人間とチンパンジーのDNAの違いはわずか1%?『ざんねんないきもの事典』動物学者が父から学んだ研究の本質

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日本の希少なネコ、「イリオモテヤマネコ」は絶滅の危機にあり、特別天然記念物や国内希少野生動植物種に指定されています。そのため、多くの研究者が注目してきました。この「イリオモテヤマネコ」を新種として発表したのは、『ざんねんないきもの事典』や動く図鑑「MOVE」シリーズの監修でも知られる動物学者・今泉忠明先生の父・今泉吉典さん。親子そろって動物学の道を歩んできました。

今泉先生の子ども時代や動物との出会い、そして動物学者として歩んできた中で経験した数々のエピソードが綴られている『気がつけば動物学者三代』(講談社)から抜粋してお届けする連載。第6回では、父・吉典さんが亡くなる前に今泉先生へ送った「イリオモテヤマネコ」についての手紙から、DNA解析だけではわからない、生きものの世界の複雑さをお伝えします。

イリオモテヤマネコは新種ではない?

二十代のころは、いやというほどいっしょに動物の調査に出かけた父ですが、年を重ねるにつれ、それも徐々に減っていきました。僕が自分の研究で忙しくなったせいもありますし、父の体力が衰えたことも関係しています。

父は、国立科学博物館を定年退職した後も研究に励んでいましたが、二〇〇七(平成十九)年に亡くなりました。九十三歳の大往生でした。

亡くなる十二年ほど前、僕は父から手紙をもらったことがあります。筆まめではない父が手紙を寄こすのは珍しいことで、それが父から受け取った最後の手紙になりました。手紙の内容は、イリオモテヤマネコについてでした。

『イリオモテヤマネコのミトコンドリアDNAの記事が朝日新聞に2度も出て、2回目にはイリオモテはベンガル(ヤマネコ)の亜種かとまで書かれてしまいました』

手紙の冒頭は、このような出だしで始まっています。

父が手紙を書いた当時、「イリオモテヤマネコは新種ではない」という新しい説が北海道大学の研究者から発表されました。北海道大学の学生によって、イリオモテヤマネコと、九州と韓国の間に浮かぶ対馬に棲む、ツシマヤマネコのミトコンドリアDNA(ひとつの細胞の中に数百から千数百個存在し、母親由来で受け継がれるDNA)を比較したところ、両者はきわめて近く、さらにユーラシア大陸に生息するベンガルヤマネコとも近縁であることが判明した、とのことでした。そのため、「イリオモテヤマネコは、DNA上は新種ではない」と結論づけた記事が、二度にわたって新聞に掲載されたのです。

DNA説に反論する父の最後の願い

父は、イリオモテヤマネコとほかのヤマネコの骨や舌などの違いを調べた結果、「イリオモテヤマネコは新属新種だ」と結論づけていましたから、この新説には大きなショックを受けました。もう高齢だった父は、「DNA説の欠陥を見つけて、イリオモテヤマネコが間違いなく新種であることを世間に証明してほしい」と僕に頼んできたのです。

父はDNAの専門家ではありませんが、自分なりにいろいろと調べたようです。手紙には、こうありました。

『イリオモテとベンガルミトコンドリアDNAで比較するのは不当なことになります。なぜならイリオモテはメタイルルス亜科でネコ亜科とは2000万年以上前に分岐した可能性が大だからです』

学者である父の手紙は専門用語だらけで難しいので、僕が解説します。

手紙の中で父は、アメリカのブラウンという動物学者が、オランウータンの研究を通じて、ミトコンドリアDNAの比較によって動物を分類する場合、三〇〇万〜一〇〇〇万年前までに枝分かれした種であれば有効だが、それより古くに枝分かれして定着した種には無効だという論文を書いていると指摘しています。そのうえで、イリオモテヤマネコはイエネコやヤマネコを含むネコ属ではなく、メタイルルスというオオヤマネコに近い仲間であり、ネコ属の祖先とは二〇〇〇万年以上前に分かれているのだから、DNAを比べて、イリオモテヤマネコが新種ではないと結論づけることはできない--というのが、父の主張でした。

つまり、はっきりいえば、「そもそもイリオモテヤマネコとベンガルヤマネコをミトコンドリアDNAで比較すること自体が正しくないのではないか」というのが父の考えでした。

DNA解析だけで新種と決められる?

