アンチドロップアウト 第3章 vol.7 part3

 24歳で由佳夫人と結婚したとき、彼自身の貯金はゼロだった。

「パパはお母さんのことをすごく大事にする人。だからこそ惹かれたのかもしれませんね。女としての嫉妬? まったくありませんよ(笑)」

 藤本由佳夫人は柔らかい笑みをこぼすと、背筋を凛と伸ばしてコーヒーカップを口許に寄せた。

「出会ったのは、サンフレッチェ広島にいた主税さんが福岡の友人に会いに来たとき。私は博多に住んでいて客室添乗員をしていました。アビスパの選手の紹介という感じで。初対面の印象は、"面白い人"ですね。とにかくよく喋る人で、明るくて、人を笑わせるのが好きなんだなって。その後、フライトの後に何度か携帯電話に留守電が入っていたんですが、コールバックはせず、"ああやって、他でも女の子を笑わせているんだろうな"くらいに思っていました。

 たまたま速報で主税さんのゴールシーンを見たので、『おめでとう』ってメールしたんです。それで返信が来て。そこからですね。メールで連絡を取り合うようになったのがキッカケです。

 軽そうに見えたノリも、根は真面目な人で頑張り屋さん。なので、そのギャップはありました。付き合っているときから、いつも元気をもらっていた気がします。結婚する直前、私は正社員になることができたんですけど、仕事を辞めるのに迷いはなかったです。客室乗務員の仕事は、自分にとって"初めてやりたい"って強く思った仕事だから、一番勉強もしたつもり。でも私は、"主税さんを支えて、その夢に乗っかれる方が幸せ"と確信していたんです。

 少しでも主税さんを支えられれば、と思ってやってきました。でも、何かをしたなんておこがましい。一緒に夢を見られるだけで十分で。私はサッカーのことに詳しくないので、"邪魔だけはしないように"と思っています。試合を見ながら、『なんでパパのパスに走らんの!』って一人で怒ったりはしていますけど(笑)。

 父親としては、力翔(りきと)、ゆあ、勇翔(ゆうと)と3人の子供たちに、たくさんの愛情を注いでくれています。私が彼の娘だったら、きっと大好きになるでしょうね(笑)。砂場で子供たちと遊んでいて、『入れる穴を掘ってー!』と子供たちに頼まれると、『よっしゃーっ!』て、真面目な顔で大きな穴を掘ったりするんです。すごく優しいですね。神様じゃないかな、とか思っちゃいます(笑)

 主税さんは怒ったことがなくて。例えば旅行の準備をするのも、自分がぐずぐずしていると前日までに充電からなにから全部用意していたり。私は九州の人間で、『夫がお茶と言ったら妻がお茶を出す夫婦関係』の地域で育ったので、母には、『主税さんにやらせるなんて』と叱られます。私は『疲れているから休んだ方がいいよ』と言うんですが、彼は『止まると死ぬ。俺、鮫やねん』なんて。

 サッカーの試合に向かうときの彼はぴりぴり。大宮のときは自費で前泊していたほどです。何ごとにも真剣な人。どこかで手を抜けばもっと楽なのに。妻としては少し心配ですね。

 大宮のときはキャプテンマークを巻いて、"主税さんほど主将にふさわしい人はいない"と思っていました。チームにいるだけで影響を与えられる人。だから妻としては、"こんなにチームのことを考えられる人がどうして出ていかないといけないの?"と思ってしまって。退団セレモニーは泣けませんでした。とても悔しくて。

 私には、なにがあってもパパが一番です。長男の力翔が『日本代表の柿谷がすごいとか言うけど、パパの方が一番だよね』と言うのを聞くと、とても誇らしくなります。『ママもそう思うよ』って。1年でも長く、ドリブルとかフェイントとか見たいです。ベテラン選手とか言われますが、年齢の高さは感じません。J1でもう一回。私は、そうなると信じています」

