自陣からの正確なフィードで先制点の起点となった田中。熱い思いがチームの原動力となった。(C) SOCCER DIGEST

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 タイムアップの瞬間、田中隼磨はユニホームを脱ぎ、白いアンダーシャツ一枚になった。背中には「3」の数字が、胸には「ありがとう 松田直樹」と記されていた。
「いち早く彼に報告したかった」
 
 試合前に、故松田直樹(以下、松田)の姉と電話で話し、決戦の舞台となった地は、松田が生まれた場所だと知った。
「そういった場所でこうして昇格できるのも、なにかの運命だったのかなって」
 
 勝てば無条件でJ1昇格が決まる試合で、松本は敵地で福岡を相手に2-1で勝利を収めた。後半に船山貴之と山本大貴のゴールで2点のリードを奪い、その後、PKによる失点で1点差に詰め寄られるも、最後はパワープレーに出る相手に対し、チーム一丸となってゴールを守り抜き、3試合を残した時点で自動昇格の2位を確定させた。
 
 57分の先制点の起点となったのは、田中だった。自陣深くから前線にロングフィードを送ると、山本と相手DFが競り合い、そのこぼれ球を拾った船山がドリブルで仕掛け、右足を振り抜いてネットを揺らした。
 
 田中の正確なフィードは、利き足ではない左足から放たれたものだった。右足の膝はもう、限界だった。5月の磐田戦で痛め、治療のために一時離脱する選択肢もあったが、「自分の膝、自分のサッカー人生より、このチームを昇格させるんだって思っていた。正直、悪化もしているし、もうボロボロだけど、後悔はしていない」と、痛みを堪えながらここまで戦ってきたことを試合後に明かしている。
 
 己のすべてを懸けて、ピッチに立ち続けた。どんな時でも闘志をむき出しにし、身体を投げ出して相手に食らいつき、ルーズボールにも果敢に飛び込む。仲間を叱咤し、励まし、冷静さを失わず、全力で右サイドを疾走する姿は、この試合でも変わらなかった。
 
 そんな田中の奮闘を、かつて横浜でともにプレーし、今は福岡に所属している坂田大輔はこんな風に語ってくれた。
 
「J1でプレーできただろうけど、あえて地元のチームを選んで、マツさんの想いを引き継いで、3番を背負って戦っている。そこは、変な言い方かもしれないけど、僕らも感謝しなければいけない。マツさんにお世話になった人間は、僕も含めて数知れないぐらいいますし、恩返しというか、いろんな想いを持ってピッチに立てるのは選ばれた人しかできない。そういう意味で、隼磨は戦ってくれている。マツさんの想いは、この松本山雅というチームに今もあって、そこに関しては、僕は山雅のサポーターにも感謝したい」
 田中自身、松本にとって特別な存在である松田が付けていた背番号3を背負うこと、その重みについて「いろんな感情がある」と言う。最初は賛否両論があったらしい。“なんで隼磨が付けるんだ”という意見もあったという。しかし。
「俺はそういうのに負けたくなかった。マツさんと、マツさんの家族が後押ししてくれる限り、やろうって思っていた」
 
 その強い使命感、そして松本というチームへのまっすぐな想いが、揺るぎない原動力となり、傷ついた身体を次の一歩へと突き動かした。
 
 79分、PKを与えるファウルを犯してしまった大久保裕樹が無念の表情で座り込む。喜山康平は判定に納得できていない素振りを見せていた。その両者にいち早く声をかけ、切り替えさせたのも、田中だった。
「2-1になった時、ここで試練を乗り越えられれば昇格できると強く思った。それは選手みんなに伝えた。切り替えて、自分たちの仕事をする。そのことしか頭になかった」
 
 松本のふたつの得点シーンを振り返れば、「素晴らしいよね。山本も船山も。本当にチームのために戦って、ゴールしてくれた。本当に最高だよ。最高の仲間を持った」と惜しみない賛辞を送る。右膝の怪我のことは、チームメイトにも言ってなかった。孤独な戦いだったかもしれないし、本来の自分のプレーができないもどかしさ、歯がゆさ、悔しさもあったはずだが、気持ちだけは絶対に切らさずやっていけば「必ず結果は出ると思っていた」。
 
 田中の存在が、松本をより高みへと引き上げたのは間違いない。チームのためを思い、時には仲間たちに厳しいことも口にしてきた。
「俺はいいんだよ、嫌われ役で。みんなに文句を言ってね。みんなうるさいなって思ってるよ」
 
 J1に昇格させるため、一切の妥協を許さなかった。自分にも、仲間にも。その厳しさ、暖かさが、松本に最高の歓喜をもたらした。
 
取材・文:広島由寛(週刊サッカーダイジェスト)