KNB北日本放送

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公式凱旋イベントがいよいよあすに迫る中、NBAスター選手となった八村塁の「ふるさと富山」での足跡をたどります。

アフリカ、ベナン出身の父と日本人の母を持つ八村選手は、富山で生まれました。

奥田小学校時代に熱中していたのは、野球と陸上。投げるボールが速すぎてほかの部員は痛くてとれない、そんな理由からポジションは「キャッチャー」。1塁に出れば盗塁で3塁まで行く、4番打者でした。当時の監督は「身体能力が抜群で、1人だけ中学生のようだった」と語っています。

八村選手が小学校の卒業文集に記した言葉です。
『自分に合ったスポーツが何なのか、そしてどんな仕事が向いているのか 見つけていきたい』

奥田中学校に入学した八村選手、ここで人生の大きな転機を迎えます。「野球部か?陸上部か?」と迷う中、熱烈なラブコールを送ってきたのはバスケットボール部員たちでした。

奥田中学校バスケ部OB 岡山翔太郎さん
「普通にバスケやろうとかそんな感じっす。結構しつこく最初『わかったわかった』って言ってちょっと渋っとって、しつこく言ってわかったって感じ」

導いたのは、坂本穣治コーチでした。

坂本穣治コーチ
「どうも野球に入らないみたいだって話から、とにかく夜間練習連れてこいって。放課後に連れてこいって。僕がいるときにね」「『とにかく1回来て。みんな楽しいよ』っていうふうに、そういう話ですと。来たら楽しかったんじゃないかな」

現在ともに日本代表で活躍する馬場雄大選手は、奥田中学校の2学年上で当時のキャプテン。

馬場雄大選手
「小学校は野球やってましたし、野球の可能性もあるみたいに聞いていて。でもバスケ部としてはあういう存在は大きいわけで、なんとか塁をバスケ部に入れようとした思い出はあります」

熱心な誘いがなければ、バスケに出会うことはなかったかもしれません。3年生の馬場選手と1年生の八村選手。先輩のプレーに魅了されます。

八村選手
「特に雄大さんは僕がバスケ始めたときに最初に憧れた選手なので」

13歳で始めたバスケですが…はじめはできないことだらけでした。

坂本穣治コーチ
「ボールがこうあって、叩いても叩いてもあがってこないと」「何回もやるんだけどできなくて。『八村八村ルイルイ』って『お前ボール持ってみ?』って言ったら持てるんですよ!『みんなボールつかめないからあんなことやってるんだけど、お前ボールつかめるんだったらそれでいいんだよ』って言ったらあっという間に1番、ぶっちぎりですよ」

当時、坂本コーチにかけられた言葉は、八村選手の夢になりました。

坂本穣治コーチ
「NBAはね、とにかく1年生から」「NBA、NBAってみんなが憧れるものだけど、まさか本当にああなるとは…」

八村選手
「入った時からコーチたちがそういう風に言ってくれて、僕に大きい夢を与えてくれたというか、そういう話をしてその時からモチベーション高くしてやってきました」

世界最高峰「NBA」。そこへたどり着くのがどれほどの険しさなのか当時は知る由もなく、コーチから与えられた目標をただただ無我夢中で練習します。八村選手が中学3年生のとき、奥田中学校は創部以来初めて全国大会に出場。リバウンド、パス、シュート、1つ1つのプレーに無限の可能性を感じさせます。チームは県勢初の全国準優勝を成し遂げました。

富山でバスケの楽しさと難しさを知った八村選手は、その後飛躍的な進化を遂げ、日本人で初めてのNBAドラフト1巡目指名。
まもなくNBAで3チーム目、8シーズン目の開幕を迎えます。

八村選手
「僕がバスケットボール始めたのは、コーチからすごいいいものを教わって仲間からもすごいいい刺激をもらって、ここで育ててもらったから今の僕がいると思います」

そんなスーパースターが、バスケを始めた富山に帰ってきます。いよいよあすイベントが開催される駅北地区では、こんな人形も八村選手の凱旋を
心待ちにしています。県民総出でお祭り気分を盛り上げます。「YKK AP PRESENTS BLACK SAMURAI 富山 Homecoming」はあす開催です。

ふるさと富山への熱い思いを持つ八村選手が地元を盛り上げたいと思いを込めたイベント、いよいよあす開催です。