あの日、齋藤学の冬のドイツ移籍になぜ反対したのか
ブラジルW杯の大会公式パスを持つ記者の数は、開催国ブラジルが最多らしい。だが、2番手、3番手を争うのは日本だという。マーケットとしての価値も認められてのことだろうが、記者の数で言えば、日本はサッカー大国の部類に入る。
特筆すべきはフリーランスの記者の数だろう。これは世界で最も多く、例えば世界王者スペインのフリーランス記者はいわゆる大御所レベル、片手で数えられるほどしかいない。日本は発行されているサッカー雑誌の数が非常に多く、ウェブ情報も充実している。そこで、海外在住の通信員も含めたフリーランスの人間たちが幅広く仕事を得られているわけだ。
では、フリーランスのスポーツライターはどのような取材活動をしているのか?
そう尋ねられる機会は少なくないが、一般論で説明するのは難しい。傭兵とも言えるフリーランスには、いくつもの形があるからだ。
僕に関して言えば、選手や関係者と深くコミットするタイプの取材者だろう。選手の人物ノンフィクションでは、関心を抱いた選手の性格や行動や思想にシンクロする部分を見つける場合が多い。その個と個の戦いにまず憧れ、次に敬意を表すると同時に批評も叱咤もし、その物語を紡いでいく。もちろん、そのやり方が正解かどうかはわからない。
そもそも自分は異端だ。例えばミックスゾーンでの記者は一人の選手を複数で取材する"囲み"が定石だが、僕は基本的にそこに参加しない。"一対一で選手と対話することで独自の物語を書く"という信条がある。無論、そのためには厚い信頼関係を築く必要があるが、それは望むところである。
もっとも、ライターと選手は"仲良し"であってはならない。
「コミヤさんじゃなかったら、ぶん殴っている」。某選手に苦笑されたほど、僕はプレイに関しては直言する。それで嫌われてしまう程度なら、縁がなかったと割り切る。僕は彼らと対等に話すためにスペイン、バルセロナへ渡った。欧州の最前線で5年間取材活動をすることで、批評するための"拠り所"を得たつもりだ。
全力で自分の問いをぶつけ、それに選手が答えてくれるか――。真剣で打ち込むような勝負からしか、人の心を動かす話は生まれてこない。そして多くの場合、優れたアスリートは寛大な心を持ち、誠実な意見に耳を傾ける度量を持っているものだ。
しかしどこまで選手とコミットするべきなのか。
2014年12月、日本代表で横浜F・マリノスに所属する齋藤学がドイツ、ボルフスブルクへの移籍で迷っていたときだった。僕は、「今は行くべきではない。リスクが高く、過去にも多くのJリーガーが夏の移籍では成功し、冬の移籍で苦しんでいる」と諫(いさ)めた。
冬の移籍は悪条件が多い。まずJリーグは3〜12月がシーズンで、欧州リーグの8〜5月に参戦するには、長い戦いが終わった後で肉体的負担は相当だ。また、クラブは冬の補強は緊急手当の場合が多く、チーム状態がそもそも悪い上、中長期のビジョンもない。さらにプレシーズンを一緒に過ごせないため連係面は不安で......。
説得する気はなかったし、ましてや従わせる気もない。しかし、直言はする。あるいは、そのやりとりも物語の一片となる。
僕はノンフィクション作家の沢木耕太郎さんの著作に少なからず、影響を受けている。『一瞬の夏』(新潮社刊)で描かれたような選手とコミットし、練り上げていく作品世界というのか。そこにこそ、スポーツノンフィクションライターとしての職業的恍惚を感じるのだ。
かつて僕は、すべてを投げ出すようにして南米に渡り、スペインに行き着いた福田健二というサッカー選手を追い続け、そのノンフィクションを書き上げた。彼はスペイン2部のヌマンシアでチーム得点王になり、栄光まであと一歩だった。僕は「ヌマンシアに残り、1部昇格を狙うべきだ」と主張したが、彼は移籍する道を選び、ヌマンシアは昇格して彼のチームは低迷した。
なにが正解で不正解かは分からない。選手は競技人生が短いだけに、一つの選択が大きく人生を動かす。僕はそこに関わりながら、真摯にその姿を描き出したいと思っている。もっと言えば、僕にはそれしか手立てがない。
6月12日に開幕したブラジルW杯、世界最大のスポーツの祭典で選手たちがなにを体感するのか――。その呼吸を、匂いを、音を、光景を、僕は文字にして綴りたいと思っている。
※この原稿は、ジャンプSQにて小宮良之氏が連載しているコラム『1/11の風景』に加筆修正を施したものです。
小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
