安倍政権の掲げる規制緩和策とそれに対する議論の中には非常に理解しにくいものがあります。それは元々の規制そのものの狙いや意義が曖昧である場合に生じがちであり、それに対する規制緩和も様々な思惑が絡んでいることで、さらに複雑怪奇な様相を呈してきます。この典型が混合診療の対象拡大に関する議論です。

まず日本の医療における“混合診療”とは何なのかを簡単に説明します。ご存じの通り、日本は「国民皆保険」の制度がある国であり、健康保険対象の治療なら自己負担は1〜3割程度です(世代によって変わります)。しかも高額療養費制度のおかげで、半年入院しても自己負担は50万円程度で済みます。

その上で、治療には公的医療保険が適用される「保険診療」と、保険が適用されない「保険外診療」の2種類があります(歯の治療で銀歯をかぶせるなら保険でやってくれますが、金歯なら保険外となる、あの違いですね)。この公的医療保険を使った診療と保険外診療を併用することを混合診療と呼びます。

現状、日本では混合診療は原則的に認められていません。もし既に保険診療を受けていても、その治療の過程で保険適用が認められていない治療や投薬を一部でも受けると、本来は保険診療で済むはずだった治療(検査〜入院〜手術〜投薬)の費用がすべて保険の適用から外れ、全額が自己負担となるという仕組みになっています。

(実は小泉政権時代から水面下で検討が続いてきたのですが)政府は先般、混合診療の対象を拡大する法案を提出しました。法案が通過すれば、2016年から「患者申出療養(仮称)」という新たな制度がスタートします。

この法案の中身自体の問題も色々あるようですが、その前にそもそもなぜ“混合診療”が禁止されていたのか、そして今回の規制緩和に対し医師会などが反対していたのでしょうか。報道では「混合診療を認めてしまうと金持ちしか良い医療が受けられなくなる」「国民皆保険制度が崩壊してしまう」「健康保険の質が下がるのではないか」といった懸念が典型的に挙げられていましたが、その理屈をきちんと理解できていた方はどれほどいたのでしょうか。幾つかの新聞記事や雑誌記事、ウェブサイトにおける識者のコメント・解説を読んでもなかなか理解できないという声が少なくないのです。

“混合診療”反対派の人たちのほうがプロパガンダに熱心で、色々と記事コメントやブログが書かれているのですが、その大半が結論ありきで、論理破たんしているか、あるいは(うっかりなのか、わざとなのかは分かりませんが)論理の飛躍があるからです。

例えば、日本医師会のホームページ(HP)には次のように記されています。

<<一見、便利にみえますが、混合診療には、いくつかの重大な問題が隠されています。例えば、次のようなことです。

(1)政府は、財政難を理由に、保険の給付範囲を見直そうとしています。混合診療を認めることによって、現在健康保険でみている療養までも、「保険外」とする可能性があります。

(2)混合診療が導入された場合、保険外の診療の費用は患者さんの負担となり、お金のある人とない人の間で、不公平が生じます。

(3)医療は、患者さんの健康や命という、もっとも大切な財産を扱うものです。お金の有無で区別すべきものではありません。「保険外」としてとり扱われる診療の内容によっては、お金のあるなしで必要な医療が受けられなくなることになりかねません。>>

さて、ここに記された3段論法は納得できるものでしょうか。(1)については、そもそも安倍政権がこの問題を提起している意図が財政的理由であることを示唆しており、その上で「財政難に苦しんで保険の給付範囲を見直したい政府は、今は保険適用になっている療養までも保険外とするかも知れない」と懸念を煽っているわけです。その結論に同意できるかどうかは別にして、この部分は論理がシンプルで理解できますよね。

問題は(2)です。「混合診療が導入された場合、…」と言っているわけですから、それ以下の部分については、混合診療が導入されていない現在は逆の状況のはずです。しかし混合診療が導入されていない現在も、「保険外の診療の費用は患者さんの負担」であって、「お金のある人とない人の間で、不公平が生じ」ているのは全然変わりません。

むしろ現在の制度下で混合診療が禁止されている状態のほうが本来保険適用になる診療まで保険外になるため、多くの人が最先端の高度治療をあきらめざるを得ないというのが実態ではないでしょうか。でもお金持ちの人はそんなことを気にせずに最先端の治療を受けているはずです。つまり、今もお金のある人とない人の間で不公平が生じており、それは混合診療が導入されることで新たに生じる弊害ではありません。(2)の部分は全く論理が破たんしていると言わざるを得ません。

すると3段論法の最後、(3)もまた論理が怪しくなります。「医療は、…。お金の有無で区別すべきものではありません」という一文自体は「そうだ、そうだ」と言いたくなる、もっともらしい言い回しですが、そもそも「混合診療が導入されると、お金のある人とない人の間で不公平が生じる」という(2)のロジックが間違っている限り、それを前提にした(3)の理屈にも誤魔化しがあるかもと警戒したほうがよさそうです。

さて(3)の最後では、「『保険外』としてとり扱われる診療の内容によっては、お金のあるなしで必要な医療が受けられなくなることになりかねません」と結論づけています。ここで(1)と(2)がドッキングするわけです。この一文は実は非常に重要で、深い示唆を持っています。(1)でいう「政府は、今は保険適用になっている必要な療養までも保険外とするかも知れない」という懸念がもし現実化すれば「お金がないと必要な療養でさえ受けられなくなる」という事態が生じるぞ、と脅しているわけです。

