誕生から 8 年たった今も、ユーザーは Twitter のことをよく分かっていない
Twitter がパブリックとプライベートの境界線をどこに引いているのか、ユーザーはいまだに理解に苦しんでいる。
Twitter はリアルタイムの情報と会話によるコミュニティの構築において大変貴重なツールであるが、初心者にとってはいまだに難解な代物だ。
Twitter には、サービスに新規登録した人に使い方を親切に教えてくれるような仕組みがない。自分の公開ツイートが突然有名なメディアに載ったりしたら、さぞかし混乱することだろう。
今月 12 日、Twitter ユーザーの @steenfox は、非常に深刻で個人的なトピックに関する会話で注目を集めた。彼女は「性的な暴力を受けた時に何を着ていたか」という質問をツイートしたのだ。そしてバイラル・メディアの Buzfeed がその会話を取り上げ、公開ツイートされた皆の反応をリストにまとめた。
元の投稿者(@steenfox)とインターネット上の擁護者たちは、Buzzfeed の無神経に思える取りまとめに対して激怒し、公開ツイートをメディアで公表するのは問題があるかどうか、という議論が白熱した。
Look, I understand the joy of the thinkpiece. And deadlines. But Twitter is full of people who are here to talk to each other. Not the world
- Mikki Kendall (@Karnythia) March 13, 2014
もちろん、意見交換の楽しさは理解している。締切に追われるのも分かる。でも Twitter は単にお喋りがしたくて集まっている人ばかりなのだ。世界そのものではない。
法的には単純な問題だ。メディアは人々の公開ツイートを記事内に取り込んでも良い。だが、実際に取り込むべきかどうかというのは完全に別の問題である。
性的な暴力の被害者を特定することは常にジャーナリズムにとってグレイゾーンだ。メディアでは、本人が承認しない限り被害者を特定することはまずない。Buzzfeed は、著者が人々のレスポンスを記事にする前に許可を得ていると主張しているが、元の投稿者は許可していないと言っている。
情報公開サイトが公開ツイートを掲載して炎上したのは、これが初めてではない。2012 年の大統領選の後、Jezebel は国内の十代の若者によって投稿された、人種差別的なツイートをリストにまとめた。これらはみなオバマ大統領を批判し、不適切な呼び方をした内容となっている。その後、同サイトはさらに踏み込み、学校に連絡を取って学生たちを特定し、彼らの人種差別的なツイートについて質問したが、この行為はさすがに行き過ぎだと多くの人に指摘された。
Buzzfeed の記事が公開された後、一部の人たちは一体なぜ自分たちの投稿が使われてしまったのか困惑した。Buzzfeed は最終的に、元の記事に含まれていた 3 つのツイートを削除している。長引く混乱のなかでパブリックツイートの投稿に関する議論が進むにつれて、Twitter が解決するべき問題点が明らかになってきた。手近なツールの使い方を誤解するのはユーザー側の問題だが、新規ユーザーにどうツイートすべきかを正しく教えるのは、企業とコミュニティーの仕事なのである。
Twitter は分かりづらい
今でも世界で一番人気があるソーシャルメディアである Facebook では、知り合いを友達に追加するよう推奨される。そして、知り合いだけで構成された比較的小さなネットワークに向けて個人的な情報をシェアすることで、内輪のコミュニティを育てることが可能だ。プライバシー設定をカスタマイズできるため、投稿やコメントを友達や家族だけが見られるようにすることもできる。また、パブリックに設定したページを持つこともでき、公開情報サイトはそこからステータスの更新を取り込むことが可能だ。
10 億人以上のユーザー数を誇る Facebook の成長要因のひとつは、ソーシャルネットワークの単純化にある。友達、写真、日常の出来事、それは人生の小さな日記帳だ。ユーザーインターフェースも非常に分かりやすい。友達を作り、彼らと様々なことをシェアするだけである。
Twitter でも、新規ユーザーが登録した際にはフォローする人を推奨される。しかしそれは友達や家族ではなく、レディー・ガガやキム・カーダシアンのような有名人だ。そしておそらく、そうした有名人をフォローしたところで相手も自分をフォローしてくれる可能性はない。
