高齢化によって生じている本当の問題は何か?/川口 雅裕
「老いの工学研究所」のホームページに掲載したコラムを転載しました。

老いをネガティブに捉えている人にとっては意外だろうが、NPO法人「老いの工学研究所」による高齢者研究は、高齢期に幸福感が向上していくことを指摘している。

設問「人生を振り返り、各年代の幸福度を100点満点で評価してください」



実は、国内外の諸研究でも同じような結果が出ている。高齢者は健康を損なったり、身体的機能が衰えたりする。あるいは仕事を引退して収入が減ったり、活動範囲が狭まって刺激がなくなったり、家族や友人・知人との別れを経験したりする。普通に考えれば、幸福感は低下するはずなのに、実際には幸福感が向上していく。この現象は、「幸福感のパラドックス」(または「加齢のパラドックス」)と呼ばれている。

●ではなぜ、高齢期に幸福感が向上するのか?

このパラドックスについて、様々な研究者によって試みられた説明には、以下のようなものがある。

1.離脱(世俗から離れることによる幸福)

高齢者は社会活動から離脱し、活動範囲を縮小する。しかしこの為に人との比較から生じる「できない」という否定的感情を持つ機会が自然に減少する。これが、幸福感が維持される理由である。

2.活動(新たな取り組みによる幸福)

高齢者は、それぞれの環境に見合った新しい役割や居場所を見出し、自律的に社会活動を再開している。これが、幸福感を維持する理由である。

3.継続(強みの発揮による幸福)

高齢者は、自身の過去の経験や社会関係を、その後も継続的に活かすような活動を行っており、社会もそれを認め、受け入れる。だから、幸福感を維持できる。

4.最適化(目標に対する態度による幸福)

高齢者は、肉体的精神的衰えに従順になる傾向があり、この為柔軟に目標を変え、また目標の達成に執着しすぎることがない。集中するべき目標を適切に選び、仮にそれが達成できなくても、自己否定することなく、上手に自己を最適な状態に調整できる。現状に対する最適化によって幸福感を維持している。

5.発達(精神的成長による幸福)

高齢者の幸福感は、「仕事や役割に執着せず、引退を受け入れる」「身体的健康に執着せず、衰えを受け入れる」「死に対しても、逃れられないものとしてそれを受け入れる」という精神的に高次の段階に至ることによって得られている。

6.老年的超越(精神的超越による幸福)

高齢者は、まず身体的・社会的に限界が生じることを自然に受容する。さらに、死にする恐怖心ではなく、生と死について新しい認識を持つ。利己主義から利他主義へ移行し、人間関係における深い意味を見出す。このような超越的次元に移行することで、幸福感を維持する。

●高齢化による問題は何か

そもそも、高齢化は現実的現象であって克服しなければならない『問題』ではない。高齢者がこのように年とともに幸福感を持ち得るならば、高齢化とは幸福な人の割合が増えることなのであって、なんの問題もないはずである。『問題』は、あくまで社会的・経済的な側面に過ぎない。高齢者ばかり幸福なのは問題だという次世代の意見もあろうが、高齢者も昔は幸福感が低かったわけで、高齢期まで待てばよいだけの話だ。しかし、待っても幸福感が高まらなかったとしたら、それは『問題』となる。そして今、それが現実になろうとしている。

まず、「離脱理論」「活動理論」が示すのは、世俗から離れた隠居生活や、引退して自分の好きなことだけに取り組む姿勢が高齢者の幸福感を高めるということだが、それは、これまでと同水準の社会保障を前提としており、今後は現実的でない。社会的要請として引退せず仕事を続ける人は増えるだろう。引退・隠居できず、また現役時代と同じように、好きなことだけ取り組むわけにはいかないとすれば、高齢者の幸福感は向上していかない。

次に、「継続性理論」が言うように、強みを発揮し続けられればよいが、それも難しいと思われる。昔たくさんいた腕に覚えのある職人、自分の技で飯を食ってきたスペシャリストは、減る一方だからだ。組織の中で様々な分野の仕事に携わってきた結果、浅く広く何でもできるが、これといった強みを自覚できない人が増えた。加えて核家族化や地域の結びつきの弱体化により孤独に生きていかざるを得ない状況もある。結果、強みを発揮している実感がない、自分らしい居場所が見つからないから、幸福感は向上しない。

「最適化理論」「発達理論」「超越理論」ような、ものごとの捉え方、考え方のレベルの高さ、成熟や超越を獲得できるかどうかという観点ではどうだろう。身体的な衰え、様々な限界、その先にある死から逃げず、抗わず、しっかり受け入れる。そうして成熟・超越の境地に至り、高齢者は幸福を味わうことができるという考え方だが、これは今、多くの人が関心を向けるアンチエイジングやピンピンコロリのような若々しさを維持しようとする姿勢とは逆で、かつ次元が異なっている。精神的成長・成熟には目を向けず、健康や外見にばかり気をとられているようでは、衰えていくのは当たり前なので否定的な感情を持ちやすく、幸福感の向上は望むべくもない。

要するに、ご隠居モデル、生涯一職人モデル、超越老人モデルによる幸福は、だんだんと難しくなってきており、このままだと次世代が高齢者になる頃には、「幸福のパラドクス」は消えてなくなってしまう(年とともに幸福感が低下していく)可能性がある。これが、高齢化の本当の問題ではないか。そして、この問題の解決のためには、新たな高齢者の生き方モデルを共有する必要があるのだろう。

高齢化率は、1980年代には10%に満たなかったが、現在24%を超え、2025年には30%に達する。30年前は、10人に1人だった高齢者が、4人に1人となり、10年後には3人に1人となる。例えば、年寄りのわがままや身勝手は、10人に1人なら構わないが、3割もいれば見過ごせなくなる。だから、規範を意識し、自律的で、尊敬に値するような言動が求められる。弱者として支援や施しを受けるのをよしとしない、自立した姿も大切だ。3割もの弱者がいる社会が、楽しく、活性化しているはずがないからである。現役世代2人が高齢者1人を支えるのは無理なのだから、高齢者が戦力でいつづけるのも重要だ。高齢者は豊富な経験に基づく知恵や能力を持っているのだから、様々な形で社会や地域へ貢献できるし、それは責務と言えるだろう。このように、人口構成が変われば、高齢者の生き方も変わらざるを得なくなるという面もある。

過去からの連続ではなく、まったく新しい局面を迎えているという自覚を持って、新たな高齢者の生き方モデルを構築する。これが、急がねばならない課題なのだ。

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