水野晃樹:移籍2年目の現在地

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 新天地セルティックへ移籍した2008年1月、イビチャ・オシム前日本代表監督は、「三段跳びくらい難しい移籍だが、走り続けろ」と、水野晃樹を叱咤激励したという。千葉時代の恩師は、08年の水野をまるで予見したかのような言葉を彼に贈った。

 水野の08年は、悪戦苦闘の1年になった。スタメン奪取を胸に誓って合流した名門セルティック。そこには高いハードルが待ち受けていた。トレーニングこそスムーズに順応した水野だったが、実戦はリザーブリーグのみ。トップチームでの出場は遠かった。Jリーグ以上に、フィジカルの強さと、判断のスピードを要求される環境で、いかに自分をアピールするか。試行錯誤が続いた。

 もっとも、水野には望むところでもあった。海外志向の強かった彼にとって、セルティック移籍以後は「発見の連続だった」という。Jリーグ時代ならスピードだけで抜けた1対1も、簡単には許してくれない。では、どうやって勝負すればいいのか? そんな課題のひとつ一つと向き合う日々がかけがえのない経験だった。

 水野の誤算はケガだ。3月24日、リザーブリーグのグレトナ戦で負傷。痛みが取れないまま07−08シーズンを終えた。それだけでなく、不完全な状態でトゥーロン国国際大会へ出場するはめになり、満足のいくプレーができずに五輪代表落ちの屈辱を味わうことになった。

 一部には、五輪直前の海外移籍を疑問視する声もあった。北京五輪だけをフォーカスするなら、それも正論だろう。だが、水野のプライオリティは違った。海外でプレーする機会を逸する、もしくは遅らせることを、むしろ彼は恐れた。

 08−09シーズンを前に、水野は右ひざを手術する。実戦復帰後は、リザーブリーグでアピールを続け、11月8日リーグ戦マザーウェル戦でトップチームでのデビューを果たした。試合終了直前のわずかな出場時間であったが、FW起用された彼は、アグレッシブな突破から、際どいシュートを放つなど、存在感を示すことに成功した。

「自分にとっては(出場時間)2分でもいいことだし、プラスに考えるべきこと。試合に出るごとに落ち着いてできるようになっている。モチベーションも高くなるしね。試合終了間際に出る時は献身的に走り回るだけ。どういう状況でも使われる選手になるのが大事」

 試合ごとに出場時間は延びた。視界は確かに開けつつある。

 また、環境にも恵まれている。とりわけ所属チームに中村俊輔がいることは大きい。同じく中盤を本職とし、海外での経験も豊富。見方を変えれば、スタメン争いのライバルともいえる中村だが、水野にはかけがえのない存在になっている。

「俊さんの存在は手本になるし、初めて海外に出た自分にとって、身近にいてアドバイスももらえるからとても大きい」

 日本人選手の評価という点でも、中村の存在は、水野の追い風になりうるだろう。

 だが、水野に停滞は許されない。1月の日本復帰も噂された中村はセルティックに残留したが、その中村も含め、水野の定位置獲得のまえには数多くのライバルが割拠している。セルティックで必要とされる選手となりつつあるとはいえ、まだ不可欠な存在とまではいえない。

 08−09シーズンも残りはおよそ半分。チャンスはつかんだ。その好機をどこまで生かせるか。水野にとっては、待ったなしになるであろう1年がスタートした。

(構成/livedoor スポーツ)

水野晃樹公式プロフィール
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