(※写真はイメージです/PIXTA)

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定年退職は、収入だけでなく夫婦の暮らし方が変わる節目でもあります。仕事中心だった生活が終わり、これから夫婦でどう過ごすのかを考える一方、「残りの人生は自分のために使いたい」と感じることもあるでしょう。長年連れ添ったからこそ、老後も一緒にいることを当然としない夫婦もいます。

「これから毎日2人なんだな」退職初日に感じた違和感

正志さん(仮名・60歳)は、大学卒業後に入社した会社で38年間働き、60歳で定年を迎えました。

最終出社日には同僚から花束をもらい、退職金は約2,300万円。住宅ローンも数年前に完済し、預貯金は夫婦で約2,000万円ありました。

厚生労働省『令和5年就労条件総合調査』によると、勤続20年以上かつ45歳以上の定年退職者の平均退職給付額は、大学・大学院卒の管理・事務・技術職で1,896万円です。正志さんの2,300万円は、この平均を400万円ほど上回る金額です。

退職翌日の朝、正志さんはいつもと同じ6時半に目を覚ましました。

しかし、着替えて会社へ向かう必要はありません。

妻の恵子さん(仮名・59歳)が朝食を作っているのを見ながら、「今日からずっと休みなんだな」と口にすると、恵子さんは「私は仕事だけどね」と笑いました。

恵子さんは週4日、パートで働いています。ヨガ教室に通い、友人と出かけることも多く、子ども2人が独立したあとは自分なりの生活ができていました。

一方の正志さんは、仕事以外にこれといった予定がありません。

数日は家でゆっくりしましたが、1週間もすると時間を持て余すようになります。

「今日、何時に帰る?」

「夕飯は?」

「土曜日、どこか行かない?」

正志さんが何気なく聞くたび、恵子さんの返事は「まだ分からない」「予定があるから」でした。

ある日、正志さんが「定年になったら、2人で旅行でもすると思ってた」と言うと、恵子さんは少し黙ってから答えました。

「私、これから毎日あなたと一緒に何かするつもりではなかったよ」

責めるような言い方ではありませんでした。

それでも正志さんには、その言葉が残りました。

考えてみれば、夫婦でありながら、この20年ほどは平日の大半を別々に過ごしてきました。休日も正志さんは会社関係の付き合い、恵子さんは友人や自分の用事。それぞれの生活がすでにできあがっていたのです。

退職から3ヵ月ほどたったころ、正志さんは夕食後、恵子さんに切り出しました。

「俺たち、夫婦はもう卒業でいいよな」

「私も考えてた」離婚してそれぞれが選んだ60代の暮らし

恵子さんは驚いた顔をしました。しかし、しばらく黙ったあと、「実は私も、少し考えてた」と答えました。

不仲で毎日けんかをしていたわけではありません。どちらかに新しい相手がいたわけでもありません。

ただ、子育てを終え、正志さんの会社員生活も終わったいま、これから20年、30年と同じ家で暮らすことを想像すると、2人とも「今までの延長でいいのだろうか」と感じていました。

もちろん、すぐ離婚届を出したわけではありません。自宅をどうするか、退職金や預貯金をどう分けるか、何度も話し合いました。

離婚時の財産分与では、婚姻中に夫婦が協力して形成した財産が対象となり得ます。名義が夫だけであることを理由に、退職金2,300万円を正志さんがそのまま持って離婚できるとは限りません。

2人は専門家にも相談したうえで、自宅を売却。売却代金と預貯金、退職金などを含めて整理し、それぞれの生活資金を確保しました。

厚生労働省『人口動態統計』によると、2024年の離婚件数18万5,904組のうち、同居期間20年以上の離婚は4万684組。全体の約21.9%を占めています。

離婚成立後、正志さんが借りたのは郊外にある1LDKの賃貸マンションでした。最初にそろえたのは、小さなダイニングテーブルと一人用の炊飯器です。

引っ越して数日後、スーパーで夕食の材料を選んでいると、正志さんはふと「俺、一人分の食事ってどれくらい買えばいいんだ」と迷いました。妻がしていたことを、自分でやらなければならない生活です。

「洗濯なんてボタンを押せば終わりだと思ってたけど、洗ってからが長いんですよね。干して、取り込んで、畳んで。今さら知りました」

それでも、不思議と元の生活へ戻りたいとは思わなかったそうです。

午前中に図書館へ行き、午後は近所を歩く。週に2日はアルバイトを始め、以前の同僚と飲みに行くこともあります。

恵子さんとも、子どもに関する用事があれば連絡を取ります。

「38年会社員をやって、30年以上夫婦をやった。それで定年になったとき、会社だけじゃなくて、今までの生活そのものが一区切りついた気がしたんです」

一方、恵子さんもパートを続けながら、一人暮らしを始めています。

長年連れ添った夫婦が離婚を選ぶ背景はさまざまであり、定年後に別々の道を選ぶことが誰にとっても望ましいわけではありません。離婚後には住居費や生活費をそれぞれが負担することになり、老後資金の見通しも変わります。

だからこそ、退職という大きな節目を迎えたときには、これまでの夫婦生活をそのまま続けることだけを前提にせず、これからどこで、誰と、どのように暮らしたいのかを話し合うことも大切です。正志さん夫婦にとって「第二の人生」を考えることは、夫婦で新しい生活を始めることではなく、それぞれの人生をもう一度組み立て直すことでした。