平均的な Twitter ユーザーのフォロワー数は 61 人だが、平均的な Facebook ユーザーには 200 人の友達がいる。しかし Facebook の環境は限定され、管理されたものだ。大抵の場合、ユーザーの情報を誰が読み、誰が見るかをユーザー自身が決めなくてはならない。それに対して Twitter は恣意的である。ユーザーがフォローしている人がフォローし返してくれることで、比較的小さいコミュニティが形成できるが、実際にはその公開範囲は限定されていないのである。
Twitter は「インターネット上の町の広場」を目指しているようだが、Twitter 自身がコミュニケーション、つまり人々がそれをどう使うべきかを伝達することに失敗している。
本来、町の広場とは地域の住民が集まるところだ。アイデアを交換し、抗議活動をし、人々が会合を行う場所である。あるときにはウクライナの抗議活動のように、事件が現実に町の広場で起こり、それが Twitter のタイムラインで拡散されることもある。
Twitter はすべての人々に使われているわけではないが、そうなることを望んではいる。最初のうち、Twitter はアーリ・アダプターとスーパーユーザー達を魅了した。そしてその後、彼らによってツールとコミュニティが構築された。例えばハッシュタグは会社ではなくユーザー達によって作り出されたものだ。ハッシュタグを日常的に使う人たちは Twitter のサブコミュニティまで形成し、ごく一部の人にしか理解できない数々のネタ(例えば「Weird Twitter」など) を生み出している。
しかし Twitter にはまだ、サービスを大衆に広めるという課題が残されている。フォロワーだけが見るものと思って個人的な情報をツイートしてしまう等の問題もある。「Twitter について知ろう」というページがあることは評価に値するし、新規ユーザーの水先案内人として役立ってはいるのだが、それでもまだツイートがどう使われるのかということは不明瞭なままだ。
今年初めに行われた、新規株式公開後初となる Twitter の決算発表で、CEO のディック・コストロは増益には向かっているものの、Twitter の成長は緩やかなものであると述べた。月間 2 億 4100 万人のアクティブユーザーを獲得してはいるが、これをさらに増やすことは簡単ではない。おそらく多くの人にとって、Twitter の全体像がまだよくわからないものであるためだろう。
会社の創業者たちでさえも、「Twitter とは何か」という一致した認識を持っていないようだ。「Hatching Twitter」という本によれば、共同設立者であるジャック・ドルシー、ノア・グラス、およびイブ・ウイリアムは皆それぞれ、会社について異なるビジョンを持っている。こうした背景によって次第に今日の Twitter の姿、つまり日々の出来事の報告とニュース速報とネタの応酬の融合体が作り上げられていったのだろう。
プライバシーをどう守るか
Twitter の標準的な投稿設定は「公開」であるが、ユーザーがプライバシーを守る方法はある。プライバシー設定の下にある「ツイートを非公開にする」を選択することで、アカウントをプライベートに設定することができるのだ。これによりフォロワー以外はユーザーのツイートを読めなくなる。一度アカウントをプライベートにすると、すべてのフォロワーのリクエストを承認しなければならなくなる。
ここ数カ月、Twitter はダイレクト・メッセージ機能を宣伝していた。他のメッセージング・アプリと似たようなサービスだが、投稿できる文字数はやはり 140 文字に限られている。そして、誰にでもメッセージを送れるわけではない。Twitter はユーザーがメッセージを送る前にお互いにフォローしあうことを要求しているからだ。
Twitter がもっと分かりやすいものであれば、Gawker に掲載されたような警告記事は必要なかっただろう。製品をブログで広めるライターや、なぜ使い方を学ぶべきなのかについて書かれたツイートを要約した投稿なども必要なかっただろう。
Twitter が、本来目指していた世界の町の広場に成長するためには、指導者たちがサービスの使い方についてユーザーを正しく教育する方法を考え出す必要があるだろう。そして無邪気な Twitter ユーザーたちが、ツイートを集めた記事から、誤解が元で公開されてしまった自分たちの投稿を削除するよう要請するといったケースがなくなることを願っている。
画像提供:dicophilo(Flickrより)
Selena Larson
[原文]