本能寺の変という未曾有の事態を、秀吉はどう捉えていたのか。歴史家の磯田道史氏は「残っている書状を見るに、秀吉は主君・信長の死を、即座に自身の飛躍のための天与のチャンスだと捉えていた。天下人になったのもうなずける、状況の適確な見定めといえる」という――。(第3回)※本稿は、磯田道史『豊臣兄弟 天下を獲った処世術』(文春新書)の一部を再編集したものです。歌川貞秀作作「太平記之内山崎合戦競先鋒図」。1582年