ウディネーゼ戦で公式戦10試合連続のスタメン出場を果たした本田。しかし、チームは下位相手に痛恨のドローを演じ、本田も守備で奮闘したが攻撃では大きな違いを作れなかった。(C)Getty Images

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 本田圭佑は戦術の中心にも、監督の構想の中にも戻ってきた。つまり紆余曲折を経て、再びミランで主力の座を掴み取ったのだ。
 
 その明確な証拠を、2月7日のウディネーゼ戦で見ることができた。この一戦でシニシャ・ミハイロビッチ監督は、ジャコモ・ボナベントゥーラを起用できなかった。いまのミランにとって絶対不可欠なジャック(ボナベントゥーラの愛称)が怪我で欠場し、左サイドにはポッカリと大きな穴が空いた。
 
 それを埋めるため、本田がいつもの右サイドハーフから左サイドハーフに移り(トレーニングで何度か試されていた)、ユライ・クツカが右サイドに入るというのが、試合前の大方の予想だった。
 
 しかし、ウディネーゼ戦ではクツカが左、本田が右に入った。つまり、2人のうちどちらかを本来のポジションではない場所に置かざるをえない状況で(クツカの本職はセントラルMF)、ミハイロビッチは本田を動かさないことを選んだのだ。
 
「そんなこと、わざわざ強調するほど大きなことではない」と思う方もいるかもしれない。しかし、それは違う。“犠牲”にされたのが本田ではなく、クツカだったという事実は、ミハイロビッチの構想における“選手ヒエラルキー”を如実に表わすものだ。試合前の会見でも、指揮官はこう語っていた。
 
「最初の頃、本田は私が期待したほどのプレーを見せてはくれなかった。しかし、今は好調だね。あと足りないのは、ゴールだけだ。この調子でプレーしてくれれば、彼は常にレギュラーだ」
 
 しかし残念ながら、ウディネーゼ戦の本田とミランは、あまり良くなかった。とくに前半は目も当てられないようなパフォーマンスに終始して1失点し、後半に1点を返したものの1-1のドロー決着。、と2試合連続で内容と結果を両立させながらも、またしても停滞を余儀なくされた。3位フィオレンティーナと4位インテルが引き分けたため、6位ミランにとっては上位との勝点差を縮める絶好のチャンスだったが、みすみすそれをフイにしたのだ。
 
 ミランは幸運に見放されただけではなく(ポスト直撃のシュートや敵GKのビッグセーブが何度かあった)、最後まで試合のリズムを変えることができなかった。本田も同様だ。チーム最多の5本のクロスを上げたもののゴールには繋がらず、SBのイニャツィオ・アバーテとの連携もいつもに比べれば精彩を欠いた。
 
 もちろん、長いシーズンの中には何度かこういった試合もある。しかし、ここから順位を上げていきたいならば、下位チームからの取りこぼしは許されない失敗だ。
 本田に話を戻そう。ここ1か月、ミハイロビッチや首脳陣の口から「HONDA」というフレーズが出てくる頻度は、確実に増えている。先週末にも、本田を誉めそやすようにコメントがいくつか聞かれた。とりわけ金曜日にアドリアーノ・ガッリアーニ副会長が発したコメントは、非常に興味深かった。
 
「本田はとても頭のいい青年だ。私が強力に彼をミランに欲しがったのは、本当に優秀な選手だからであり、実際に今その実力を見せている。彼はいつも丁寧なやり方で自分の意見を言ってくる。本人はミランに留まることを望んでいるし、我々も彼を手放したくないんだ。だから、メルカート(市場)に出そうと思ったことはない。ここ最近のパフォーマンスにはとても満足しているよ。これこそが真の本田だ。多くの犠牲を払うそのプレースタイルは個人的に好きだし、彼自身もそのことは知っている」
 
 ガッリアーニのこの発言は、いくつもの重要な事柄を示唆している。例えば「丁寧に自分の意見を言う」という下りは、世間を賑わせた昨年10月の爆弾発言を単なる“意見”という形で終わらせようとしている。「もう遺恨はない、しかし逆に今後は本田からどんな批判も受け付けない」という意思の表れだ。
 
 それから「本人はミランに留まることを望んでいるし、我々も彼を手放したくない」というのは、夏のメルカートに向けた鍵となる言葉になるかもしれない。
 
 個人的な見解で言えば、現時点で本田が来シーズンもミランに残る可能性は60パーセントくらいだと考えている。しかし、これからの数か月でその数字が大きく変わることも大いにありうる。本田自身の出来だけでなく、その他の要因も大きく関わってくるだろう。
 
 何より大きいのは、監督だ。ミランがチャンピオンズ・リーグ出場権を得られる3位に入るか(もはや無謀な目標だが……)、少なくとも5位に入るかコッパ・イタリアで優勝するかしない限り(セリエA5位とコッパ・イタリア優勝チームはヨーロッパリーグ出場権を得られる)、ミハイロビッチの続投は難しいだろう。そうなると、後任監督によって本田の立場も大いに変わってくる。
 また、クラブの財政状況も無視できない。昨年6月に基本合意したビー・タエチャウボルへのクラブ株式売却は、いまだ正式決定していないのだ。オーナーのシルビオ・ベルルスコーニは「彼との取引はまだ決裂していない」と語っているが、ここにきて中国やアラブの資本との株式売却交渉が囁かれている。
 
 フィニンベスト(ベルルスコーニ保有のミランの持ち株会社)の資金だけでは、もはや補強もままならない。ミラニスタはこの冬にも陣容のテコ入れを期待していたし、私もセントラルMFに実力者を迎えるべきだと考えていたが、実際に加入したのはシャルケと契約解除してタダで獲得できたケビン=プリンス・ボアテングが加わっただけだった。
 
 ルイス・アドリアーノの江蘇蘇寧行きが土壇場で破談となり、強化資金が得られなかったこともあり、むしろスソやアレッシオ・チェルチ(いずれも→ジェノア)、ナイジェル・デヨング(→LAギャラクシー)など余剰人員の整理に力を注いだのだ。
 
 こんな状況下にあるため、夏には向けては、「次のメルカートでは別資本からの投資があるのか?」、「それともまたフィニンベストだけで補強をしなければいけないのか?」、「右サイドの選手を獲得するのか?」、「システムはずっと4-4-2なのか?」など、現時点では答えようがない不確定要素が渦巻いている。それらの答が出たときになってはじめて、本田のより明確な将来も見えてくることだろう。
 
 この冬にミランは前述した通りチェルチを放出したが、代役を補強しなかった。少なくとも現時点では、本田を信頼しているからだろう。唯一の新戦力となったボアテングはいまのところ、右サイドよりもセカンドトップや左サイドでより多く起用されている。
 
 いまの本田にできることは、レギュラーとしてコンスタントに出場し、結果を残し続けること。とりわけミハイロビッチの言う通り、セリエAでは1年4か月も遠ざかっている「ゴール」が何よりも求められる。
 
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
 
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。