世界の高速鉄道の中でもとりわけ長く複雑な形状をしている新幹線のノーズ。この形には日本ならではの事情があります。その形に込められた秘密とは。

長いノーズは速く走るためだけではない?

 新幹線の先頭車両は高速で走れるようにシャープな流線型です。1964(昭和39)年に営業を開始した0系のノーズ(先頭車両の先端)の長さは3.9mでしたが、現在の最高速度320km/hで走る東北・北海道新幹線のE5系・H5系はノーズの長さが15mにもおよびます。E5系・H5系先頭車の全長は27mですので、実にその半分以上がノーズです。


15mに達するE5系のノーズ。長くなった理由は高速化のほかトンネル対策も含まれる(児山 計撮影)。

 これほどまでにノーズが伸びた理由は、スピードアップもそうですが、ほかにもあります。実はフランスの「TGV-Duplex」は300km/h運転を行いつつも、ノーズ長は5.02mとE5系の約3分の1に収まっています。つまり、ノーズの長さはスピードだけの問題ではありません。

 新幹線のノーズが伸びた大きな理由、それはトンネルです。日本は国土の約7割が山岳地帯で、鉄道とトンネルは切っても切れない関係にあります。トンネルは、列車が高速で突入すると、トンネル内の空気が圧縮されて押し出され、トンネルの出口で、いわゆる「トンネルドン現象」といわれるような大きな音を出します。この音を低減するには、ノーズをできるだけとがらせて、トンネル内の空気を圧縮せずに進入できるようにする必要があります。

 結果、新幹線ではスピードに比例してノーズはどんどん長くなりましたが、TGVを運行しているフランスは日本と比べて地形が緩やかでトンネルが少なく、トンネルの断面も日本よりひと回り大きいこともあって空気が前方以外に逃げやすいため、新幹線のようなロングノーズは不要というわけです。

一筋縄ではいかないノーズの形

 トンネルドンを防ぐには、車体の断面積(車体を輪切りにした状態での面積)が一定の割合で大きくなることが望ましいとされています。つまり、鉛筆削りで削った鉛筆の先ような形がトンネルドン対策としては望ましいノーズの形状です。

 しかし現実は一筋縄ではいきません。先頭車両には運転台があり、運転士の視界を考えるとある程度出っ張らせる必要があります。しかし断面積の変化を一定にするため、出っ張った分は別の部分を削ることで調整。そのため最近の新幹線では運転台のサイドが若干えぐれたような形になっています。


E7系のノーズ。断面積の変化割合を一定にするため、運転台で飛び出た分を側面のへこみで相殺している(児山 計撮影)。

運転台がない超電導リニアL0系は、ノーズ形状もシンプル(児山 計撮影)。

淘汰や選択といった遺伝的要素を組み込み、5000通り以上もシミュレーションして生まれたN700系の「エアロ・ダブルウイング」(児山 計撮影)。

 また、ノーズが伸びるとそれだけ客室の空間が減少します。輸送需要の多い東海道新幹線ではこれは大きな問題で、スピードアップはしても定員はできるだけ確保、つまりノーズはできるだけ短くする必要があります。

 そこでJR東海はN700系の開発において「遺伝的アルゴリズム」という航空機の開発にも使われている最新の空力シミュレーションを採用。AI技術を組み入れ、突然変異や世代交代といった遺伝的なモデルを組み込んだシミュレーションを5000通り以上も行い「エアロ・ダブルウイング」という形状が生まれました。これによってN700系は、10.7mという比較的「短い」ノーズで300km/h運転が可能になりました。

 このように、新幹線のノーズは空力的な理由や騒音の低減といった要求を満たすため、複雑な形状になっているのです。

新幹線にも「翼」がある?

 自動車の運転席や航空機の操縦席は前だけに付いており、車両や航空機の前後の形は非対称です。しかし鉄道車両の多くは終点で折り返してそのまま逆向きに走れるよう、前後が対称になっています。実はこの鉄道ならではの特性が新幹線のノーズ形状に影響を与えています。

 空気は目に見えないためあまり意識はしませんが、高速で走る新幹線の周りには境界層という空気の層が貼り付いています。そしてその空気が最後部の車両から引きはがされるとき、空気の力で車両が揺れてしまい、乗り心地を損ねます。


700系のノーズ側面、赤色で示した線が航空機でいう水平尾翼に相当する役割を担う(児山 計撮影)。

 そこで新幹線では、最後部で空気の流れを整えてきれいに空気をはがすようなノーズ形状を開発しています。

 700系新幹線のノーズは側面から見ると弧を描いている部分があります。この部分は最後部車両になったとき、航空機の尾翼のように、空気の流れを安定させる意図があります。一方で先頭車になったときはトンネルドン対策として断面積の変化を一定にする必要があるため、先頭と最後尾両方の事情を考慮しつつ、ベターな形状を求めた結果といえます。

 このような形状の開発には膨大な回数のシミュレーションが必要です。かつてはクレイモデルを造って風洞装置にかけ、それをもとに形状を検討していたため分析に大変時間がかかりました。現在はコンピューター上でシミュレーションを繰り返すことで、これまでとは比較にならないほどの形状を細かく検討できるようになり、さらに遺伝的アルゴリズムといった理論の導入で、より多様な形状の検討ができるようになりました。

 2018年に量産先行車が登場したJR東海のN700Sは、N700系からさらに空力的な進化を遂げ、最後部での整流を考えたスリット状のくぼみが設けられています。現代の新幹線車両が持つ複雑なノーズの形状は、人間とコンピュータの「二人三脚」で作り出したものなのです。

【写真】新型新幹線N700Sの複雑なノーズ形状


N700Sのノーズのくぼみは、最後尾で空気をうまく引きはがすための形状。膨大なシミュレーションを繰り返して新幹線のノーズはさらなる進化を遂げる(2018年1月、恵 知仁撮影)。