関東西郊と東京都心を直結する東急田園都市線。渋谷駅で接続している東京メトロ半蔵門線と相互直通運転を行っていますが、工事が始まったころは銀座線に乗り入れる計画でした。なぜ別の乗り入れ先が変わったのでしょうか。

日本最古の地下鉄と「新しい玉川線」を接続

 東急電鉄の田園都市線は、渋谷駅から中央林間駅(神奈川県大和市)までの31.5kmを結ぶ鉄道路線です。起点の渋谷駅では東京メトロ半蔵門線と接続して相互直通運転を実施。東京都心と郊外のニュータウン「多摩田園都市」などを直結しています。


東急田園都市線の地下区間。かつては「新玉川線」を名乗っていた(2011年3月、草町義和撮影)。

 その便利さゆえに利用者も多く、2017年度の混雑率は185%(朝7時50分〜8時50分、池尻大橋→渋谷間)。東京の主要路線のなかでは8番目に混雑率が高い通勤路線です。ちなみに、国土交通省が公表している混雑率の目安によると、180%は「折りたたむなど無理をすれば新聞を読める」、200%は「体がふれあい相当圧迫感があるが、週刊誌程度なら何とか読める」となっています。

 しかし、田園都市線の建設が動き出したころの計画に比べると、これでも混雑を抑えられているといえるかもしれません。田園都市線の計画が途中で変更されたためです。

 現在の田園都市線は二子玉川駅を境に、おもに国道246号(玉川通り)の下を通る渋谷寄りの「地下区間」と、おもに地上を走る二子玉川〜中央林間間の「地上区間」に分けられます。地下区間はかつて「新玉川線」と呼ばれ、実質的には玉川通りの路面電車(東急玉川線)に代わる「新しい玉川線」として建設されました。

 新玉川線の計画は終戦後に浮上。1950年代には、渋谷〜銀座〜浅草間を結ぶ日本最古の地下鉄・銀座線の線路に接続して直通運転を行う計画がまとまりました。このときの計画のまま建設されていれば、いまごろは銀座線に導入されたレトロ調の新型電車が、田園都市線の地下区間を走っていたかもしれません。

「地上」からは別ルートで都心乗り入れに

 ただ、銀座線は2本のレール幅(軌間)が1435mm。電気の供給方式も走行用レールの脇に設置した給電用レール(サードレール)を使う第三軌条集電方式を採用しています。東急各線の多くは1067mm軌間で、線路の上の電線(架線)から電気を供給する方式ですから、これでは銀座線に直通できません。


渋谷駅を発車した銀座線の電車(2014年7月、草町義和撮影)。

 そのため、新玉川線は銀座線と同じ規格で建設されることになりました。東急が新しい路線を建設するというより、銀座線の延伸区間を東急が建設、運営することになったといえるでしょう。

 一方、田園都市線の地上区間は大井町線の延伸区間として、「東急線規格」で建設されることになりました。これでは「銀座線規格」の地下区間に直通できず、現在の二子玉川駅での乗り換えが必要です。その代わり、現在の二子玉川駅から大井町線と池上線を経由して五反田方面に抜け、現在の都営三田線に相当する地下鉄新線に接続することが考えられました。

 こうして1963(昭和38)年には地上区間が着工。翌1964(昭和39)年には新玉川線の起工式も行われました。

 しかし、新玉川線はのちに「東急線規格」に変更したうえで工事が本格化し、1977(昭和52)年に開業。地上区間も都心への直通ルートが新玉川線への直通に変わり、1991(平成3)年までに現在の区間が全て開業しました。

 計画が変更された理由は、おもにふたつあります。ひとつは地上区間からの都心直通ルートの実現が遠のいたこと。都営三田線は北側から少しずつ南下する形で工事が進められたため、東急池上線の近くに達するまでには相当な時間がかかる見込みになりました。

都心直通ルートを変えたもうひとつの理由

 もうひとつは銀座線の輸送力です。新玉川線の都心直通ルートとなる銀座線は古くからの繁華街を結んでいて利用者が多く、1950年代から1980年代にかけての混雑率は200%を超えていました。


新玉川線の乗り入れ先として建設された半蔵門線の電車(画像:photolibrary)。

 ここに郊外からの通勤列車を直通させれば、混雑はさらに悪化してしまいます。しかも、銀座線の車両は一般的な鉄道車両より小さく、最大で6両の編成しか組めませんでした。これでは大勢の客を運ぶことができません。そこで、営団地下鉄(現在の東京メトロ)が銀座線の混雑を緩和するための地下鉄新線を建設し、これを新玉川線とつなげることにしました。

 これなら「銀座線規格」を採用する必要がないため、「銀座線規格」よりも大勢の人を運べる「東急線規格」を採用することが可能。さらに田園都市線の地上区間と新玉川線が同じ規格になるため、地上区間から新玉川線を経由して都心の地下鉄新線に乗り入れることも可能になりました。

 この地下鉄新線が現在の半蔵門線です。新玉川線の開業から1年後の1978(昭和53)年に渋谷〜青山一丁目間が開業。当初は東急の車両のみ走り、1981(昭和56)年からは営団地下鉄の車両も導入されて相互に直通するようになりました。その後は2003(平成15)年までに現在の渋谷〜押上間が全て開業しています。

 現在、田園都市線の地下区間を走る列車の定員は10両(1両の長さは約20m)×1編成につき約1500人。これに対して銀座線の6両(同約16m)×1編成の定員は約600人です。仮に現在の利用者数を銀座線の電車で運ぼうとすれば、田園都市線の地下区間の混雑率は400%を超えてしまいます。規格を変更していなければ、開業後すぐにパンク状態に陥っていたかもしれません。

※一部修正しました(11月5日11時31分)

【地図】銀座線への直通ルート案


東急田園都市線が着工したころの都心直通計画。地下区間(赤)は銀座線に乗り入れ、地上区間(青)は大井町線と池上線を経由して現在の都営三田線に相当する地下鉄新線に直通するはずだった(国土地理院の地図を加工)。