女子の制服について真剣に考えてみる

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「女子の制服 ズボンでもいいよね」。2012年4月21日付の東京新聞が1面トップで報じた記事の見出しである。そのあと、「冬は手放せない 一つの個性認めて」「カワイイけど…自分だけでは無理」というリードが続く。

最近の東京新聞といえば、脱原発の路線を引っ張る硬派な記事が1面のトップを飾ることが多かったので、この見出しを目にしたときには、驚きを隠せなかった。記事の内容は、3月12日の同紙発言欄に掲載された「スカートの制服やめて」という東京都内の女子高生(15)からの投書と、その反響を紹介したもの。

板橋区の語学講師の女性(43)は「素足にミニスカ、ハイソックスでは冷えすぎ」と忠告すると、港区の中学生(13)は制服の自由化を提案し、川崎市の主婦(49)は「活発や女子のためにもズボンの選択肢を」と言う意見を投書した。

記事によれば、「高校では女子の制服や標準服にズボンの選択肢を用意する学校が結構ある」そうだ。たとえば、千葉県の「県立流山おおたかの森高校は、2008年に県立2校を統合した年に制服を一新。冬服は上着と同じチャコールグレーのズボンか、チェックのスカートを選べる」。

また、「現在、全日制176校の都立高校のうち、3割超の学校で女子もズボンを選べる」とのこと。全国で見ると、「公立私立約800校で女子もズボンを選べる」。しかし、「現状はスカート派が圧倒的に多く、ズボンをはく女子生徒は少数派」なのだとか。女子生徒(17)の「女子高生といえば短いスカートでしょ。寒いときはタイツやアンダーパンツで防寒対策」という声を紹介している。

おとなの側の論理から制服を見ると、生徒管理のしやすさとか愛校心を育む効果などがその利点だと言われるのではないか。教師や地域のおとなたちは、制服でどこの学校の生徒かを見分け、素行の悪い生徒がいれば「あの学校の生徒だよ……」と噂をする。高校の場合、どの制服を着ているのかで、難易度やレベルなども一発で見分けられたりする。

では、子どもの論理から制服を見ると、どうなるのだろう。筆者の場合、公立の中学は詰め襟だった。2年目あたりからは、ハイカラー(襟を高くする)の中ラン(丈が長めの上着)、そしてボンタンやドカン(いずれも太めのズボン)などを着た。高校の制服は、上着がブレザーだったので工夫のしようがなく、ズボンだけ太めのものをはいていた。
制服は、大歓迎であった。というのも、筆者は養護施設から中学・高校に通っていたため、まともな私服など持っていなかったからである。大枠で考えると、制服によって出自の特徴が消されるので、制服を着ている分には「あいつは施設の奴だ」などと言われることはなかった。もちろん、制服によって「個性が消される」ことに違和感を抱くような、敏感な子どももいたであろう。

「女子高生といえば短いスカートでしょ」という女子生徒の声の裏側には、これまで日本の中学や高校が制服の着用を、おとなの事情によってスタンダードにしてきたという前提がある。はじめから「制服を着るものだ」と言われれば、「そういうものなのか」と思うのは当然である。同時に、制服という限られた枠の中で、デザイン上のさまざまな創意工夫がおこなわれるようになるのも当然で、その事例の一つが「短いスカート」なのではないか。

おとなになって考えると、「制服なんて、なくてもよかったのかも」と思うときがある。他方、前述のとおり、筆者は制服に助けられた経験もある。いまとなっては、「仮に自分がこれから中学・高校に通うとすれば……」とアホな夢想をした上での話になってしまうが、基本的には制服を着るか着ないかの判断を含めて、選択肢が多いに越したことはないと思う。大切なのは、おとなの事情よりも、制服を着る側の子どもたちの事情を優先することだとも思う。

記事の最後に、「短いスカートは下半身を冷やすので良くない」などと言う女医の警告が紹介されている。おそらく、それは正論なのであろう。だが、女性のファッションに対する熱意を前にして、そんな正論はどこかに追いやられてしまうのではないか。長年の外国生活の末に帰国した筆者は、女子生徒の短いスカートやら若い女性がはくローライズのジーンズ、キャミソールという下着のようなものをアウターにしている女性を見て、度肝を抜かれた覚えがある。

いまとなっては、それも「あり」である。「歌は世につれ、世は歌につれ」と言われるが、「歌」という言葉を「ファッション」に変えても、まったく同じことが言える。好きな服を好きな時に着ればいいし、制服もその延長線の上にあるのではないか。さて、結論。女子の制服は、スカートでもいいしズボンでもいい!

(谷川 茂)