機械は考える、そして人間は機械だ!……生成AI時代を予見した「人工知能の父」アラン・チューリングの栄光と悲劇
ナチスの暗号「エニグマ」を解読し、世界で最初にコンピュータを開発。しかし栄誉なく迎えた41歳での謎の死……。悲運の天才数学者アラン・チューリングの偉業と苦悩とは--。
話題の新刊、高橋昌一郎著『チューリングの哲学 人工知能と人間機械論』では、「人工知能(AI)の父」とも呼ばれるチューリングの生涯と思考を解説する。
※本記事は、『チューリングの哲学 人工知能と人間機械論』より「はじめに」を抜粋・編集したものです。
「人工知能」と「人間機械論」
近年の「人工知能(AI: Artificial Intelligence)」の進歩は目覚ましい。2020年代には、人間の脳神経回路を模した「ニューラルネットワーク」をベースとする「深層学習(deep learning)」の開発が本格化して、すでに生成AI・自動翻訳・自動運転・医療画像診断・音声認識・気象予測などの分野に応用され、人間を上回る能力を示している。
このような「人工知能」の可能性を最初に示唆したのが、「人工知能の父」と呼ばれる天才数学者アラン・チューリングである。本書は、チューリングの生涯を追いながら、彼がいかにして「人工知能」および「人間機械論」の思想に到達し、21世紀を生きる人類に何を遺したのか、その意味を探究したい。まず、彼の生涯の概観を紹介しよう。
チューリングは、1912年6月23日、ロンドンで生まれた。彼の父親は、スコットランド系貴族の家系出身で、大英帝国政府代表部の高等文官としてインド帝国に赴任していた。そこで結婚した彼は、息子をインドではなくイギリスで育てる方針だったため、チューリングは幼少期からイギリス南部の退役軍人の家庭に預けられた。そこで彼は、周囲に反抗し、生意気でだらしのない性格になってしまった。
チューリングの天賦の才能が開花したのは、彼が15歳のとき、パブリックスクールで一歳年上のクリストファー・モルコムと出会ったことがきっかけだった。
眉目秀麗なモルコムは、どの科目も全校トップの秀才で、とくに数学と科学では抜群の能力を誇っていた。この「初恋の相手」に気に入られようとチューリングは猛勉強を始め、ついにモルコムと同じようにケンブリッジ大学への進学を目指すようになったのである。
偏屈な変わり者で、誰からも相手にされなかったチューリングに、モルコムは音楽やビリヤードの楽しさを教え、一緒に化学実験や天体観測を行った。ところが、ケンブリッジ大学から合格通知が届いた直後、モルコムは結核のため倒れ、数日後に急逝してしまった。
失意のどん底に陥ったチューリングは、自殺しようとするが、モルコムの母親から励まされて、モルコムのために生きることを決意する。
1936年、チューリングは、24歳の若さで「計算可能性とその決定問題への応用」を発表した。この画期的な論文において、彼は、あらゆる命令を一定の規則に基づく記号列に置き換えて計算する理想機械「チューリング・マシン」を提起している。ここでチューリングの用いた概念が、あらゆる情報をデジタル処理する現在のコンピュータに実現されているわけである。
この論文を発表した直後、チューリングはケンブリッジ大学の奨学金を得てアメリカのプリンストン大学大学院に留学した。
エニグマ暗号解読
チューリングは2年近くプリンストン大学大学院で研究し、論理学者アロンゾ・チャーチの下で博士号を取得した。ちょうどこの時期、プリンストン高等研究所に「コンピュータの父」と呼ばれる天才数学者ジョン・フォン・ノイマンと、「アリストテレス以来の天才」と呼ばれる天才論理学者クルト・ゲーデルがいた。
つまり、ここに21世紀に多大な影響を与えたノイマンとゲーデルとチューリングという3人の「超天才」が一堂に集まったわけだが、ゲーデルを高く評価していなかったチューリングは、何度かチャンスがあったにもかかわらず、一度もゲーデルと会った形跡がない。
一方、チューリングと何度も面会して彼の能力を非常に高く評価していたノイマンは、高等研究所で自分の助手にならないかと誘ったが、「アメリカ嫌い」だったチューリングは、帰国してイギリスの軍に志願する道を選んだ。
帰国後、ロンドン郊外にある「情報局秘密情報部」の暗号機関ブレッチリー・パークに赴任したチューリングは、難攻不落と呼ばれるナチス・ドイツ軍の暗号機「エニグマ」の解読に取り掛かった。
この暗号機は、アルファベットに対応する26個の電気接点が並んだ円盤状のローターが何枚か組み合わされただけの比較的単純な構造であるにもかかわらず、ローター3枚だけで毎秒1000通りを調べても30億年かかるほどの天文学的な配置の組み合わせを生じさせる。
したがって、暗号の送り手と受け手が、ローターが同じように初期設定された同一のエニグマを持っていなければ、解読は不可能だとみなされていた。
これに対して、チューリングは、36機のエニグマの動作を同時にシミュレートできる暗号解読機「ボンブ」を開発し、2000人の女性士官にローターの配置可能性を個別に探知させる方法で、ついにその解読を成功させた!
