深刻化する中国の海ゴミ問題

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 海ゴミの問題が深刻化している。年間800万トンもの大量のプラスチックごみが海に捨てられ、海洋汚染が進んでいるのだ。

 プラスチックは自然では分解されず、魚や海獣が食べ物と間違って飲み込み、死亡する例が後を絶たない。プラスチック製のシート類が海底に沈むとその下でバクテリアが繁殖できずに有機ゴミの腐食が始まり、ヘドロ化してしまうし、海藻類の生育にも影響が出る、

 国際的に海ゴミ問題をどう解決するかが取り沙汰されているが、その主な排出国は20カ国。2010年度に米ジョージア大学の環境工学者ジェナ・ジャムベックらが行った調査によると、そのトップは中国。230万トンで、2位のインドネシアの90万トン、3位のフィリピンの10万トンに対して圧倒的なのだ。

 中国の人口や急速な工業化を考慮しても、この量はあまりにも多い。海ゴミ問題は国際社会が中国にプラスチックゴミの海洋投棄をいかにしてやめさせるかという問題だと言っていい。

 中国がなぜゴミを捨てるのか? そもそもが中国では誰もが平気で道にゴミを捨てる。ベトナムに行った時、ある区域から突然に道にゴミが増え始めて驚いたが、そこからが華僑の生活エリアだった。中国人には公共心や互助精神があまりないらしく、中国発のニュースとして、倒れた人を助けたら助けた人が治療費を請求された、溺れる子供を前に謝礼の交渉を始め、その間に子供が溺死したなど極端な個人主義が報じられる。

 春節に合わせて日本に来た中国人観光客の盛大な買い物がテレビや新聞で取り上げられていたが、彼らは口をそろえて、中国製は信用できないので日本で買うのだと言う。日本のメーカー製品でも中国で売られているものは信用できないらしい。

中国人の公共心の欠如は何に由来するのか?

 中国人の公共心や互助精神、信用の欠如は何に由来するのか? その文化的背景を安全保障に関する日中関係のセミナーで聞くことができた。

 中国には易姓革命、天子=統率者の徳が無くなった時に支配者が交代するという考え方がある。そのために権力が変わりやすく、新しい権力者に迎合できなければ、失職や投獄、死罪になることもある。

 だから中国の官僚は権力者がどうであろうと依存するし、一方で自己保身のために不正に蓄財することに躊躇しない。共産党独裁の現在も、不正蓄財を海外口座に移したり親族を国外に移住させて保身を図る官僚(裸官と呼ばれる)が問題になっているが、その腐敗構造のルーツは歴代王朝の施政にまでさかのぼるわけだ。

 中国ではこうした官僚や元官僚の権力者、地主らが士大夫と呼ばれる階級を作り上げてきた。士大夫を中心に血縁者、近縁者が連なり、門閥を作る。中央権力とは別の権力機構である門閥が、中国人の所属する共同体なのだ。彼らの共同体は血縁であり、民族や国家といった共同体はあくまで名目に過ぎない。

 日本では地縁が優先する。村社会と言われ、同じ村に住むという地縁が村民を結び付けてきた。村は自治共同体であって、村では共同作業が当然だった。だから村八分といった制裁が機能したわけだが、中国での村は行政単位に過ぎず、中国人に日本人のような村意識はない。村に対する帰属意識が希薄なのだ。

 都市化が進むと、門閥に代わって、同郷の出身者があつまった同郷団体や仕事を同じくする同業団体、秘密結社(青幣や紅幣)が台頭するようになる。こうした団体も加入者だけが利益を得ることが目的で、組織に奉仕するという意識も国家に帰属する意識もない。

 庶民がてんでばらばらに作った利益集団を権力者が力によって支配する、それが中国社会だ。中国社会の根底には、国家や社会に対する不信がある。庶民は恐いから国に従うだけで、国家への忠誠心や帰属意識はまったくない。自分の属さない団体や門閥に対しても同じことだ。

身内以外の他人を信用しないため、ややもすれば社会が不安定化するが、中央政府はそれを力で押さえつける。道徳心や公共性があったら、そうした専制を生き延びることはできないだろう。見て見ぬふりができなければ、殺されてしまう。極端な個人主義は庶民の知恵だったのだ。

 だから事故があってもなくても、中国人は自国の製品やメーカーを信用しない。メーカーにも日本のような顧客第一主義は望むべくもない。日本の小売業にとって、中国人はいいお客さんではあるが、自国商品をまったく信用しない国民というのも哀れな気がする。

(文/川口友万)