吉川晃司がカッコいい! しょぼすぎる新潮の反「反原発・脱原発」【文春vs新潮 vol.37】

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[文春] 週刊文春の連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」のゲストは、歌手の吉川晃司さん。1965年生まれの46歳。1つ年上である筆者にとっては、まったく面識はないものの、同時代を過ごしてきたという勝手な共感がある。デビュー曲の「モニカ」(1984年)は、いまでもカラオケで歌いたくなる曲の1つでもある。

一時期はそれほど目立つ活動をしていなかったが、NHKの大河ドラマ『天地人』で織田信長役をやったあたりから筆者のなかでは気になる存在となった。その吉川さんが対談でかなり突っ込んだ話をしている。ファンの方々には自明のことなのかもしれないが、はじめてそれを知った筆者は新鮮に読むことができた。

吉川さんが中学からバンドをはじめた理由が、モテたかったからなのだという。さらに、「ロックといえば反体制。右へ倣えと言われると左を向いとけ、という自分に合ってるんじゃないか」とも思ったのだとか。しかし、ボーイスカウトをやるなど協調性がないわけではない。そんな自分の姿勢を「よくわかんない。たぶん自分の中に物差しはあるんですけど、人には説明しにくい」と語る。

デビューのきっかけは、自分で「広島にすごい天才がいる。これを見ないでどうする」と書いた手紙を渡辺プロダクションに送ったこと。その後、オーディションに受かりデビューするわけだが、「1年くらいで、もう嫌になっちゃった」。デビューのため広島から上京する際、父親に「芸能界に入るということは猿回しの猿になるということだ。バカだな」と言われたが、それを1年で実感してしまったことになる。

1988年にはギタリストの布袋寅泰さんとCOMPLEXというユニットを結成。スーパーユニットと騒がれ、「BE MY BABY」などのヒット曲を出すものの、結果として「ああ、隣の芝生だからキレイに見えてたんだなという思い」が残ったという。そして、昨年には21年ぶりにCOMPLEXが被災地支援のチャリティーライブを実施。「初めてCOMPLEXをやってよかったと思いました」と正直に語っている。

スタッフの家族が被災者だったことから、吉川さんは震災直後から現地でボランティアをやった。その経験から、「僕は被災地で、死ぬまで忘れられない光景をいっぱい見たんです。と同時に、自分の無力さを痛感した。(中略)俺にはここでできることは何もないんだなと」考えるようになった。他方、「せめて自分の持ち場で最大限やらないと、自分で自分が嫌」になる。だから、チャリティライブを実施することにより「できることはやったという言い訳も、正直、つくりたかった」と本音を語る。

今後のことを聞かれると、「仕事以前に、『恥ずかしい世代』というレッテルからは絶対に逃れたい」と答えている。「恥ずかしい世代」とは何か。吉川さんは、こう説明する。「このまま何も策を講じることなく死んじゃったら、僕ら、恥ずかしい世代ですよね。放射能のことも、僕らは本当のことを知らず、知識がないゆえに傍観してきた。それは悔いても悔やみきれない。(忌野)清志郎さんからいろいろ話を聞いたりもしてたんですけど、何でそんなにムキになっているんだろうと不思議に思うだけで」。

そして、「次代を担う子どもたちに負の遺産を押しつけて、あとは頼むよじゃ死んでも死にきれないから、やれることはやらなきゃと思っています。子どもに、墓に向かって『父ちゃん、何もしなかったじゃないか』と言われたくない。言われても、せめて『いや、俺なりに頑張ったんだ」と言い返したい」と語る。筆者は、吉川さんのこうした姿勢に共感をおぼえた。

私たちが日常的に眼にしている芸能人の姿は、彼らが外に向けて作り上げた虚像である。それを了解した上で、私たちは彼ら彼女らのファンになったりライブにいったり映画を観たりしている。だが、何かの拍子で素顔を見せる芸能人も時々いて、あまり関心がなかった人であっても、その素顔と虚像を「込み」で気に入るようになったりもする。この対談を読んで、筆者が吉川さんに好感を持つようになったのがそのよい事例となる。カッコいいぜ、吉川晃司

[文春・新潮] 両誌に原発がらみの記事が掲載されている。文春は「電力会社と御用学者 『危険な癒着』を告発する!」。記事の冒頭が内容のすべてを物語っている。「これまで多くの原発で、耐震性の前提となる活断層調査に重大な欠陥がありました。しかし原子力安全・保安院や原子力安全委員会は、専門性や中立性に問題のある『御用学者』にずさんな審査を行わせてきた。その結果、日本では活断層の真上に建てられた原発が存在しているのです」(渡辺満久・東洋大教授)。


渡辺教授があげる「特に危険な原発・各施設」は、「静岡県の浜岡原発、福井県の敦賀原発、青森件の六ヶ所村再処理工場と東通原発」の4つ。筆者は昨日の記事で、六ヶ所村の再処理工場の工事が再開されたことを批判したばかりである。ポイントは、プルサーマル計画が頓挫する中でMOX燃料を作る再処理工場を建設することに意味があるのか、ということであった。さらに活断層の状況から見ても立地に問題があるというのだから、建設はすぐに中断すべきであろう。

一方、週刊新潮は「反原発とCO2削減を同時に訴える『坂本龍一』大いなる矛盾」という記事。あいかわらずの「反原発・脱原発」批判を展開している。坂本さんが電気自動車のCMに出てCO2の削減を語っていることと、反原発を訴えていることとが矛盾している、というのである。つまり、反原発で火力発電所を使えば原発が稼働している状態よりもCO2は増加するのに、別のところではCO2を減らせと彼がいっている、という論法だ。

新潮としては、原発が再稼働すれば火力発電所の稼働が減りCO2も減るといいたいのであろう。それを言うがために坂本さんをスケープゴートにしているだけのこと。整理して考えてみよう。事故が起きたらとんでもないことになるのがわかった原発。よって、その再稼働には慎重にならざるをえない。かといって私たちは日々電気を消費する。だから、原発で発電していた分の電気を別の方法で発電する必要がある。

火力発電は石油を燃やすのでCO2が発生するのはわかっている。将来は自然エネルギーを原発の代替として使えるようにしたいが、まだ開発が進んでいない。だから、その開発が進む過程ではやむなくCO2を排出する火力発電を使おう。こうして、原発のリスクと火力発電によるCO2排出のリスクを比べ、後者のほうがマシだということになっているのが現状だといえる。もちろん、電力の供給源が自然エネルギーに少しずつ転換するということがその話の前提となる。

坂本さんだって、そんなことは承知の上でCMに出演し、反原発を唱えていると思われる。電気自動車を動かすための電気だって、いまは主に火力発電を頼らざるをえないが、将来は自然エネルギーどまかなうべきだと彼が考えていることなど、彼の言動をきちんと追いかけていればわかることであろう。反「反原発・脱原発」というスタンスは、あってもいいと思う。だが、こんなつまらない揚げ足取りをするのではなく、もっと真っ向勝負で、新潮には反対意見と闘ってほしいものである。

[その他] 新潮の「カンボジア国旗を背負う『猫ひろし』それでいいのか!」。カンボジアで十数年ほど暮らした筆者が思うに、猫さんのことも、マラソンのことも、多くのカンボジアの人々はそれほど関心を持っていないような気がする。他国の国籍を取得した上でオリンピックに参加することについては、カンボジア人がオリンピックに出るという目的でわざわざ日本国籍を取得したことを想像してみればいい。

今週の軍配は、文春に。

【これまでの取り組み結果】

文春:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

新潮:☆☆☆☆☆☆☆☆

(谷川 茂)