量子力学における「真空」とは、何もない空間ではなく、仮想的な粒子ペアが常に生成・消滅している空間であると考えられています。この性質から予測される現象として、光(電磁波)を2つの方向に分ける「真空複屈折」が予測されていました。しかし、真空複屈折が起きるには非常に磁場が強い磁気が必要であり、人工的に生み出すことができないため、予測から90年経った現在でも実証されていませんでした。


ジョージ・ワシントン大学のRachael E. Stewart氏とライス大学のHoa Dinh Thi氏を筆頭とする国際研究チームは、宇宙最強の磁場を持つ天体であるマグネターの1つ「1E 1547.0-5408」を観測し、真空複屈折によって起きると考えられる現象を発見しました。まだ真空複屈折の発見とまでは言えないものの、この90年間で最も有力な証拠となります。


超強力な磁場の下で起こる「真空複屈折」

「真空の宇宙空間」という言葉に代表されるように、「真空」とは “何もない空間” というイメージを持っている方は多いと思います。確かに20世紀に入るまでは、そのイメージは正しいものでした。


【▲ 図1: 量子力学における真空の視覚的なイメージ。仮想的な粒子と反粒子が、泡のように生成と消滅を繰り返しています。(Credit: Derek Leinweber)】

しかし、ミクロの世界を記述する量子力学が発展すると、このイメージは正しくないことが分かりました。古典的な電磁力学を発展させた「量子電磁気学(QED)」では、真空は決して何もない空間ではなく、「仮想的な粒子と反粒子のペアが常に生成と消滅を繰り返している空間」であると説明しています。 “真空は泡立っている” とは、この様子のたとえ表現としてよく使われています。


真空(QED真空)がこのような性質を持っていることは、実験的に確かめられています。一方で、これらの検証された真空の性質から、起きると予想されている現象の中には、まだ実験や観測によって証明されていないものがあります。それは「真空複屈折」と呼ばれる性質です。


【▲ 図2: 方解石の結晶で起こる複屈折現象。光が進む方向が2通りになることで、像が二重に見えます。量子力学では、これと同じことが真空でも起きると予測しています。(Credit: Twyla Baker)】

光(電磁波)を透過する物質に光を通すと、光の進行方向が変わる「屈折」という現象は多くの方がご存じでしょう。ここから一歩進めて、方解石(カルサイト)の結晶を通してモノを見ると、像が二重に見える性質を知っている方もいるかもしれません。これは光の進行方向が2方向に変わる「複屈折」という現象で起こります。複屈折が起きる理由を一言で言えば、「物質を作る原子の並び方の対称性が低いと、光の進行方向が2つに分かれる性質が現れる」と言えます。


量子電磁力学によれば、真空には仮想粒子ペアが常にあると予言されていますが、このペアが現れる方向には偏りがありません。偏りがないということは対称性が高いということであり、複屈折は起こらないことになります。しかし強い磁場の下では、このペアの向きが磁場の方向に揃うことが予言されています。もしもこのような偏りが起これば、真空は複屈折を示すことになります。


真空が示す複屈折、すなわち「真空複屈折」は、1936年にヴェルナー・ハイゼンベルクによって最初に予言されましたが、それから90年後の現在でも未実証の性質として残されていました。真空複屈折を観測するには、最低でも44兆ガウス(44億テスラ)もの磁場が必要であると考えられています。これは、現在の技術で生み出せる人工的な磁場の1億倍以上であり、必要な磁場をマクロの世界で作り出すことは、現状では不可能です(※1)。


※1…ミクロの世界ならば一瞬だけ作ることは可能です。原子核を加速器で加速し、衝突しないギリギリの距離ですれ違った状況は、真空複屈折の条件を満たすからです。ただしミクロの世界であるため、観察自体が困難です。2021年には真空複屈折の実験的観察を示唆する成果が発表されましたが、今のところ真空複屈折の発見とはみなされていません。


しかし自然界には、現状の技術をはるかに超え、必要な強さの磁場を持つ天体があります。それは「マグネター」と呼ばれる、宇宙で最も強い磁場を持つ天体です。マグネターは中性子星(※2)の稀なタイプであり、その磁場の強さは100兆~1000兆ガウス(100億~1000億テスラ)と、地磁気の数百兆倍、普通の中性子星の1000倍もあると考えられています。マグネターから20万km以内(月までの距離の半分)では、クレジットカードの磁気情報が消去され、1000km以内では原子が棒のように変形してしまい、通常の化学反応は成立しなくなります。


