〈日本最高齢111歳男性が遺した言葉〉朝昼晩3食と2度のおやつが日課だった…長生きの秘訣はストレスをためないこと「くよくよしても始まらんで、すぐ忘れることだ」
2026年2月、111歳で生涯を閉じた水野清隆さん。国内最高齢の男性として過ごした晩年、何を食べ、何を楽しみ、何を思って日々を送っていたのか。戦争も高度経済成長も経験し、大正から令和まで4つの時代を生き抜いた水野さんが、亡くなる前年に語った言葉を改めて届ける。(2025年7月取材・前後編の前編)
【画像】生前、国内最高齢男性として磐田市長から祝状をもらっていた水野清隆さん
長生きの秘訣は「忘れること」
2025年3月で御年111歳の誕生日を迎えた静岡県磐田市の水野清隆さん。当時、男性の中では国内最高齢となったが、改めて長生きの秘訣を聞いてみたところ、
「自分でもさっぱり分からんけど、何事もくよくよしないことだね。そして、ストレスをためんこと、それが一番! くよくよしても始まらんで、すぐ忘れることだ」
111歳の“超”高齢者とは思えないほど、しっかりした受け答えで話した清隆さん。現在は息子夫婦と孫の4人暮らしだ。白内障で108歳のころに両目が見えない状態となり、「俺はもうダメだ」と思ったというが、それ以外は大きな病気もせず、月2回の訪問医にも「血圧脈拍ともに健康です」と診断されたばかりだったという。
同居する息子の重宏さん(当時78)に、清隆さんの普段の生活ぶりを聞いてみると、
「毎朝6時に起床して、朝昼晩の3食しっかり食べるのはもちろん、午前と午後に1回ずつおやつも食べてます。カステラ、バームクーヘン、ヤクルト、たまに誰かがお土産で持ってきたお饅頭とかも食してますね」
長年、農家を営んでいたこともあり、旬の食べ物も毎日3食、腹7分目まで食べていた。嫌いなものは特になく、お酒に関しては「健康のこと思うて95歳のときにやめた。もう身体に応えたでよ」という。
慣れ親しんだ我が家で生活しているため、両目が見えないながらも、普段は壁を伝って移動しているといい、一昨年(110歳)までは、歩くとき以外ほとんど介助を受けないで生活していたというから驚きだ。そのことについて聞いてみると、
「この年じゃ施設に入って世話してもらう人も多いでな。まあ目は見えんくなったが、身体だけはどうにか健康で、食べるのも当たり前に食べていけるからな」
と笑顔で答えてくれた。就寝時間は毎日午後8時過ぎと規則正しい生活を送っていた。
今一番の楽しみは…
そんな清隆さんが当時、楽しみにしていたのは昔から大好きだった大相撲中継をヘッドフォンで聴くことだった。白内障を患う前は野球や駅伝などのスポーツ観戦を楽しんでいたが、見えなくなった今は「パっと勝負が決まる相撲がいい」と語る。
近年の力士では照ノ富士、稀勢の里、歴代では白鵬が好きだといい、現在は大の里の活躍にも注目しているというが、一方でこんな不満も…。
「今は目が見えないしな、力士も名前しか分からん。音で聴いててもお客さんの『ワー』っていう歓声で、アナウンサーも何言ってるのか聴こえないしな。誰が勝ったのか負けたのか分からへんから、昔よりはうんっと興味が薄れちゃったな」
昔大好きだったという駅伝のことについて聞いてみると、
「マラソンも(どんな選手がいたか)忘れちゃったな~。瀬古(利彦)なんてのがいたな~」
一方、野球は巨人ファンだといい、好きな選手について尋ねてみると、
「巨人の長嶋や王はよかったな~。長嶋は少し前に文化勲章をもらってたな。王は国民栄誉賞第1号をもらってな。今じゃどうなってんのかわからないな」
と饒舌に当時を語っていた。長嶋茂雄さんが2025年6月、89歳でご逝去されたことを伝えると、
「死んだのか! あ~そう…。王は元気なのか? そうかそうか」
と少し寂しそうな表情を浮かべていた。
清隆さんの111歳の誕生日当日は家族でケーキを囲んでお祝いしたといい、当時のテレビでも大々的に「国内最高齢の男性」と報じられた。実際、ご近所の反応はどうだったのか。息子の重宏さんによると、
「『まさかこんな小さな集落から国内最高齢が出るなんて!』と、みんなびっくりしてましたよ。でも長年、農家をやっていたもんで、みんな『きよちゃ(清隆さんのあだ名)、よく働いてたもんね』って納得していた感じではありました」
改めて清隆さんに今後の目標ややりたいことはあるのか聞いてみると、
「別にないな…(笑)。まさかこんなに長く生きるとは思ってなかったからな~」
と笑った。次の誕生日も、その変わらぬ笑顔で迎えられる光景が容易に目に浮かんだ瞬間だった。
後編「戦争はいつまでも記憶しとくもんじゃないで」へつづく
取材・文/木下未希