そう解釈すれば、(3)自体は正しい理屈といって差し支えありません。むしろ(1)からすぐに(3)に来たほうがロジックはすっきりしています。でもそれだと単に「政府は財政が厳しいから必要な療養でさえ保険外としたがっている。するとそのうちに金持ち以外は必要な療養を受けられなくなるぞ」という将来への懸念の表明にしか過ぎず、混合診療への反対につながりにくいと医師会は考えたのでしょうね。

何としても混合診療には反対したい、しかしその背景である医療費高騰の一端は自分たちにある、自分たちには非難の矛先が向かないように庶民の味方だと見せたい、といった心理が働いていたのかも知れません。多少強引であっても「混合診療導入=金持ち優遇」というロジックを入れたかったようです。

ではなぜ医師会はそれほどに混合診療に反対したいのでしょうか。これを説明してくれないので、医師会の主張には胡散臭いものを感じる人が多いのではないでしょうか(小生もその一人でした)。

周知のことかも知れませんが、日本医師会は主に開業医の意見を代表しがちです。つまり開業医としては今の制度がベストなのに、混合診療の導入によって不都合な事態が生じると感じているようです。それは具体的にはどういうことでしょうか。個人のジャーナリストや医師の方々がご自分のブログで解説されているのが参考になります。

それらによると、混合診療で高度医療が認められると今よりずっと多くの患者が保険外の高度医療を求め、総合病院ではそれにチャレンジするところが出てくる、すると最先端の高度医療に取り組む気のない年取った開業医は患者を奪われる、ということを懸念しているのだと段々分かってきます。つまり「競争原理を導入されてはかなわん」という素朴な反発です。但し、保険適用でも保険外でも高度医療が必要な事態になれば、しょせんは大半の開業医の手には負えないので、これは杞憂と云えます。でも実際に多くの開業医が懸念しているのはこちらの理由のようです。

もうひとつはもっと深読みしたものです。混合診療を全面解禁すれば、将来的には保険診療の範囲が縮小されると予測しているのです。その前提として、混合診療で高度医療を認めるようになれば、民間保険で自由診療分をカバーするように人々は動くだろうという想定がされています。事実、保険会社はその準備を始めています(だからこそ混合診療賛成派のサポート役には保険会社の人たちが陣取っているのです)。彼らにとっては大きなビジネスチャンスなのです。

そして実際に混合診療が解禁されたらどうなるでしょうか。まず直近では、今まで公的健康保険適用となる診療だけで我慢していた人たちの何割かは、民間保険を使って混合診療を受けるようになるでしょう。たとえば検査は公的保険を適用し、その後の診療は民間保険でカバーされる高度医療を受ける、という具合です。すると公的健康保険適用部分は相当程度減ることになりますね。

これが健康保険組合と政府にとって、混合診療を導入したい最も強力な理由です。混合診療解禁派の人たちも、「混合診療を解禁すれば、保険診療を縮小できて、公的保険財政が健全化する」と明言しています。でもそれは、公的健康保険に依存し高度医療と関係のない開業医からすると、自分たちの取り分が減ることにつながるわけですね。だから医師会は混合診療の解禁に反対しているのです。どうですか、腹落ちしましたか。

こう考えると、先ほどの日本医師会のHPに記載されていた(2)は次のように書き換えたほうがロジックはずっと分かり易くなります。すなわち「(2)混合医療が導入された場合、多くの患者さんが民間保険を活用して(健康保険外で)高度な診療を受けるようになり、健康保険適用の診療の割合が縮小することは明白です。それでは開業医としては困りますし、民間保険に加入する余裕のない人と余裕のある人との間に不公平が生じます」と。

ではさらに混合診療が浸透すると、どういう事態が想定されるでしょう(ここからは仮説のシナリオです)。人々が少しずつ「基本的な医療は公的な健康保険で、高度な医療は民間保険で」という感覚に慣れていくかも知れません。すると今まで「国民皆保険こそがニッポンの誇るべき制度だ」と主張していた政治家や厚生官僚も、「じゃあ財政的に無理して何でもかんでも保険適用をしなくてもいいよね」と緊張感を無くしていくかも知れません。国内や海外で開発された新しい治療法が、混合診療の浸透によって、承認はされるが健康保険適用はされないままというケースが増えるかも知れません。

これがまさに、先の(1)の延長上に起きる可能性が十分あることであり、(医師会や一部開業医の思惑とは別に)良心的な医師たちが危惧していることなのです。つまり、新しい高度治療法と薬が公的保険対象にならないままというケースが増えることは、民間保険に入れる世帯と入る余裕のない世帯との間で医療格差がさらに広がることです。決して他人事ではありません。ここに対する歯止め(つまり新しい高度治療法と薬でも必要なものは速やかに公的保険適用対象とする努力を続けること)こそが、混合診療導入の是非に際して議論すべき論点のはずです。

こうした「こうなると、次にこうなるよね」といった推測を交えた影響の議論は確かに難しいものですが、ビジネスの世界ではごく普通の議論です。その際のロジックをすっ飛ばして自分の言いたい結論だけいう人は(絶対権力者でない限り)、噛み砕いての説明を改めて求められます。国民の医療保険制度という重要な議論なのですから、論点と論理を明確にして、丁寧な議論をしていただきたいものです。