13日午前、2人の死刑囚の死刑執行を発表した。

 住田紘一死刑囚(34)は2011年、元同僚の女性(当時27)を殺害し、現金などを奪った強盗殺人の罪などに問われ、2013年に死刑が確定。西川正勝死刑囚(61)は1991年から1992年にかけスナックの女性経営者ら4人を殺害した罪などに問われ、2005年に死刑が確定していた。執行後の会見で金田法務大臣は「今回の2件につきましては、誠に身勝手な理由から被害者の尊い人命を奪うなどした、きわめて残忍な事案だ」と説明した。

 関係者によると、西川死刑囚は再審請求をしており、その中での執行は異例だという。金田大臣は一般論だと断った上で「再審請求を行っているから執行しないという考えは採っていない。死刑というものは人の命を絶つ、生命を絶つ極めて重大な刑罰であり、その執行に際しては慎重な態度で臨む必要があるものと考えている」とコメントした。

 死刑執行の日、拘置所では何が起こっているのか。閉ざされた刑場では、どのような時が流れるのか。AbemaTV『AbemaPrime』では一度だけ死刑執行に関わった元刑務官にインタビューを行った。

■遺族の仇をとってやらにゃいかんという使命感に燃えました

 インタビューに応じたのは、33年間にわたり刑務官を務め、大阪拘置所勤務時代に死刑執行に関わった藤田公彦氏(70)。今回死刑を執行した刑務官にかけたい言葉は何かと尋ねると「辛いけれども職務として自信をもって臨んで、また、今後に尾を引かないよう頑張って欲しい」と話す。

 「刑務官」とは、刑務所や拘置所の受刑者たちを更生させるために指導や監督などを行う国家公務員だ。藤田氏が死刑執行に携わったのは「まだ末端の若い看守」だったときのことだという。

 「夜勤明けのときのことでした。通常は朝の8時に集合して解散なのですが、その日は『今から呼ぶ者5名は、待機所で待機』という命令が出ました。居残りの場合は、『今から誰と誰は裁判所に行け』などと言われるのですがが、"待機"というのは一体何だろうと。まさか、という気持ちでおりました。待機室で『どうも執行ではないか』と噂をしておりましたら、30分後くらいに管理部長室に一人ずつ呼ばれ『(死刑執行ボタンを押す)執行係を命ずる』と言われました。みんな下を向いて、沈黙していましたよ」。

 死刑執行が近づくと刑場の清掃が行われるため、刑務官たちの間に"近いうちにあるのではないか"という噂も流れていたという。しかし当時、自分にその役目が回ってくるとは思っていなかったという。

 「当時は、勤務成績の悪い者がペナルティとして執行係をやるのが相場だったんです。私は真面目だったので(笑)、自分がやることはないだろうと変な自惚れがありました。ところがその前の執行担当者のなかに、ボタンを押さなかった職員がいたそうです。同じ形のボタンが5つあり、5人の係が一斉にそのボタンを押すことで、誰のボタンが絞首台につながっているのか分からない仕組みにしてあるのですが、踏み板が落ちなかったので発覚したのです。ただ、途中で執行を止めることはありません。刑場には故障などに備えた非常用のハンドルがあり、万が一の場合はそれを動かすと踏み板が外れるようになっています。そういうことがあって、しっかりした真面目な者を選べということになったと聞きました」。

 刑務官を拝命して間もない頃で、死刑囚に接触したこともなかったという藤田氏。執行の意味を考えるため、自ら犯行記録に目を通したという。

 「その死刑囚はすでに70歳を超えていました。なぜ年老いた人を執行しなければいけないのか、そのまま老衰で死なせてやってもいいのではないかという思いもありましたので、自分を納得させるために記録を読みました。仮出所した際、お寺の住職さんが身元引受人になり、自宅に下宿させ仕事まで見つけてくれたそうです。その恩を仇で返すように、奥さんと娘さんを強姦・殺したのです。これは許せん、被害者遺族に代わって敵を討ってやらにゃいかんという使命感に燃えました。そういう正義感から躊躇なく押すと決意したことを覚えています。だから一切躊躇することはなかったです」。

