日体大・辻孟彦コーチの教え(前編)

 10月25日のドラフト会議。中日の元投手で、現在は日体大で投手コーチを務める辻孟彦(たけひこ)は自らのドラフトの時(2011年ドラフト4位指名)とは違って、リラックスした様子で教え子たちの指名を待っていた。

 そして4年間指導してきた松本航が西武からドラフト1位指名を受け、東妻勇輔(あづま・ゆうすけ)もロッテに2位指名された。さらに、大学4年時に1年間だけ指導した大貫晋一(新日鐵住金鹿島)もDeNAにドラフト3位指名と、それぞれ高い評価を受け、プロ野球選手として第一歩を踏み出した。


(写真左から)ロッテ2位指名の東妻勇輔、辻孟彦コーチ、西武1位指名の松本航

 辻が投手コーチに就任したのは、現役引退後すぐの2014年。選手として企業チームからの誘いもあったが、かねてから興味のあった指導者の仕事を、母校そして恩師である古城隆利監督からの誘いということもあって選んだ。

 もちろん葛藤もあった。25歳という若さや4万人の観客が埋め尽くす中で投げた時の昂(たか)ぶりを考えると、一切の未練を残さないことなど不可能だった。

 その未練を吹き飛ばしてくれたのが、コーチ就任とともに入部してきた松本だった。キャッチボールの相手役を務めると衝撃を受けたという。

 つい数カ月前までプロでやっていただけに大学生のボールを速いと感じたことはなかったが、松本から放たれるボールは「こんな筋力のないクネクネした体から、こんなキレのあるボールがくるのか!」と感じたという。同時に指導者としてのやりがいが心の底から沸き上がった。

「4年間、計画通り、想像通りにいけば、すごいボールになるんじゃないかなって。それで戦力外になった時の気持ちがなくなりましたね。一番つらい時期に新たな希望を持てたことは、そういうめぐり合わせがあったのかなと思います」

 一方の東妻の第一印象も強烈だった。合流初日から「僕、練習してきたんで!」とブルペン入りを直訴。その勢いに押されて、辻も承諾し見守ったが、松本とは違う印象を受けた。

「なんせストライクがまったく入らない。それなのに思いっきり投げる(笑)。そこに魅力を感じましたね。ストライクを入れたいがために、置きにいったり、小さくなったりしない。(気持ちの)強さがあるな、と」

 ボールこそ荒れていたが、球と体の強さを感じただけに、正しいフォームで投げて、ピッチャーとしての考え方をマスターすれば「化けるんじゃないかな」と期待に胸が膨らんだという。

 個性もまったく違う2人に対して、辻は異なるアプローチで接していった。

 松本は当初から完成度が高く、投球時に足を踏み出す際に三塁側へインステップをする癖があったが、時間をかけて修正に取り組んだ。トレーニングも自らで考えて課題を1つずつ克服していき、1年春から先発を任される中で経験値を上げていった。

 当然それまで染み付いたフォームを改造するのはリスクがあったが、目先よりも将来を優先した。また、マウンド上は「打者と勝負する場」として細かなことは考えさせず、キャッチボールやトレーニングの中で修正を図らせた。松本は感謝の言葉も交えて、辻の指導の特徴を話す。

「辻さんに『インステップはどう悪くて、直すとどういいのか』の説明を詳しくしていただきました。僕は関節が柔らかい分、軸足の右ひざが前(三塁側)に出て力がロスし、体も上手く回りきれず、体にも負担がかかっていました。それを『打者の方向にパワーロスなく向かうといいのでは?』と言われ……取り組んでいくと力感なく投げられるようになりました。なんで直しているのかわからないよりも、会話して自分でも考えながら直せたのがよかったのかなと思います」

 一方で、東妻には厳しく接したこともある。「彼には何くそ(精神)というか、我慢強さというか、負けん気の強さというか、そういう魅力があるんですよ。だから、たとえば1年生の時は、よりそうした部分が出るんじゃないかと思って、松本が投げている試合でボールボーイをやらせたこともありました」

 こうしたことからもわかるように、辻は個性や状況に応じた指導を心がけている。

「同じ右投手でも人によって違うし、左投手でもそう。ひじを痛めたことがある子とない子ではまた違いますから」

 これはプロ時代の経験が大きい。投手コーチ、トレーニングコーチ、トレーナーにそれぞれ役割が与えられている中で、辻は多くの質問をすることで、それぞれの大切さを感じ様々なモノの見方を学んだからだ。

 また、同じユニフォームを着た名選手から受けた刺激も大きかった。とくに現在でも親交のある山本昌との出会いは、辻にとってかけがえのないものだった――。

つづく