テキスト系妄想メディア「ワラパッパ (WARAPAPPA )」より

みなさんこんにちは。ワラパッパフレンズの天久です。
ついに今月20日に、この連載をまとめた単行本「ノベライズ・テレビジョン」が発売になります!
ようやく装丁デザインが完成しましたので、ここにお披露目いたします!



イラストは白根ゆたんぽ氏、デザインは清水肇氏。
どうですか!このシャレオツな装丁は!これなら堂々と買える!電車で読める!全裸にこれ一冊で外出できます!そして女の子へプレゼントすると確実にモテます!
ということはつまり……買い!です。

さて、今回のノベライズは笑点シリーズ「木久扇編」
単行本では笑点シリーズが、書き下ろしの「歌丸編」も加えてコンプリートできますよ!
「昇太編」はアーカイブの自選集でお読みできます。
それでは引き続き、ノベライズをお楽しみください。



「笑点」をノベライズする(木久扇編)

「ではまず最初のお題。この度めでたく2020年の東京オリンピック開催が決定いたしました。そこでみなさんには期待の候補選手になっていただきます。わたしが開催に向けた抱負を訊きますので、お答えいただきたい。それではできた方!」

歌丸氏のお題を訊いた直後、私の記憶は一瞬にして前回の東京オリンピック開催の年、すなわち1964年に遡行した。

当時、私は落語界に入りまだ四年目、ようやく二つ目に昇進したばかりであった。
笑点はいまだ開始されておらず、よもや私がその二年後、大喜利メンバーに抜擢され、以後四十五年の長きに渡り同番組に携わろうとは、この時点では知る由もなかった。
大喜利メンバーはその後何度も入れ替わり、多くの仲間が鬼籍に入った。
現在オリジナルメンバーとして残っている者は私と、司会の歌丸氏のみである。

歌丸氏と私の年齢はひとつ違い、終戦は小学生のときに迎えた。
共に教科書に墨を塗り、敗戦後の日本を目の当たりにした世代だ。
「あの日」を境に、それまでの常識と価値観は見事に瓦解し、あれほど威張っていた大人たちが敵であったはずの進駐軍に媚びへつらう光景は、社会に対する決定的な不信感を私に植え付けた。

その後日本は奇跡の復興を遂げたというが、元軍国少年の私には、それさえも日本が敗戦の屈辱をそそぐために起こした、無意識的な過剰反応に思えてならない。
その成果である東京オリンピックとはつまり、少なくと私にとっては復興の象徴というよりも、戦後日本が暗に欧米への従属を示すための空騒ぎにしか映らなかった。

もっともこのような見解は、幼少期に強制的な価値転換を迫られた、私たち世代特有のシニカルな視座によるものかもしれない。しかし国家が謳う主義主張はすべて、我々を組織の成員に仕立て上げるための洗脳に過ぎないという思いに変わりはない。

私が落語界に身を投じた思想的背景には、実はそのような社会に対する諦念がある。
すべてが虚構に過ぎないならば、いっそ最初から虚構を前提とした芸能の世界で道化を演じることが、私に残された唯一の生き様だと思えたのである。
膝を交えて話し合ったことはないが、歌丸氏にしてもおそらく同様の思いはあろう。
私たちは言葉を介せずとも分かり合える、同世代の痛みを共有している。

奇しくも次回のオリンピックが、前回と同じ「復興」の状況下で行われることは皮肉と言わざるを得ない。
国家はまたしても我々の目を本質から遠ざけるために、無意味な空騒ぎを繰り返すのだろうか。だがいまさら私にとってはあずかり知らぬことだ。
私は既に落語という虚構の世界の住人である。
そして自身の年齢を考える限り次回のオリンピックをこの目で確かめられる保証はない。

私は静かに手を挙げた。
歌丸氏が私を指名し、とぼけた口調で問うた。

「どうですか? つぎのオリンピックは?」
「どうもこうも、その頃はご臨(五輪)終でーす!」

座布団の増減こそなかったが、歌丸氏の片頬がシニカルにゆがんだ。


「つづいて二問目。近頃ニュースでは一部でアベノミクス効果が現れはじめたなどと言われておりますが、われわれ庶民にはどうも実感がございません。そこでみなさんにはタクシーの運転手さんになっていただきます。わたしが景気はどうですか? とたずねますので、なにか返していただきたい。それではできた方!」

