客が球場を訪れた。そして東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生。プロ野球は12球団による2リーグ制を維持することになった。

古田氏は「例えば子どもたちが大きくなった時に、プロ野球選手になろうと思ったら、(球団数が減って)8球団とかになっていたら、合わす顔がない」とコメント。「なんであそこで頑張らなかったんだ、まだチャンスはあったのに…って。やっぱりそういう想いもあった」と振り返っている。

そんな古田氏は、平成という時代について、野球では「アメリカで昔ちょっと有名だった選手が日本に助っ人として来ていた」が、今では日本人選手が助っ人としてメジャーの名門に在籍しているようになったと指摘。「こんな愉快なことはない」「こんな時代が来るとはという感じ」と述べた。

古田氏は「この30年の間に、一気には言わないが、グッと、日本人選手すごいなと思わせる時代」になったとし、平成という時代は「激動」「躍進」が目覚ましかったと振り返った。