消えない「認知症に対する偏見」…根底にあるのは一つの誤解。専門家「言葉のやり取りが難しくなっても、心を通わせる力は残ってる」
厚生労働省の「認知症および軽度認知障害(MCI)の高齢者数と有病率の将来推計」によると、認知症とMCIの有病率の合計値は約28%(2022年時点)だったそうです。日本において「認知症は恐ろしい病気である」という認識の一方、スウェーデンでは「認知症は新しい人生の始まり」と言われているようで--。そこで今回は、介護老人保健施設アートヒルズ医師・宮本礼子さん、スウェーデン王妃認定認知症専門看護師・長谷川佑子さん、群馬大学名誉教授・山口晴保さんによる著書『認知症でも私のことは私が決める-日本の不自由とスウェーデンの自由』より一部を抜粋し、認知症の医療と介護のあり方を御三方による鼎談形式でお届けします。
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認知症の人は何も分からない?
宮本礼子:かつては「痴呆」という言葉が使われていましたが、差別的だからと、2004年に「認知症」という言葉に変わりました。でも最近では、「ニンチが入ってる」なんて、結局は人を見下す言葉として使われています。言葉だけ変えても、偏見は消えないんですね。
根底にあるのは「認知症の人は何も分からなくなった人」という誤解です。確かにできることは減るけれど、「心」は認知症になる前と同じです。喜怒哀楽も、プライドも、恥じらいも、ユーモアもある。
その「変わらない自分」と「できなくなる自分」の間で本人が一番苦しんでいる……そこを私たちが理解すれば、偏見なんて自然と消えていくはずです。
長谷川佑子:認知症の人は、周りの人が自分をどう見ているか、驚くほど敏感に感じ取っているんです。ある人は「自分の言動に自信が持てなくて、不安で仕方ない」と本音を話してくれました。でも、周囲の人が自分を分かってくれていると知って安心すれば、以前と変わらずユーモアを飛ばしたり、素晴らしい芸術的な感性を発揮したりするんです。
心を通わせる力は残る
山口晴保:赤ちゃんをイメージすると分かりやすいかもね。言葉は通じなくても、お乳をもらえば笑うし、大きな音には驚くし、撫でられれば安心する。
重度認知症の人も同じ。言葉のやり取りが難しくなっても、心を通わせる力は残ってる。人格って視点でとらえると、だんだん変化していくんだけど。

『認知症でも私のことは私が決める-日本の不自由とスウェーデンの自由』(著:宮本礼子、長谷川佑子、山口晴保/中央公論新社)
宮本:私の外来に通っていた86歳の女性は重い認知症で、娘さんの顔を見ても「どちら様ですか?」と尋ねるほどでした。でも、困っていることはないですかと聞くと、「どこまで話したか思い出せなくて、寂しくなるんです」「欲しいものをうまく伝えられないのがつらいです」と話してくれました。
話を聞いていると、切なくなります。認知症になっても、深い悩みや寂しさを抱えているんです。
アルツハイマー型認知症は「子どもの成長を逆戻りする」
アルツハイマー型認知症は、実は「子どもの成長を逆戻りしていく」ように進んでいくんだよ。認知症の重症度を生活能力のレベルで例えると、下表のような感じだ。
「なんでそんなことになるの?」って思うだろ。人間っていう生き物は、未熟な状態で生まれてきて、後から脳をどんどん発達させていくんだ。
生まれながらに持っているのは「見る・聞く・飲む」っていう、生きていくための土台となる機能。そして2年ぐらいかけて手足を動かしたり言葉を覚えたりする力が伸びていく。
その後、思春期にかけて、空間を把握する力や知識、理性、それに「思いやり」なんていう“人間らしい高度な働き”がゆっくりとできあがっていくんだね。
発達の順番を逆さまにたどる
ところがアルツハイマー病は、この「一番最後に作り上げた高度な部分」から順番に傷んでいくんだ。だから、軽度のうちから自覚、空間の認識なんかが落ちてしまうわけ。
その代わり、「歩く・見る・聞く」といった、基本的な力は、比較的最後までちゃんと残るんだ。
まさに「発達の順番を逆さまにたどっている」ってことだね。ただし、記憶は最初から傷んでしまうけどね。
この理屈を知っておくことは、介護する側にとっても大切なんだよ。例えば、本人が薬の管理ができなくなったとしても、「まあ、小学生に薬の管理は難しいよね」って思えれば、イライラして責める気持ちも少しは軽くなるよね。
※本稿は、『認知症でも私のことは私が決める-日本の不自由とスウェーデンの自由』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

