艦名の由来は三重県の伊勢神宮に関係しているそう。対艦、対潜、対空、さらには物資や兵員の輸送まで奔走軽巡洋艦「五十鈴」の先頭部。今から100年あまり前の1921(大正10)年10月29日。旧日本海軍の軽巡洋艦「五十鈴」が進水しました。同艦は駆逐艦を多数率いて戦う「水雷戦隊」の旗艦として運用するために建造された「軽巡洋艦」の1艦です。旧海軍が設計した天龍型、球磨型に次ぐ第3世代の「長良型」の2番艦として計画され、