■死刑囚は『お世話になりました!』と泣いていました

 藤田氏によると、当時の大阪拘置所での執行までの流れはこのようになる。

 「まず屈強な職員が選抜され、監督者と合せた5名くらいで死刑囚が生活している独居房に迎えに行きます。ドアを開けて『おい、出てこい』だけです。『なんですか?』『いいから、出てこい』と連れ出します。執行するとは言いません。いつも独居房を出るときは右側の中央廊下に行くんですが、死刑執行のときは左折して西側廊下に向かいます。そして執行を言い渡す所長が待つ2回の調べ室に向かいます。そこで所長が『お別れの時が来ました。今から死刑を執行します』という主旨のことを言い渡し、『連行!』という命令で刑場へと向かいます。刑場は建物の一番端にあり、廊下には万が一に備えて5メートルおきに職員が立ちっています」。

 藤田氏が執行した死刑囚はもう高齢だったので、素直に連行に応じたという。しかし刑場の直前、で藤田氏は死刑囚の涙を見た。

 「(刑場に向かう廊下では)1分1秒でも生きながらえたいという人間的本能で、世話になった職員、顔見知りの職員を見つけると走り寄っていって『先生お世話になりました』とひとりひとりに挨拶していくわけです。ところが職員はどう答えていいのかわからないんです。『元気にやれよ』とは言えません。『しっかりやれよ』とも言えません。泣きながら手を取られると、職員も辛いんです。返す言葉がないんです。だから『前へ進め!』と促して進んでいきます。私が執行した時も、『○○部長さん、お世話になりました!』と泣いていました。私は刑場の前で待機していましたが、いたたまれず、ボタンを押すのが自分だと知られるのも嫌で、逃げるようにして部屋に入ったと記憶しています」。

 刑場の中は、ごく普通の会議室のような雰囲気だったという。一番奥には祭壇があり、教誨師と"最後のおつとめ"を行う。祭壇は仏教、キリスト教と、本人の信仰に合わせて切り替えられるようになっている。しかし、刑場の方を向いてロープが見えると動揺してしまうため、執行直前まで蛇腹のカーテンのようなもので死刑囚からは見えないようにされていたという。

 「蛇腹を開けて、1メートル四方の踏み板まで連行し、後ろ手にして手錠をかけ、足も手錠かひもで縛り、目隠しをして、ロープを首に掛けます。それで準備は完了します。そして指揮官が『最後に言い残すことはないか』と確認します。死刑囚によって違いますが、『課長、オレはびびってませんで!目隠しなんかいりませんわ』という者もいれば、震えて声にならない者もいます」。

 死刑囚の話が終わったあとに合図があり、死刑執行ボタンはそこで押されるのだという。

 「話が終わった瞬間に、指揮官から『押せ』という命令が出て、5人が待機している部屋に赤いランプが点灯します。一斉にボタンを押すと、刑場の中に『プシューッ』というエアブレーキのような音が広がり、死刑囚の乗った床が『ドン』と外れるわけです。死刑囚は地下に落ちていって、自分の体重で首が締まります。ボタンを押すのは死刑囚が最後の言葉を話し終わったのを確認してからです。これが大事なんです。話している途中に執行してしまうと、舌を噛んで流血し、非常に残虐になってしまうからです」。

 刑場の下で、落ちてきた死刑囚の体を受け止める役の刑務官もいるという。

 「落ちてきたまま放置しまうと、死刑囚の体がバウンドして左右に振れてしまい、その様子が残虐だからです。大変難しい役目です。私が執行した際は、先輩が受け止め役を命じられました。先輩は管理部長に対して『今後は勘弁してください。今まで10回くらいやりました。もう孫ができる歳になりますから』と、盛んに断っておられたのが印象に残っています』。

 死刑が執行された後、ボタンを押した5人の刑務官たちは、下に降りて遺体の回収にも携わった。

 『医師が脈を測っていますが、だいたい12分は吊るしたままです。体重が重い方が早く亡くなります。死亡が確認されると、5人で遺体を抱えて、上にいる職員にロープを緩めてもらい、棺桶に入れます。役所が準備した花をちぎって棺に入れ、蓋をし、簡易な遺体安置所まで移動させて、私たちの役目は終わりです。遺体は火葬場に運ぶ霊柩車の到着を待ちます」。