※2…太陽より重い恒星の中心核が、寿命の最後に重力によって潰れてできるコンパクト星。


マグネターの強力な磁場ならば、その周辺で真空複屈折が起こっているはずです。マグネターからのX線を観測・分析すれば、その証明ができるでしょう。しかし、X線の性質の変化は真空複屈折以外の理由でも起こりうるため、他の理由(※3)では説明できないことを証明する必要があります。


※3…例えば、表面にある非常に薄い大気による影響。


2016年には、今回の研究とは別のマグネター(RX J1856.5-3754)の観測結果から、真空複屈折の発見が示唆されたことがあります。しかしこの観測データは不確かさが大きく、他の現象でも説明可能な点について十分な反論ができていないという問題がありました。


マグネターの周辺で真空複屈折を観測した可能性

ジョージ・ワシントン大学のRachael E. Stewart氏とライス大学のHoa Dinh Thi氏を筆頭とする国際研究チームは、NASA(アメリカ航空宇宙局)のX線観測衛星「IXPE(イメージングX線偏光測定エクスプローラー)」を主体とした同時観測キャンペーンを通じて、マグネターの周辺で真空複屈折が起きていることの実証を試みました。


この同時観測キャンペーンは、複数の観測装置で同じ天体を同じタイミングで観測することで、お互いのデータを補完しあうことを目的としています。今回は主体となるIXPEの観測データを補完するため、ISS(国際宇宙ステーション)のX線望遠鏡「NICER」と、オーストラリアのパークス天文台にある64m電波望遠鏡「ムリヤン」で同時観測が行われました。


今回の同時観測キャンペーンの対象は、マグネターの1つ「1E 1547.0-5408」です。1E 1547.0-5408が選ばれたのは、磁場の強さと電磁波放射の向きが関係しています。推定される磁場の強さは、約220兆ガウス(約220億テスラ)と、マグネターの中でも上位に位置する強力な磁場を持っています。さらに過去の観測結果から、1E 1547.0-5408の電磁波放射は、磁場の軸の向きとほぼ揃っていることが示唆されています。このような性質は、真空複屈折が起きているかどうかを知るのに都合が良い性質です。


【▲ 図3: 1E 1547.0-5408の周辺で起こっている真空複屈折の概念図。磁場(青い曲線)の軸とほぼ同じ方向に電波(明るい青の波線)が放射されています。一方でX線(暗い青色の波線)は、この軸から外れた方向に放射されています。このような角度のズレは、真空複屈折以外の理由では説明がつきません。(Credit: NASA & Pablo Garcia)】

研究チームは、1E 1547.0-5408からのX線放射および電波放射を約140時間観測し、それぞれの強度や偏光(※4)の変化を調べました。その結果、本来なら約2秒ごとに現れる強度のピークが、時間ごとに少しずつズレていくこと、他の似たような天体と比べて、偏光の変化の度合いが約3倍も大きいことが分かりました。


※4…電磁波は波であるため、振動する方向があります。普通はランダムな振動方向を示しますが、何らかの理由で振動方向が分離されると、その電磁波は偏光していると表現されます。


このような強い変化は、マグネターで考えられる他の影響では説明できない一方、真空複屈折を仮定すると大きな矛盾を伴わずに説明できます。このため、研究チームは今回の成果を、「真空複屈折を初めて直接観測した可能性がある」と評価しています。


ただし現時点では、真空複屈折の発見とまでは主張していません。真空複屈折を観測した可能性が高いものの、他の説明が完全に排除されたわけではないからです。どちらかと言えば、天体観測によって量子力学の実証実験ができるというミクロとマクロの融合について「量子宇宙探査への新たな道が開かれるかもしれない」と表現しています。


研究チームは、真空複屈折が現れやすいと予想されている、低エネルギーのX線で同様の結果が現れれば、成果を確定できると考えており、今後の観測の発展に期待を示しています。


ひとことコメント

真空複屈折は90年来の探し物! これが本当ならば量子力学の重要な節目になるよ。(筆者)


 


文/彩恵りり 編集/sorae編集部


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