年末恒例『笑ってはいけない』シリーズのビンタ執行役をはじめ、番組MCやアニメの応援大使まで、芸能界でも幅広い活躍を見せる蝶野正洋。そのセルフプロデュース能力の高さは、プロレス人生の中で磨かれたものである。
 闘魂三銃士の各人を比較したときには、IWGP王座の在位期間や直接の対戦成績で見劣りする蝶野だが、新日本プロレスにおける功績で言えば、武藤敬司や橋本真也に勝るとも劣らない。
 大方の予想をいい意味で裏切った第1回G1クライマックスの優勝も、そのインパクトが絶大だったからこそ、今年で28回を数える人気シリーズとなり得た。そして、G1に匹敵するほどの経済効果をもたらしたのが、大ブームを巻き起こしたnWoジャパンである。

 1996年にアメリカのWCWにおいて、ヒールターンしたハルク・ホーガンがユニットnWo(ニュー・ワールド・オーダー)を結成した。そのロゴ入りTシャツを着た若者が街中に溢れるほどのムーブメントになると、同時期にアメリカ遠征していた蝶野が、これを直輸入。日本を代表するヒールユニットとして、大きな成功を収めることとなった。
 「この当時のテレビ中継はすでに深夜枠に移っており、たまに放送されるゴールデンタイム特番の主役は、'97年にプロレス界入りした元柔道世界一の小川直也だった。また、スポーツ新聞など一般向けの記事も、中心になるのはプロレスではなくK-1やヒクソン・グレイシーになっていた。そんな状況下で会社の用意したアングルではなく、自らのプロデュースによってnWoブームを巻き起こした蝶野の才覚は、改めて評価されるべきでしょう」(プロレスライター)

 その人気の要因は大きく二つあった。
 一つは日本における海外志向の上昇。'95年にロサンゼルス・ドジャースへ渡った野茂英雄の活躍もあって、アメリカで起こったムーブメントに日本勢が加わる格好となったnWoは、ファンから大いに歓迎された。
 「執拗にnWo入りを勧誘されていた武藤が、日本ではかたくなに拒否していたものの、アメリカでグレート・ムタとしてnWo加入を果たす。そのように日米同時のストーリーが進行することで、いっそうメジャーな雰囲気をつくり出すことに成功しました」(同)

 もう一つの人気の秘訣として、ファッション性の高さが挙げられよう。
 それまで日本におけるプロレスのファングッズというと、レスラーの顔写真やイラストが大きくプリントされたものなどで、恥ずかしくてとても普段使いはできず、わずかにホーガンの一番Tシャツがヒットしたぐらいだった。
 ところがnWoは、先にアメリカでファッションアイテムとして流行した“ブランド品”で、それまでプロレスファンであることにどこか引け目を感じていた人々が、nWoならば堂々とロゴ入りTシャツ姿で応援できた。いわば世間からのお墨付きを得たようなもので、このことに喜びを感じたファンは決して少なくなかった。

 さらにnWoのブランド力は、プロレス業界の外にまで波及した。
 プロ野球では、横浜ベイスターズの三浦大輔や中日ドラゴンズの山本昌、サッカーの中山雅史、大相撲の千代大海をはじめ、競輪選手やオートレーサーなどがnWoの黒いTシャツを着て“サポートメンバー”に名乗り出た。それによって閉鎖的かつマニアックだったプロレスの世界が、一般社会に開かれることとなり、新たなファン獲得にもつながったのだ。

 電通の調べでは、このnWoブームの経済効果は約43億円とされ、ロゴ入りTシャツだけで6億円を売り上げたともいわれている。
 「マイナージャンルに追いやられていたプロレスが、電通の調査対象になったというだけでも一大事件だったと言えるでしょう」(同)