■レバンガ北海道・折茂武彦インタビュー@第1章

 まだバスパンは短く、パワータイツの大部分が露出していた。そんな時代からのスーパースター。折茂武彦(おりも・たけひこ)、46歳――。今秋、いよいよ産声をあげる「Bリーグ」のファーストシーズンも現役続行が決定し、保持する日本記録のトップリーグ通算601試合出場・通算8823得点は、試合に出場するたび、得点するたびに更新されていくこととなる。

 四半世紀、日本バスケットボール界の先頭を走り続ける男は笑う。

「チームメイトに、『大学時代はダンクしてたんだ』って言っても、『えええっ!?』って半信半疑ですからね。スタッフから、『あんまりそういうこと、言わないほうがいいですよ。誰も証言できないんですから』って言われます(笑)」

 笑うとできる目尻の小ジワの数は、年相応だろう。同世代のチームメイトやライバルたちは、とうの昔にユニフォームを脱いでいる。それどころか、対戦チームの指揮を執っていることすら、しばしばある。

 ただ、誤解は禁物だ。折茂は"長さ"など追い求めていない。その真逆。現役にしがみつこうなど、微塵も思っていない。

 昨シーズン、開幕直後に負った右足亀裂骨折のため、折茂は長期欠場を余儀なくされ、プレーオフ直前に復帰した。所属するレバンガ北海道を指揮する33歳の水野宏太ヘッドコーチ(HC)は、「ミスターレバンガ」の体調を気遣い、プレータイムを制限した。その心遣いに気づいた折茂は、シーズン終了後に13歳年下のHCにこう伝えている。

「壊れたら辞めるだけ。遠慮しないでくれ。練習でも試合でも、俺を使い倒せ」

 その言葉を聞いたHCは、「わかりました。ちょっと勘違いしていました」と、うなずいたという。

 折茂は、「ただ続けるだけなら、50歳までいける」と語る。

「HCに言ったんです。『このままだったら、50歳までだっていけちゃうよ』って。だってできますよ、ちょっとコートに出て行って、1〜2本シュートを打ってベンチに戻る。そんなんでいいんだったら。でも、そんな使われ方に、価値も意味も見出せない。つまんないよ、それじゃ。ケガしてダメになった時点で引退。練習だろうが、試合だろうが、プレー中のケガで終止符が打たれるなら本望。辞める覚悟なんて、とっくにできている。俺は、現役でいたいんじゃない。チームの戦力でいたい」

 もちろん、折茂にも、"引退"の二文字が脳裏をよぎったタイミングならあった。

 2007年、折茂が37歳のとき。在籍したトヨタ自動車で連覇を達成したシーズン後のことだった。その前年に日本で開催された世界選手権で4年ぶりに日の丸を背負い、チームナンバー1の平均12.2得点を記録し、いまだ日本最高峰のパフォーマンスを発揮できる自負はあった。ただ、連覇も達成し、来季へのモチベーションが見つからなかった。

「同期はとっくに引退している。この辺が引き際なのか......」

 そんな折茂に、トヨタ自動車のアシスタントコーチ(AC)や日本代表のACを務め、折茂のプレーをよく知る、同い年の東野智弥からラブコールが届く。東野は新設されたプロ球団・レラカムイ北海道のHCに就任し、新チームの中心選手として折茂を勧誘した。

 14年間在籍したリーグでもトップクラスの資金力を持つトヨタ自動車から、新設プロチームへの移籍。周囲のほぼ全員の反対を押し切る形で、折茂は北海道に飛んだ。なぜ、その目には、レラカムイがそれほど魅力的に映ったのか? 答えは明快だった。レラカムイが"プロ"チームだったからだ。

「大学を卒業し、僕のキャリアはトヨタの社員として始まった。バスケットだけに専念できる環境がほしくて、退職届を出して社員は2年で辞めたんです。その後、新しく制度を作ってもらい契約選手になった。ただ、厳密にはプロじゃない。プロ選手が、プロチームがどんなものなのか知りたかった」

