柴咲コウ

 女優として様々な役を演じる一方で、自らの言葉で音楽を奏でるアーティストでもある柴咲コウ。ステージ上で歌う彼女の姿を観た御法川監督が、主演をオファーをしたのが、3月2日より公開となる映画『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』だ。10年以上も履き続けた二足の草鞋は、貪欲に知性を吸収し、生まれもった誇り高き強さのみならず、いつしか柔軟なしなやかさと、かつては相容れなかった世界すらも受け入れる寛容さを兼ね備えていた。


――まず最初に、本作の脚本を読んだ時の印象はいかがでしたか?

柴咲コウ(以降、柴咲):「どういう作品になるんだろう?」という完成のイメージが想像しにくかったから、それがちょっとしたプレッシャーにもなってたんです。ただ、映画とかドラマって、何か大きな仕掛けや事件があるのが当たり前になりつつあるけど、それが無いのがいいなと。そして、現代の私達が生きている世間をちゃんと切り取っているので、キチッと共感が得られるだろうと思ったので、それが自信の一つになり、それをいかに豊かにしていくかが自分の役目だと思って、頑張って取り組みました。

 この作品のお話を頂いた時、撮影している時もですけど、私自身が不安に覆われている状態だったんです。だけど、すごく大きな不安感という訳でもなく漠然とした、「私の人生とは?」とか、対人関係だったり、自分のパフィーマンスを受け取る人達の雰囲気や気持ちを汲み過ぎちゃって疲れている所があって。そこから脱したいと思いつつ、渦中にいたんですよね。立場が全然違うから比較できるか分からないけど、すーちゃんみたいな感覚を持っていて。確かに共鳴する部分があって、心持ちが非常にリンクした点でした。

――柴咲さんが、普通の女性であるすーちゃんを演じるのは難しかったですか?柴咲:では「私は異常か?」と言ったら、そうではなく、普通もしくはそれ以下の生活環境で生まれ育ってきているので。もし私が大富豪で、ビバリーヒルズとかに住んでたら、確かに「分からない」と断言できるのですが。私は、ネガティブな部分も多分に持ってるし、自己否定だってするし、自己対話して落ち込むことだってあるし。生活環境などを抜いた所で、根本的な部分は似通っていると思ってます。

 私が初めて試写を観た時の感想が「恥ずかしい」だったんですよ。普段は見せない、ちょっと縮こまってしまったり、臆病になったり、悶々としている自分の気持ちが透けて見えてしまってると思ったんですよね。見せようと思った訳ではなく、リンクしたとしか言いようがないし、それを使わないと嘘になっちゃうから。

――御法川監督からは、何かリクエストがあったのですか?柴咲:具体的に細かく指示されたというよりは、漠然としてた印象がありますね。監督はこの作品のオファーをする前に、私のライブを観に来て下さったみたいで。そこで感じた詞の世界観や、歌っている時の雰囲気で、すーちゃん役をやれると思ったらしいです。自分の孤独感を請け負おうとしてたり、ちゃんと自分で消化しようとしている所とか、それに向き合おうとしている所が気に入ってくれたみたいで、すーちゃんを演じることが出来ました(笑)。

――すーちゃんを演じる上で意識したことは?柴咲:役自体すごく、設定もシンプルだし、心の変化が表情に少し出たり、醸し出す感じだから、あまり余計なことをしたくないなと感じてました。きっとこういうことを言われたり、されたら、哀しい気分になるだろうなと、ほんのり表情で表すのが大変だったけど、実際に自分にもあることだから、無理して演じた感じではないですね。次のページ:節分で、自分の中にいる鬼が出て行ったんです(笑)