エニグマ暗号解読は、ナチス・ドイツを敗北に導いた最大の要因ともいわれるほどの功績である。つまり、チューリングは、連合国軍を勝利に導いた「英雄」であり、1945年にはウィンストン・チャーチル首相から「大英帝国勲章」を授与されている。ただし、この受勲は極秘扱いで1970年代まで公表されず、関係者の口外も固く禁じられたため、チューリングの偉業は、母親でさえ知らなかった。
「機械は考えることができるか」
戦後、チューリングはマンチェスター大学で新型コンピュータを開発し、世界で最初のチェス・プログラムを書いている。1950年、38歳のチューリングは「機械は考えることができるか」という問題を徹底的に追究した記念碑的論文「計算機械と知性」を発表した。
彼は、この問題を単なる概念的な議論に陥らせないために「チューリング・テスト」を生み出し、その概念は今も「機械の思考」を測る基準とみなされている。このように、チューリングの驚くべき独創性は、「思考」や「計算」のような抽象概念を具体的に処理可能にする方法を発見する際に発揮された。
彼の研究は、機械から生命の形態形成へ向かい、反応拡散系において自発的に「チューリング・パターン」と呼ばれる空間的パターンが生じることを理論的に示した。その後、このパターンは実際の多彩な生物の体表面模様において実証されている。
チューリングの研究活動は大いに充実していたが、少年時代から同性愛者であることを自覚していたチューリングにとって、私生活での安定は望めなかった。
実は、戦時中、彼が同性愛者であることを受け入れたうえで、それでも彼を愛して結婚を承諾した女性がいたのだが、結果的にチューリング自ら婚約を破棄したという悲愴な出来事もあった。
1952年、39歳のチューリングは、映画館で知り合った19歳の青年を自宅に招いて宿泊させた。その数週間後、チューリングの自宅に泥棒が入り、警察の捜査の結果、犯人はその青年と彼のゲイ仲間であることがわかった。
チューリングは、窃盗の被害者であったにもかかわらず、裁判の過程で同性愛者であることが公開されてしまった。
当時のイギリスで同性愛は「違法」であり、彼に下された判決は、留置場に収監されるか、性欲を抑制するために定期的に化学的去勢療法を受けるか、どちらかを選ぶという刑罰だった。チューリングは化学的去勢療法を選び、定期的にテストステロン値を下げる女性ホルモンを投与されることになった。
この事件によって、彼はイギリス政府に関連する研究機関への立ち入りを禁止されてしまう。王立協会フェローでもある大学教授のスキャンダルは、新聞に大きく報道された。
チューリングの死と名誉回復
それから2年後、1954年6月8日午後5時頃、41歳のチューリングが死亡している姿をメイドのクレイトン夫人が発見した。ベッドの脇には、齧りかけのリンゴがあった。
検死報告書で明らかになったのは、彼の肺や胃から「強いアーモンドの香りがする青酸化合物」が検出されたということで、そこから青酸化合物を塗ったリンゴを齧った「服毒自殺」であると結論付けられている。
しかし、駆け付けた母親サラは、チューリングが自殺するはずはないと主張した。まず、これまで何でも報告していたサラに遺言がないのがおかしい。また、寝る前にリンゴを齧るのは、以前からのチューリングの習慣だった。
クレイトン夫人によれば、死亡前日の6月7日夜のチューリングは、彼女の作り置きした夕食を平らげている。調べてみると、チューリングは、6月9日に数学者バーナード・リチャーズと面会の約束があり、大学の研究室に残されていた予定表には、翌週以降の予定も多く書き込まれていた。
チューリングの部屋には、彼の趣味である化学実験道具があった。天井の電灯には変圧器が取り付けられ、電線が蒸発皿の電極に繋げられ、その皿には青酸化合物で生じた泡が付着していた。彼は、この装置でスプーンを金メッキしていたのである。
物事に頓着しないチューリングは、青酸化合物の結晶をジャム瓶に入れて保管していた。つまり彼は、電気分解をしているうちに青酸ガスを吸い込み過ぎたか、あるいは間違って結晶を飲み込んでしまったことによる「事故死」に違いないというのが、サラの主張である。
この主張に対しては、チューリングがサラを悲しませないため、あえて遺書を残さず、事故に見せかけて自殺したという見解もある。
さらに小説じみた話になるのだが、私は、実はチューリングはイギリス政府の諜報機関に暗殺されたのではないかと考えている。その理由と背景の事情については、本書の終章で種明かしをするつもりである。
いずれにしても、チューリングの死後、彼の「同性愛」に与えられた屈辱的な「処罰」に対して大きな批判が巻き起こった。彼の死から55年が過ぎた2009年、イギリスのゴードン・ブラウン首相は、チューリングに対する「処罰が完全に不当であったことを認め、ここに深く遺憾の意を表明する」と、イギリス政府として公式に「謝罪」を表明した。
チューリングの生誕109周年を迎えた2021年には、イギリスに新「50ポンド紙幣」が誕生した。表にエリザベス女王、裏にチューリングの肖像がある。
