賤ヶ岳の勝敗を決めたのは誰だったのか? 秀吉「美濃大返し」と前田利家の戦線離脱
歴史研究家の市橋章男氏らが出演するYouTubeチャンネル「なるほど! 歴史ミステリー」が、「【賤ヶ岳の戦いが関ヶ原につながった】秀吉を勝たせた「七本槍」が豊臣政権分裂の火種に 前田利家はなぜ戦線離脱した?豊臣兄弟歴史解説32」と題した動画を公開した。動画では、柴田勝家と羽柴秀吉による「賤ヶ岳の戦い」を振り返り、その後の歴史に与えた影響を解説している。
市橋氏はまず、織田信孝の降伏と柴田勝家の動きについて解説。秀吉に岐阜城を包囲された信孝は、雪で動けない勝家の援軍を期待できず、一度は降伏する。しかし雪解けを待って勝家が反撃に出ると再び挙兵。これに対し秀吉は、信孝が差し出していた人質を処刑し、美濃攻めへと向かう。
続いて、賤ヶ岳の戦いにおける大きな転換点として「佐久間盛政の突出」と「美濃大返し」に言及。大岩山砦を陥落させた盛政が勝家の撤退命令に従わず前線に留まり続けると、大垣にいた秀吉は約52kmの道のりをわずか5時間ほどで駆け戻ったとされる「美濃大返し」を敢行。盛政の軍勢を急襲し、戦況を一気に逆転させた。
この戦いでは、「賤ヶ岳の七本槍」と称される福島正則や加藤清正ら秀吉子飼いの若い武将たちが武功を挙げた。彼らはのちに豊臣政権を支える武将へと成長するが、秀吉政権では石田三成ら実務を担う家臣たちとの対立が生まれていく。市橋氏は、こうした対立が豊臣政権の分裂を招き、やがて「関ヶ原の合戦の元々の火種になった」と指摘する。
さらに、柴田軍の重要な位置を担っていた前田利家が突如として戦線を離脱し、柴田軍が総崩れとなったことにも言及。利家が撤退した明確な理由は現在も分かっていない。秀吉による事前の調略があったとも考えられるが、市橋氏は「簡単に調略に乗るような男でもない」と語る。この謎に包まれた戦線離脱がドラマでどのように描かれるのか、今後の大きな見どころとなりそうだ。
市橋氏はまず、織田信孝の降伏と柴田勝家の動きについて解説。秀吉に岐阜城を包囲された信孝は、雪で動けない勝家の援軍を期待できず、一度は降伏する。しかし雪解けを待って勝家が反撃に出ると再び挙兵。これに対し秀吉は、信孝が差し出していた人質を処刑し、美濃攻めへと向かう。
続いて、賤ヶ岳の戦いにおける大きな転換点として「佐久間盛政の突出」と「美濃大返し」に言及。大岩山砦を陥落させた盛政が勝家の撤退命令に従わず前線に留まり続けると、大垣にいた秀吉は約52kmの道のりをわずか5時間ほどで駆け戻ったとされる「美濃大返し」を敢行。盛政の軍勢を急襲し、戦況を一気に逆転させた。
この戦いでは、「賤ヶ岳の七本槍」と称される福島正則や加藤清正ら秀吉子飼いの若い武将たちが武功を挙げた。彼らはのちに豊臣政権を支える武将へと成長するが、秀吉政権では石田三成ら実務を担う家臣たちとの対立が生まれていく。市橋氏は、こうした対立が豊臣政権の分裂を招き、やがて「関ヶ原の合戦の元々の火種になった」と指摘する。
さらに、柴田軍の重要な位置を担っていた前田利家が突如として戦線を離脱し、柴田軍が総崩れとなったことにも言及。利家が撤退した明確な理由は現在も分かっていない。秀吉による事前の調略があったとも考えられるが、市橋氏は「簡単に調略に乗るような男でもない」と語る。この謎に包まれた戦線離脱がドラマでどのように描かれるのか、今後の大きな見どころとなりそうだ。
YouTubeの動画内容
関連記事
北ノ庄城炎上 お市の最期と生き延びた茶々・初・江、その後の運命を市橋章男氏が解説
信長の法要が「政治戦」の舞台に? 秀吉が3000人の大葬儀で示した織田家の主導権
清洲会議は「後継者争い」ではなかった? 秀吉と勝家を逆転させた本当の決定
チャンネル情報
歴史ドラマの背景となっている史実を解説し、より楽しみながら知識を深められる時間を、歴史研究家の市橋章男とアシスタントの浜崎友里がご提供。戦国武将、史跡や文化財などの歴史話、大河ドラマや歴史映画の歴史背景を面白く雑学を交えながら配信します。
youtube.com/@history-channel
YouTube