 折茂はレラカムイと2年契約を結び、契約期間終了後、現役を退く未来予想図を描いた。

 予想はしていた――。ただ、北海道でのプロ生活は、予想を上回る驚きの連続で始まる。用意された練習場は、校庭に雑草が生い茂る、電気も水道も通っていない廃校となった高校の体育館。

「ある程度の違いは覚悟していましたが、これほどまでとは......」

 トヨタ時代は自前の体育館に、ウェイトトレーニングの施設も併設されていた。支給されるのが当たり前だと思っていた練習着は、自前で用意しなければならなくなった。海外で行なっていた合宿は、北海道内の稚内(わっかない)に。大男たちがひしめき合うバスに乗り込み、6〜7時間かけての移動。折茂は、そんな長時間のバス乗車は人生で初めてだった。だが、不思議と後悔はなかった。

「これが、プロチームの現状なんだ」

 そして、北海道の生活は、新鮮で幸福な驚きにも満ちあふれていた。道行く人たちに何度となく、「北海道に来てくれてありがとう!」「がんばってください!」と声をかけられる。それは、トヨタ時代を過ごした東京では経験したことのないことだった。

「若い人やバスケット関係者だけじゃない。おじちゃん、おばちゃんにも声をかけられたんです。北海道のメディアが、野球、サッカーと同じようにバスケットを扱ってくれたことも大きいと思います。北海道は、地元のチームをものすごく応援してくれる土地だった」

 そして迎えた2007−08シーズン開幕戦。ホームコートである「月寒(つきさむ)グリーンドーム」で、折茂は生涯忘れることのできない光景に出会う。

 その光景こそが、折茂武彦が今なお現役を続ける理由であり、モチベーションだ。

 ロッカールームからコートに出ると、折茂の眼前に広がったのは、試合開始を今や遅しと待ちわびる、3000人を超す満員の観客だった。

「競技人生で、何百、何千試合経験したかわかりません。でも、あの開幕戦だけは、絶対に忘れられない。トヨタ時代、レギュラーシーズンにこんな大勢の観客がいたことはなかったですし、そもそも観客はまばらで、ホームもアウェーも感じたことはなかった。それが、北海道ではこんなに多くの人たちが応援してくれる。今まで僕は、バスケを自分のため以外にがんばったことなんてなかった。満員の客席を見たとき、初めて思ったんです。『この人たちのために、がんばらなきゃダメだ』って」

 コート上では、顔色ひとつ変えずに1試合で何十点も稼ぎ出す男が、少し照れくさそうに言った。

「これだけ長く現役を続けられるのは、北海道だからです。移籍したのが北海道でなければ、とっくに引退していた。ありきたりの言葉になってしまうんですが、人って、やっぱり必要とされるとがんばれるんです。ファンが僕をまだ必要としてくれる。だから、この年齢でもやれているんだと思います」

 今秋9月22日に開幕するBリーグ。レバンガ北海道の初戦は、9月24日の大阪エヴェッサ戦。46歳の折茂武彦にとって、24度目のシーズンが幕を開ける。客寄せではなく、もちろんレバンガ北海道の戦力として――。

(第2章に続く)

【profile】
折茂武彦(おりも・たけひこ)
1970年5月14日生まれ、埼玉県出身。レバンガ北海道所属。埼玉栄高校から日本大学へと進学し、1993年にトヨタ自動車に入社。2007年、新設されたレラカムイ北海道に移籍するも、運営会社の撤退などにより新チーム「レバンガ北海道」を自ら創設。国内プロ団体球技で異例の「選手兼オーナー」となる。日本代表としては1994年・広島アジア大会や1998年・世界選手権など数々の国際大会を経験し、正確なスリーポイントシュートは現在も国内トップレベル。シューティングガード。190cm・77kg。

水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro