恐るべき"セメント試合”に団体側の責任を問う声も

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 女子プロレス団体「スターダム」の後楽園大会(2月22日開催)で、同団体の王者・世?虎(よしこ=21)が挑戦者の安川惡斗(やすかわ・あくと=28)にケンカマッチを仕掛けた騒動が波紋を広げている。

全国ニュースも取り上げた顔面崩壊の衝撃

 開始前から両者の因縁が渦巻いていた試合は、安川がロシアンフックを放ったことで大きく動いた。激高した世?虎が執拗な顔面パンチを見舞い、安川は頬や鼻、左眼窩底を骨折。タオル投入でTKO負けとなった安川は血まみれで病院に搬送され、美形レスラーとして知られる彼女の顔面が無残に崩壊した様子はプロレスファン以外にも衝撃を与え、全国ニュースで取り上げられるほどの騒ぎとなっている。

 プロレスは命がけの危険な技の攻防が繰り広げられる世界だが、今回のように故意に相手を負傷させるような行為はタブー。プロレスの暗黙のルールを逸脱しており、さらには観客を置き去りにした凄惨な試合だったためにファンから批判が集中し、業界内からも団体の管理責任を問う声が寄せられている。

 しかも安川はもともと白内障で右目の視力がなく、昨年手術して人工レンズを入れたばかり。その右目周辺が変形するほど腫れ上がっていたため、容態を心配するファンからは「これは傷害事件」「暴行容疑で告訴するべき」との意見まで上がった。幸いなことに両目の網膜浸盪症(しんとうしょう)と診断されながらも失明の危険はないとのことだが、一歩間違えれば取り返しのつかない事故になっていたのは間違いない。

 同団体は25日に緊急会見を開き、ロッシー小川代表が世?虎の無期限出場停止と王座剥奪を発表。小川代表と風香ゼネラルマネージャー、プレイングマネジャーの高橋奈苗の3か月間30%減給も決まった。また、改善策として「顔面パンチ禁止の名文化」「リングドクターを本部席に置く」「選手会長の設置」の3点が発表された。

 はっきり言ってリングドクターと選手会長の件は「今までなかったのか?」と驚いてしまう内容だが、団体としての基礎がなっていない小規模団体では残念ながら珍しいことではないようだ。

凄惨マッチの裏側にレスラー同士の確執

 それにしても、なぜ今回のような事件が起こってしまったのか。

 試合前、安川がインフルエンザで調印式を欠席したことをめぐって双方が舌戦 を展開していたが、それだけならばプロレスの演出としてよくあることだ。

 だが、二人はプライベートでも確執があったといい、安川がスポーツ紙に語ったところによると「話や練習に付き合ってもらえなくて、気に食わない存在なんだろうとは思ってました」という状態だったようだ。

 特に世?虎が安川に対して思うところがあったようだが、いずれにせよ、個人的な感情が交錯したことで生まれた悲劇だったといえそうである。また、試合を裁いたレフェリーが他団体所属の和田京平氏だったことも事態の悪化に影響しているだろう。

「最近は『プロレスの試合は全て台本』なんて言い方もされますが、そんな単純なものではない。ただでさえ、金銭問題や個人のプライド、各々の理想の違いなどが交錯する世界。そんな中で人間同士が直接肉体をぶつけ合うのだから、予想外の事態はつきものです。そういったシリアスなアクシデントすらも『アングル』と呼ばれる演出に昇華してしまう懐の深さが、ほかのスポーツにはないプロレスの魅力の一つでもある」(スポーツライター)

プロレス界で勃発する「セメントマッチ」

 近年はイケメンレスラーやユニークなキャラ系レスラーが増加し、プロレス会場に女性や子どもが増えている。だが、その一方で今回のような凄惨な「セメントマッチ」が度々勃発するのも事実だ。

 最も有名なセメントマッチとして知られるのは、1954年に行われた力道山VS木村政彦の試合。当初の取り決めでは「引き分け」で終わるはずだったが、試合途中で力道山が突然本気のストレートパンチを見舞い、面食らった木村は張り手の連打を受けるなどしてそのまま血まみれでKOされた。いわゆる「騙し討ち」だったとされているが、真相は謎の部分が多い。また、86年に新日本プロレスで行われた前田日明VSアンドレ・ザ・ジャイアントなどもセメント試合の代表格とされる。

 女子プロレスでは、87年に柔道出身の神取忍が元ビューティ・ペアのジャッキー佐藤に仕掛けた試合が有名。団体内トラブルによる不仲が原因とされ、プロレスデビュー1年ほどの神取が団体のエース格だった佐藤に対して打撃や関節技で一方的に攻撃し、戦意を喪失させた。生涯唯一となるギブアップ負けを喫した佐藤の顔面は腫れ上がって肩は脱臼。後日、神取は「勝つことではなく相手の心を折ることを考えてた」と試合を振り返っており、これが現在一般的にも使われる「心が折れる」の起源になったとされる。

 また、93年にはバラエティー番組の企画によって宝塚歌劇団風のキャラクターで再デビューしたLLPW(現LLPW-X)のジェンヌゆかりに対し、その企画やエンタメ路線に反発した対戦相手の遠藤美月が激怒。急にセメントを仕掛けて相手を蹴りまくり、戦意喪失した後も執拗に攻撃を見舞うなど制裁を繰り広げた。

顔面崩壊事件で問われる団体の姿勢

 セメントマッチであってもリング上だけで決着がつけば大きな問題はない。だが、今回は一般メディアでも大きく取り上げられるほどの凄惨さになってしまった。これは当事者だけの問題ではなさそうだ。

「予期せぬセメントが起きることも含めて『プロレス』です。特に、若くしてスターになる女子プロレスでは感情が先走ってしまうのも仕方ない部分がある。そういったリスクから選手を守るのは団体の役目。世間では世?虎選手を責める声が多いですが、試合前から不穏が空気があったのですから、すぐにアクシデントに対応できる体制を準備していなかった団体側の責任が大きいでしょう。試合が成立しないほどの確執のあった二人を対戦させたことにも問題がある。リングドクターが常駐していなかったという事実も選手を守る団体としてはお粗末」(前同)

 スターダムは女子プロレス界の中心といえる団体だけに、「これをきっかけに業界全体がしっかと変わっていかなければ、女子プロレスそのものが衰退してしまう」(前同)という声もある。

 最新号の『週刊プロレス』(ベースボール・マガジン社)が血だらけの安川の写真を表紙にしたことに対し、現役レスラーやファンから非難の声が集中するなど騒動は収束する気配がない。だが、見方を変えればこれは業界全体を巻きこんだ女子プロレス界の久々の大きなトピックである。また、いじめや難病を乗り越えた安川の壮絶な半生を追ったドキュメンタリー映画『がむしゃら』(3月28日公開予定)の公開が近づいているタイミングでもある。この窮地をどう打開していくかによって女子プロレスの未来が大きく変わりそうだ。

(取材・文/佐藤勇馬)