九州、北陸、北海道新幹線といった「整備新幹線」は、最高速度が260km/hです。ほかの線区では320km/h運転も実現しているなかで、なぜこのスピードなのでしょうか。「260km/h」に決まった経緯を探ります。

整備新幹線の最高速度より速くなった初期の新幹線

 一気に60km/h、引き上げられることになるのでしょうか。JR東日本が東北新幹線 盛岡〜新青森間の騒音対策工事を行い、5年後(2024年)をめどに最高速度を現在の260km/hから320km/hに引き上げる方針を固めたと報じられました(2019年1月14日付け朝日新聞東京朝刊など)。

 盛岡〜新青森間は、鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構)が建設してJRに貸し付ける、いわゆる「整備新幹線」として整備された区間です。1996(平成8)年に新青森までの建設が正式に決定されました。


岩手県二戸市付近を走るE5系電車。ここを含む東北新幹線の盛岡〜新青森間は「整備新幹線」として整備された(画像:photolibrary)。

 整備新幹線は、最高速度が260km/hと決められています。

 1964(昭和39)年、世界初の高速鉄道として東海道新幹線が誕生。東京〜新大阪間を3時間で結ぶために最高速度200km/hを目標に開発され、設計上の最高速度は若干の余裕をもたせて210km/hとしました。

 しかし国鉄技術陣はこれに満足せず、技術発展がなければいずれ航空機に負けて斜陽化するとの思いから、続く山陽新幹線に最新技術の導入を検討。1966(昭和41)年、国鉄の山陽新幹線技術基準委員会は将来的に250km/h走行が可能な線路規格にすることを決定し、設計最高速度は10km/hの余裕をもたせた260km/hとしました。

 そして国は1970(昭和45)年、全国に新幹線網を拡大するために「全国新幹線鉄道整備法(全幹法)」を制定。これに基づき東北新幹線の東京〜盛岡間と上越新幹線が、山陽新幹線と同じ設計最高速度260km/hで計画され、1971(昭和46)年に着工されました。

 続いて東北新幹線の盛岡〜青森間、北海道新幹線、北陸新幹線、九州新幹線(鹿児島ルート、長崎ルート)の5路線が計画され、1973(昭和48)年に整備計画が決定されます。
この5路線が「整備新幹線」と呼ばれており、これら各線も同様に設計最高速度が260km/hと法令で決められたのです。

260km/h運転が難しかった時代

 しかし、新幹線高速化の前に、いくつもの大きな壁が立ちふさがります。試験車両による高速試験の結果、240km/h以上の走行には技術的な課題が多くあることが判明しますが、新幹線には高速化の前に解決せねばならないほかの課題も多くありました。

 ひとつは、増え続ける旅客需要に対応するための輸送力増強。そしてもうひとつは、列車本数の増加に伴う騒音、振動などの公害対策です。1975(昭和50)年に環境庁(現在の環境省)が騒音に関する環境基準を定めたため、騒音問題を解決しない限り速度向上は不可能となりました。しかも、国鉄の経営悪化と1973(昭和48)年に発生したオイルショックの影響で、新幹線の建設計画そのものが暗礁に乗り上げてしまったのです。


山陽新幹線で最高300km/h運転を実現した500系電車(2011年10月、恵 知仁撮影)。

 1980年代に入ると、フランスの高速列車「TGV」が260km/h運転を開始し、鉄道の高速化が一気に加速します。国鉄は当面の目標であった260km/h運転の実現に向けた検証を進める一方で、将来的な270km/h〜300km/h運転の実現に向けた研究に着手しました。

 この成果は分割民営化後に花開き、1992(平成4)年に東海道新幹線300系電車の270km/h運転(「のぞみ」デビュー)、1997(平成9)年に山陽新幹線500系電車の300km/h運転、そして東北新幹線E2系電車の275km/h運転と、1990年代に次々と結実します。また限定的ですが、上越新幹線で1990(平成2)年から約10年間、トンネル内の下り坂において275km/h運転も実施されています。

そもそも建設の是非で揺れた整備新幹線計画

 車両技術はようやく最高速度260km/hに追い付き、そして追い越しましたが、他方で整備新幹線をめぐる議論はますます厳しさを増していました。運輸省(現在の国土交通省)は1989(平成元)年、整備新幹線計画の中止を防ぐため、一部でも着手した実績を手に入れようと「暫定整備計画」と呼ばれる建設案を提案します。

 これは時間短縮効果が特に高い部分だけ従来型の新幹線(フル規格)を建設。その前後の区間は在来線を走ることで、建設する区間と建設費を抑えようというものでした。ただ、フル規格新幹線と在来線は線路の幅(軌間)や車体の大きさなどが異なるため、そのままでは直通できません。

 そこで在来線の軌間(1067mm)をフル規格新幹線と同じ1435mmに変えて新幹線車両を直通させる「ミニ新幹線」方式と、新幹線の路盤に在来線の線路を敷いて在来線車両を直通させる「スーパー特急」方式が考えられました。

 ただ、これらふたつの方式は、在来線を走る区間では最高130km/hしか出せません。新幹線の路盤を走る区間でも、在来線車両が走るスーパー特急の場合は160〜200km/hに抑えられます。260km/hには及びません。

 このように、整備新幹線は速度向上の検討以前に、そもそも建設できるかどうかの瀬戸際まで追い込まれてしまいました。そのため、法令で定められた「最高速度260km/h」の引き上げを考える余裕がなかったといえるでしょう。

 しかしバブル崩壊後、景気浮揚のために公共工事が推進されると、整備新幹線に再び追い風が吹き始めます。1996(平成8)年に新たな資金調達スキームが作られ、JRは整備新幹線の開業により得られる利益の範囲で建設費を負担し、残りを国と地方で分担することになり、整備新幹線の着工が本格化しました。こうして「ミニ新幹線」と「スーパー特急」の計画は破棄され、整備新幹線はフル規格での建設が進んだのです。

「最高速度アップ」ようやく検討段階に?

 1996(平成8)年に盛岡〜新青森間が全てフル規格で建設されることが決まり、北海道新幹線の実現が具体化し始めたことを受けて、JR東日本は2000(平成12)年発表の中期経営計画「ニューフロンティア21」のなかで、東北新幹線盛岡以南の360km/h運転を目標に掲げました。

 2005(平成17)年に試験車両「FASTECH360」が製造されて各種試験が行われましたが、営業運転ではコストパフォーマンスを考慮し、まずは320km/h化を目指すことに。営業列車用の量産車両として緑のE5系電車と赤いE6系電車が開発され、300km/h運転が2011(平成23)年に始まり、続いて2013(平成25)年には320km/h運転が実現しました。

 新幹線車両の寿命は15年程度ですから、2011(平成23)年から本格導入されたE5系は2020年代半ばには引退の時期を迎えます。2019年に登場する予定の試験車両E956形「ALFA-X(アルファエックス)」は、E5系の後継車両として360km/h運転を目指すプロジェクトの第一歩であり、その流れのなかで、ようやく整備新幹線の最高速度向上が技術、経営の両面で現実的な課題として浮上したことが分かります。

 整備新幹線の最高速度は、整備計画決定から50年近く「放置」されたというよりは、交通計画、政治、経営、技術など様々な課題をひとつずつ乗り越えながら、やっと速度向上を検討できる段階までたどり着いたというほうが実態に近いかもしれません。

【地図】こんなにある! 整備新幹線の計画区間


現在計画中の新幹線。緑色の路線のうち東京と大阪を結ぶ中央新幹線を除いた区間が整備新幹線で、法令により最高速度が260km/hに定められている(草町義和作成)。