歌丸氏のお題が誘因となり私の脳裏に浮かんだのは、景気に関する諸問題よりむしろ、タクシーという「乗り物」から連想された、ある生物学者の言説である。

生物は遺伝子を運ぶ乗り物に過ぎない。

周知の通り、これはかのリチャード・ドーキンスが提唱した「利己的な遺伝子」からの引用であるが、この言説はそのまま落語家にも当てはまる。すなわち、

落語家は古典落語を運ぶ乗り物に過ぎない。

江戸時代の大衆文化から発生した落語は、その後何代にも渡る噺家の口承により現代に伝わっている。落語も遺伝子と同じ「情報」と捉えれば、まさに落語家と落語の関係は、この生物学的言説を忠実になぞっている。

そればかりではない。
落語界はさらに高度なシステムにより、自らの種を厳重に保守する。その最たる例が襲名制度と言えよう。
優秀な弟子は師匠から演目、技能のみならずその名跡までをもそっくり受け継ぐ。

たしかにこのシステムは、落語という古典芸能を変化の激しい現代社会から守るのには有効であろう。
しかし私はこのあまりに閉鎖的な慣習には疑問を感じる。
生物学的にも純血種は不測の事態に対し極めて脆い。そのため本能的に他種と交わり、その多様性を確保しようとする。

私が前高座名、木久蔵を息子に譲りつつも、自分は敢えて一般公募により選ばれた新高座名、木久扇を名乗る理由もそこにある。
先代から名跡を受け継ぐのではなく、世間一般という開かれたトポスを師匠とすることで、落語を閉じた系から開放しようとしたのだ。
だがこの決断には我ながら相当の覚悟を要した。伝統という後ろ盾を自ら放棄した私は常にそれに代わる新しいアイデンティティを問われる立場にあるのだ。

果たして木久扇とは何者か? 
そしてそれを名乗る私とは、いったいに何者なのか……?

「はい、木久ちゃん!」
「………」
「景気はどうですか?」
「………」
「もう木久ちゃん! なんか答えて!」

どうやら私は周囲に釣られ、無意識のうちに挙手していたようだった。

「へ? あタクシー?」
 
私はつい自分を指さしそう言った。
言葉は偶然にもダジャレになっていた。二枚の座布団が没収された。


「では最後は久しぶりに謎かけで締めようと思います。お題はここ後楽園ホールの隣にある東京ドーム。さあ、東京ドームと掛けまして? つづきをどうぞ!」

私とはいったい何者か? 
歌丸氏のお題に耳を傾けながらも、思考は引き続き前述の自問自答に囚われていた。

思い返せば私が落語界に身を投じた切っ掛けは、戦後社会に対する強い不信感からであった。
現実に行き場を無くした私は結局、落語という虚構の世界へ逃げこんだ。
そして落語家となった私は進んで与太郎キャラを引き受けた。
与太郎とは落語の登場人物の中でも最も愚かで、そのぶん純粋なキャラクターである。

馬鹿に成りきれなかった私は、せめて舞台の上で馬鹿を演じ続けたかったのかもしれない。
しかし私は自他共に認める馬鹿となってもなお、己の立場に満足できず一般公募で新たな高座名を名乗ることとなった。

つまり私は、自由になりたかった。
この社会から落語という虚構から、そしてなによりも私を私たらしめるこの自意識から。

私がダジャレを好むのは、それが言葉に対する最も低俗な、そして痛烈な批判であるからに他ならない。
意識とは所詮、言葉によってはじめて認識される心的現象に過ぎない。
ならばその言葉を言葉自体によって冒涜するダジャレこそが、自意識から脱するための唯一の手段と言えるのではないだろうか。

はじめに言葉ありき。
それが聖書の言葉なら、私は後にこう続けるだろう。
おわりにダジャレありき。
私は私から私を開放ため、高々と右手を掲げた。

「はい、木久ちゃん!」
「東京ドームと掛けまして」
「東京ドームと掛けまして?」
「雨漏りに気づいたカミさんと解きます」
「その心は?」
「や~~~~~~~~~ね~~~~~~~~~~~っ!(屋根)」

会場全体が、私と解を共にした。




この記事の元ブログ: 「笑点」をノベライズする(木久扇編)