(7月21日死去、80歳)

安部川澄夫さん(元大和銀行<現りそな銀行>頭取) 
 長身で気さくなバンカーとして財界の人気者だった。当時、戦後最大とされた三光汽船の倒産処理では腐心した。1987年には大阪商工会議所副会頭に就き、関西国際空港開港に尽力した。洋蘭を愛し、90年の国際花と緑の博覧会では、大和銀行(現りそな銀行)を主力取引先とする企業を「大輪会」としてまとめたのも人望ある故だった。
(8月30日死去、94歳)

吉井亨さん(元山善会長・社長)
 “機械商社・山善”を家電事業などとのダブルウイング体制にする礎を築いた。1963年、創業者の故山本猛夫氏に魅せられ山善に入社。有言実行を座右の銘とし、社員にもビジョンの共有と目標達成意識を根付かせ、海外市場を開拓するなど攻めの姿勢で成長をけん引した。
(1月13日死去 77歳)

梯郁太郎さん(ローランド創業者)
 独創的な楽器を次々と世に送り出した“電子楽器の父”。電子楽器の世界共通規格「MIDI」の制定により、米グラミー賞の技術賞を日本人の個人として初めて受賞した。「新しいものをつくらないとあかん」が口癖。83歳で有志と新会社「ATV」を設立、生涯を音楽に捧(ささ)げた。
(4月1日死去、87歳)

井上雅博さん(元ヤフー社長)
 孫正義氏(現ソフトバンクグループ会長兼社長)と共に1996年にヤフーを創業。同年に孫氏の後を継ぎ、社長に就任。日本のインターネット黎明(れいめい)期にポータルサイト「ヤフージャパン」を立ち上げ、国内最大級のサイトに育てた。12年の退任まで16期連続の増収増益を達成した。
(4月26日死去、60歳)

船井哲良さん(船井電機創業者) 
 電機産業の発展を見越し、1961年に船井電機を創業。00年代は中国生産によるコスト競争力を武器に、米流通大手のウォルマート・ストアーズにAV機器を大量供給する仕組みを確立、会社を成長させた。亡くなる直前も病院から経営会議に参加するなど生涯現役を貫いた。
(7月4日死去 90歳)

岡本要さん(元長州産業会長・社長)
 1980年に長州産業を設立。半導体製造装置や太陽光発電システムなどを相次いで事業化し、一代で山口県を代表するモノづくり企業に育て上げた。晩年は国産キャビアを夢見てチョウザメの養殖を始めるなど、持ち前の情熱が衰えることはなかった。
(6月7日死去 80歳)

後藤勇さん(日進工具会長)
 実兄で日進工具創業者の進二氏が急逝し、1991年に社長に就いた。苦境の中で覚悟を決め、4工場を仙台市近郊に集約。大手が手薄だった超硬小径エンドミルに特化。04年無借金経営とし、ジャスダック上場を果たした。59歳で工学博士号を取得する努力家でもあった。
(6月20日死去 69歳)

小松安弘さん(エフピコ会長・創業者)
 1962年に福山パール紙工(現エフピコ)を創業し、同社を食品容器の業界最大手に押し上げた。カラートレーや耐熱容器などをいち早く投入し、回収容器をリサイクルする体制を確立した。決算会見では、ずらりと並べた自社トレーを前に説明する姿がおなじみだった。
(5月23日死去 79歳)

沼田智秀さん(ミツトヨ元会長・社長)
 早稲田大学文学部卒業後、1956年に三豊製作所(現ミツトヨ)入社。71年から社長、85年からは会長を務めた。海外拠点を北米・西欧からアジアや東欧などに広げて同社のグローバル展開を加速させたほか、生産管理の合理化も進めた。85年からは仏教伝道協会会長も務めた。
(2月16日死去 84歳)

山本健一さん(元マツダ会長・社長)
 1960年に発売した同社初の乗用車「R360クーペ」の開発責任者を務めた後、ドイツメーカーと提携し技術導入したロータリーエンジンの開発を率いた。マツダの戦後の成長を支えた象徴的な技術者。山本氏の残した「飽くなき挑戦」という言葉は、今日も同社の精神的な支柱となっている。
(12月20日死去、95歳)