プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「蝶野正洋」芸能界でも活躍する“黒のカリスマ”
アメリカンプロレスに否定的だった総帥アントニオ猪木も、これには一目置いていたようで、自身はPRIDEなど格闘系に執心していた'01年に、蝶野を新日本の現場監督に指名している。それも、こうしたnWoの成功があってのことに違いない。
なお本家アメリカのnWoは、WCWの衰退に伴って'00年頃に自然消滅。'02年には舞台をWWFに移して復活するが、トラブルが頻発したことでストーリーは打ち切りとなった。
それに先駆けて日本でも、'98年から蝶野の故障による長期欠場で武藤が陣頭に立つようになると、軍団内に不協和音が流れ始める。結局、'99年に復帰した蝶野が新たに結成したTEAM2000により、主役の座を奪われて解散の憂き目を見ることになった。
こうしたnWoからTEAM2000へのブランド変更は、その大きな要因がWCWとの契約関係にあったことに違いはないが、同時に蝶野によるマネジメントを欠いた期間に、nWoの勢いが削がれたという点も否めない。
蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)
1963年9月17日、アメリカ・ワシントン州出身。身長186㎝、体重108㎏。得意技/ケンカキック、STF、バタフライロック。
文・脇本深八(元スポーツ紙記者)