筆者が政治取材をスタートしたのは1999年のことである。

 当時の首相は、小渕恵三氏。その後、森喜朗氏、小泉純一郎氏、安倍晋三氏、福田康夫氏と続き、現在の麻生太郎首相を含めると、6つの政権を取材したことになる。

 10年にも満たない期間に、5人の首相が登場しては、消えていった計算になる。その間、取材を通じて、いくつかの政権崩壊に直面した。

 病に斃れた小渕元首相と、任期満了で自ら辞した小泉元首相を除けば、残りの3人はいずれも追い詰められる形で政権を投げ出している。

 最近、それら3人の首相の取材を振り返る機会があり、過去の取材ノートに当たったり、改めて調べたところ、それぞれの政権末期に、いくつかの「予兆」の現れていることを発見した。大雑把にみれば「予兆」は3つ。少なくともそれらが揃った時点では、実際にどの政権も崩壊している。

 もちろんこうした「法則」が常に正しいとは限らない。また、厳密なデータでもなく、単に取材によって得た主観、それに基づく分析に過ぎない。

 だが、その一方で、政治という権力闘争の世界を取材するに当たっては、そうした「予兆」は軽視できない情報のひとつであるのもまた確かなのだ。

 麻生政権は、まもなく発足3ヵ月を迎える。メディアとの関係で言えば、本来は「ハネムーン」とも称される期間である。

 ところが、すでに麻生政権には3つの不吉な「予兆」が現れている。それらは【内閣】、【自民党総務会】、【内閣記者会】、に現れ、それぞれが政権崩壊の不気味な兆候を示している。

 今回は、麻生政権に現れた不吉な予兆について検証してみよう。

【内閣】
 安倍政権の後半「学級崩壊」ならぬ「内閣崩壊」が話題になったことがある。

 閣議前の閣僚懇談時、内閣総理大臣が控室に到着しても、われ関せずといった風で、安倍首相に挨拶しないばかりか、目も合わせようとしない。マスコミの写真・映像撮影時にも、各大臣の私語は止まず、孤独な安倍首相が静かに座っているといった「絵」が流されてしまう。また、各々の大臣会見でも、内閣の意向を無視した発言が繰り返され、「閣内不一致」のような様相を呈していた。

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