 2013年8月25日。ロアッソ熊本は本拠地に北九州ギラヴァンツを迎えたが、試合は雨天と落雷の恐れで中止になった。藤本は先制点をヒールキックでアシストしていたが、後日、再試合が決定した。

「正直、力不足を感じますね。最後のところで決められていないんで。もう一回やりたいです」

 そう願っていた藤本にとって、90分間で決着を付けられる再試合は望むところだった。

 試合の夜、馬刺しの盛り合わせを彼はおいしそうにつまみ、アイスウーロン茶でのどを潤した。試合があった日は深夜まで眠れない。もっとも、普通の日でもテレビや読書など何かをしながらでないと眠りにつけないのだという。

「手応えは感じていますよ。最近はサッカーをやっている充実感がありますから」

 彼はそう言って、その店の好物であるイベリコ豚の串焼きをほおばった。

 2012年1月に入団した熊本においては、1年目はケガに悩まされ、21試合出場1得点と不本意な成績、チームも昇格を逃すことになった。そして不退転の決意をして2年目のシーズンを迎えたが、監督は解任、ケガによる離脱と32節終了段階で20位。昇格よりも残留争いというのが実状だ。

「許せん状況ですよ」と藤本は苦い顔をする。

「先日はミーティングで、一人ずつ喋る機会があったんです。そこで自分は、『(仲間)隼人や堀米がいい状態でいるのは、俺にとってもポジション争いになっていい。だから自分としても、3枚目のイエロー(累積警告による出場停止)をもらわないつもりでやる。このチームのスタメンでやることに、それだけの責任とプライドをみんなも持って欲しい』と言いました」

 焦燥感がないわけではない。35歳の選手にとって、引退の瞬間は日々、近づいている感覚がある。

「若い選手には言うんです。『お前とは1試合の重みが違うから。出られなくなったら俺は引退だから。チャンスをあげたくない』って」

 藤本は表情を引き締めた。

「実は春に現役を続けるかどうか悩んでいたことがあって、妻に『やめようかな』と相談したんです。90分間出場するのが自分の最低限のステイタスなのに、それすらできていなかった。でも、『今やめたら悔いが残るよ。このままでは悔しすぎる』と言われて。5月末の練習試合ですかね。調子が良くて、不思議と抜けた感じになって。妻に『まだやれるわ』とすぐメールをしました。このチームでJ1に行きたい。その気持ちが自分を支えているんです」

 現役と引退の狭間で揺れる間隔はこれから短くなってくるだろう。しかし、彼はそれを恐れない。闘争は、最後の日まで続き、そして止む。

「自分には父親像がない。でも、プロサッカー選手として格好いいところを子供たちに見せたいんです」

 藤本は腕を組んで天井を見上げた。

「子供たちに、サッカー選手である自分を誇ってもらえるとやっぱり嬉しい。教育とかはよう分かりません。貧乏に育てた方がいいと思うこともあるけど、それもどうなんか。自分は『オロナミンC』を買うのがずっと贅沢だと思って生きてきて、そうやって這い上がるのが力になった。でも、憧れだったオロナミンCを飲んだときは、こんなもんか、と拍子抜けしましたけど(笑)」

 もし藤本のサッカーキャリアに節目があったとすれば、代表に選ばれた2001年から海外移籍を画策した2002年になるだろう。

「もし戻るならそこかな」

 藤本自身、そう告白している。しかし、後悔はない。代表や海外でのプレイでは挫折したかもしれないが、目標に据えたプロサッカー選手、Jリーガーとして彼は一つの時代を作った。

「サッカーは自分にとって戦争だから。怒りはエネルギーにしてきましたよ。もちろん、そういう生き方が立派なのかどうか......もっと人に対して寛大な方がええのかと思うことだってあるんですよ。例えばキタジ(ロアッソでチームメイトの北嶋秀朗)は、若手にも声を掛けて世話を焼いて羨ましいところもあるんです。でも、自分は自分の生き方しかできへんから」

 彼は観念したように笑い、優しい皺(しわ)を作った。

小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki