高木美帆さんが10代のアスリートにメッセージを送った【写真:松橋晶子】

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連載「10代のジブンへ」第1回、高木美帆(スピードスケート)中編

 多感な思春期を、トップアスリートたちはどんな思いを抱きながら駆け抜けたのか。キャリアを積み重ねた今だからこそ見える景色とは――。THE ANSWERが各競技を代表するアスリートたちの“原点”に迫るインタビュー連載「10代のジブンへ」。スポーツに勉強に一生懸命だった日々を振り返りながら、その後のキャリアにつながった経験、人生を変えた出会いや言葉などを思い起こし、今を生きる中高生アスリートにメッセージを送る。

 今年4月に現役引退を表明し、8月に国民栄誉賞を受賞したスピードスケートの高木美帆さんは、帯広南商業高校に通った3年間を「満喫できた」と振り返る。海外遠征を含めて競技に全力を注ぎながら、勉強にもしっかりと打ち込み、友人たちとはかけがえのない時間を過ごした。高校生として全力で青春時代を楽しんだからこそ、2014年ソチ五輪落選後の苦しい時期もエネルギー切れを起こすことなく全力で駆け抜けることができたという。(取材・文=二宮 寿朗)

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《2010年、日本スピードスケート界最年少の15歳でバンクーバー五輪に出場した高木美帆さんは、その年の4月、姉・菜那さんと同じ帯広南商業高校に進学する。学校生活とスピードスケートに費やす青春時代は、高木さんにとって何より充実した日々となった。ただ入学当初は戸惑ったことがあったという》

 南商は女子の多い学校で、私が入ったのも女子だけのクラス“女クラ”でした。中学の3年間は男子のなかに交じってサッカーをやっていましたから、話すのも遊ぶのも男子とばかりが多くなって女子の友だちがほとんどいなかったです。幼馴染の男の子が一緒のサッカー部だったので、そこでのつながりで広がったことも理由ではありました。別に自分が男子に見られたいとかじゃなくて、女子への接し方が分からない感じがちょっとあって……。

 そういうものが高校でだんだんなくなって、2年生の時も女クラになりました。担任の先生に聞いたら「混合クラスにすると女子の友だちが少なくなるかもしれないから、君は3年間女子クラスだ」と言われて、確かにそうだなって納得したんです。そのおかげで女子の友だちが増えていきました。

《高校ではスピードスケートのほかヒップホップダンスにも力を入れ、文化祭で披露している。勉学も疎かにしなかった。海外遠征の時もわざわざ教員に課題を出してもらい、教科書を持参して移動の飛行機でも勉強していたほどだ》

 ダンスは唯一趣味でできるものだったし、結果を追い求めるものでもなかったのでいいリフレッシュにはなっていました。スケートの部活だけじゃなくて、ダンスも遊びも勉強も全部、満喫したなとは思います。

 テスト前になると部活も1週間、休みになるんです。友だちと一緒にミスタードーナツとかモスバーガーに行って勉強するわけですけど、「真面目だよね」って言われてしまうタイプ。テスト前だからテスト勉強するのが普通だと思うのに、友だちは別にそこまで思っていないようで(笑)。いい点数を取りたいというより、見たことのある問題なのに解けないってなるのが最も嫌でした。だから一応、ちゃんと(範囲は)網羅しておこう、と。勉強でも中途半端にはやりたくなかったので、朝早く起きてやっていましたね。

 スケートをやっているから勉強ができないと言われるのが、性格的に嫌だというのもあったと思うんです。だから海外遠征に行こうが、そこを言い訳にはしたくなくて。競技と勉強を両立したほうが将来のためになるとかは別に考えていなくて、その時々の欲求に従っていたのかなとは感じます。やりたくない気持ちでやっても、それだとどうせ身につかない。だったらちゃんとやろう、と。そういう思いもちょっとありましたね。

高校3年間を満喫できたから、平昌五輪に向かっていけた

《思春期に入る中学、高校時代は親に対する反抗期にもあたる。競技に勉学に充実した日々を送る高木さんも通った道だった》

 反抗期はしっかりありましたね。父に対して強かったと思います。別に口答えするほうではないんですよ。むしろ何か言われても反応しないとか、そっち系ですね。高校には自転車で通っていましたが、雨や雪になると父に車で送迎してもらっていました。

 仕事の時間をずらしてもらったりしていましたし、母からは「父に対する敬意を持ちなさい」とは常々言われていました。反抗期の真っ只中ではありましたが、送迎してもらったら「ありがとう」と小さい声で、それも早口で伝えていました。聞こえていたかどうかは分かりませんが(笑)。

《思春期にある10代は感受性が高くなる時期とも言われている。誰かの言葉が心に響いて、その後の人生に活きることもある。高木さんも例外ではなかった。スピードスケートでも人間的にもグングンと成長していき、高校2、3年時には世界ジュニア選手権で総合2連覇を果たしている》

 10代の時に影響を受けた言葉は、私にもあります。ジュニアの日本代表に選ばれて海外遠征に行った時のこと。派遣された他校のコーチから、「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」と言われたことがすごく印象に残っています。スケートの成績が上がっていったとしても、人は常に謙虚でなければならないということ。確かにそうだなって思ったことを覚えています。

 ただスケート的に言うと、「頭を垂れる」と滑る姿勢としては良くないんですよね。私も考えすぎてしまうと、自然と頭を下げてしまうことがありました。これはことわざではないのですが、(同じコーチから)「頭でっかちになるな、心で滑れ」とも言われたことがあって。おかげであまり考えすぎないようになって、自分の感覚を大切にできるようになったことも私にとっては大きかったと思います。

 高校3年間はスケートも頑張りましたけど、たくさん遊んだし、勉強も含めて学校生活を頑張れました。いろんな思い出をみんなと共有できました。大学1年の時、ソチ五輪の選考会で結果が出なくて大会に行けなかった後、自分の人生をスケートに懸けようと覚悟を決めました。それにはかなりのエネルギーが必要でしたが、若い時の青春というか、10代の楽しかった記憶が私のエネルギーになりました。高校3年間を満喫できたから、エネルギー切れを起こすことなく、次の平昌五輪に向かっていけたんです。

 中高生の時期は、その時にしかできないことがある。きっと自分自身が思っているより、10代はできることがたくさんあって、興味や関心さえあれば、10代ならではの熱量も体力もあるから、何でもやれると思うんです。(10代へのメッセージとして)もし私の経験で語るなら、中高生の時期しかできないことを、しっかり味わってほしいですね。そうすればその後の人生のどこかで、頑張れるエネルギーになるはず。私はそう実感したし、私にとって大切で、必要なエネルギーでもありました。

(16日掲載の後編へ続く)

■高木 美帆 / Miho Takagi

 1994年5月22日、北海道中川郡幕別町生まれ。幼少期から様々なスポーツに親しむなか、5歳から始めたスピードスケートで頭角を現すと、中学2年だった2009年2月のジュニアW杯で優勝。その後、国内代表選考会を勝ち抜き、翌10年バンクーバー五輪に日本スピードスケート史上最年少の15歳で出場を果たす。帯広南商高、日本体育大でも実績を積み上げたが、14年ソチ五輪代表選考会で敗れて落選。その悔しさを糧にオールラウンダーとして飛躍を果たすと、18年平昌五輪で3つ、22年北京五輪で4つのメダルを手にした。今年2月のミラノ・コルティナ五輪で3つの銅メダルを加え、日本女子最多となる通算10個の五輪メダルを獲得。26年4月に現役引退を発表した。

(二宮 寿朗 / Toshio Ninomiya)

二宮 寿朗
1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)などがある。