■「死の尊厳」に対する敬意を抱いた

 任務から解放された刑務官たちは、会食をした。

 「当時のお金で3000円の手当が出ました。ただ、みんなほとんど会話せず、黙々と食べていましたね。官舎に帰って女房に『おい、塩もってこい』と言い、体に塩を振りかけて家に上がったのを記憶しています。女房は『あんた何かあったん?』と聞きましたけどね、私は何も答えませんでした。それ以後、このことに関しては一言も喋ったことはありませんし、質問も受けたこともありません。それはどういう理由かというと、いわゆる"死の尊厳"に対する敬意だと思います。軽々に喋ったりできない、"無言の教え"があったと記憶しています。他の刑務官たちともそういうことは一切話しませんでしたし、『あの時大変だったな』というような思い出話も一切出ませんでした」。

 藤田氏によると、かつて執行を前日に言い渡していた時代もあるという。

 「執行を前日に言い渡し、親族にお別れをしていた時代もありました。追い詰められて自ら命を絶つ恐れもありますので、翌朝まで独居房の前で刑務官が監視していました。でも、死刑囚と将棋を指しながら、刑務官は何も会話ができない。『お前、元気にやれよ』と言うんですか?『そろそろ寝ろよ』と言うんですか?あと余命が何時間で、寝てしまったら生きてる実感がないじゃないですか。死刑囚は眠れないですよね。職員も声のかけようがない、たまらない状況なんですよ。そういうことで即日執行に変わっていきました」。

 刑務官の職務とはいえ、誰にも共有すること無く背負っていかなければならない厳しい体験。苦しみや孤独に苛まれたことはないのだろうか。

 「壮絶な場面を見たので、苦しいというよりも、後から気がついたのはやはり死の尊厳への敬意です。その人の性格にもよると思いますが。私には苦しみということは無かったと思います。もちろん、トラウマになる刑務官もいると思います。それは否定しません。もう何十年も経ちましたが、私もその場面を全て鮮明に覚えていますし、嫌だったなというのは確かに残っています」。

■死を持って償うのが死刑ですから、反省は求めません

 想像を超える体験を経て、藤田氏は死刑の是非についてどう考えているのだろうか。

 「死刑囚というのは、生きるか死ぬかの恐怖で極限の精神状況におかれていますから、廊下を歩く刑務官の足音の違いにもビクビクしています。死の恐怖から逃れるために宗教に救いを求めて、ある意味での悟りを得て、素直に執行に従う人もいますが、中には脱獄を試みたり、自殺したりする人もいる。それほど神経を研ぎ澄ませる中で、改心するゆとりはないわけです。反省など机上の空論、理想論です。死を持って償うのが死刑ですから、反省は求めません。死刑になるだけの残虐な犯罪をやる人というのは、通常の精神や性格ではありません。教科書のような反省、悔悟というものを求める方が酷で非現実的なことだと私は思います」

 その上で藤田氏は、こんなエピソードも明かした。 

 「死刑廃止論者の弁護士さんが唆して、精神病を装って執行を免れようとしていた人もいました。いよいよ執行の日、心配して見ておりましたら、本人は『執行か、そうかわかった』と、素直に応じたんですね。こんなこと言ったら申し訳ないですが、朝から晩まで精神病を装っていたあの姿は何だったんだろうかと、可哀想に思いました。彼は何も抵抗せず、堂々と逝きましたよ」。

 藤田氏の生々しい体験談に、日経ビジネスの柳瀬博一氏は「先進国では日本とアメリカ以外、死刑を執行しなくなっている。どういう理由があるにせよ、戦争以外で国家が人を殺めることに対する否定的な見方が社会通念になってい」と指摘した上で、「藤田さんのお話しを伺って、自分の死以外に罪を贖うことが許されないという、死刑制度の持っている酷薄さを感じた」とコメントした。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)


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