ここで、ミトコンドリアDNAを使った解析について、ざっくりと説明しておきましょう。DNAは一本の長いはしごのようになっており、薬剤を注入していくつかに切り離し、ふたたびくっつけます。そして、そのくっつき方がどのくらいの割合なのかを比較するのです。たとえば、イリオモテヤマネコのDNAとツシマヤマネコのDNAをそれぞれ切り離して片側だけ残したものを入れ替えてくっつけてみるのです。これがうまくくっつけば同種で、くっつかないところが多ければ別種だというのが、DNA解析による動物分類の考え方です。

細胞内で呼吸を行いエネルギーを作り出すミトコンドリアは、母性遺伝することが定説となっていました。受精卵において父親由来のミトコンドリアは「自食」と呼ばれる作用によって分解されるため、遺伝子が次世代に伝わらないというものです。しかし、ごく最近の研究結果で、父親由来のミトコンドリアDNAが遺伝していたとの報告がありました。人類の起源となる女性と言われている「ミトコンドリア・イブ」という仮説はミトコンドリアの母性遺伝を前提としているため、学説が覆される可能性もでてきたのです。

このDNAによる分類ですが、「では、何パーセントくっつかなければ別種なのか」、「何パーセントくっつけば同種なのか」という疑問が生まれます。たとえば、人間とチンパンジーのDNAの違いは約五パーセントと言われ続けていましたが、最近になって違いは1パーセントにすぎないと言われ始めたのです。けれども、ごく最近の報告では15パーセントも違うとの報告がありました。なぜこんなに数値が揺れ動くのかは器材の発達です。新しい分析機器を用いると数値が違ってくるのです。

1パーセントにしろ15パーセントにしろ、「数パーセントしか違わない」のか、「数パーセントも違う」のか、ということについて、まだ論争がなされていません。モグラなどほかの動物を見ても、大きさ別に見れば別種だけれど、DNAについては、かぎりなく近いということがありえるかもしれません。しかも、比較するのは一部の遺伝子であり、すべてではありません。

そう考えると、「DNAがかぎりなく近かったから新種ではない」というのは、結論を急ぎすぎたのではないでしょうか。DNAによる分類には、まだ研究の積み重ねが必要だと僕は思います。

ただ、「イリオモテヤマネコはDNA上は新種ではない」という説が発表された一九九〇年代は、世界的にDNA説がもてはやされていた時期で、世間は「イリオモテヤマネコは新種ではない」と理解してしまいました。そして、父が生きている間は、その状況が変わることはありませんでした。父は、さぞかし無念だったと思います。

動物の現場でこそ見えることがある

ところが最近になって、「DNAは個体を識別するには有効だが、動物の種の判定には有効でない場合が少なくない」という説が出てきました。

たとえば雑種の問題があります。マガモとオナガガモはDNAを比較すると、あきらかに違います。種が違うからでしょう。しかし、この二種は、人間が飼育する環境の下では、自由に交配し、雑種の子ができます。さらに、その雑種の子は一代、二代、三代間でも、また、それら雑種と両親の種との間で「戻し交配」をしても完全に子どもができます。

この二種の繁殖地は大部分重なり合っていますから、野生のものも自由に交雑し、この両種は完全に溶けあってしまいそうなものですが、実際はそうなっていません。両種間の雑種は数千羽に一羽という低い確率でしか現れず、戻し交配が起こったと思われる例も知られていません。雑種だけが集まって、ひとつの個体群を形成するようなこともありません。

つまり、マガモの集団とオナガガモの集団は、互いに遺伝子を交換することなく、はっきり違った集団として存在しているのです。じつは、哺乳類を見ても、別種であることは疑う余地がないのに、雑種でも完全に子孫を残せるものがいます。ホッキョクギツネとアカギツネです。両生類でもトノサマガエルとダルマガエルが、それに該当します。

ある生物のグループを、ひとつの「種」としてまとめられるかといった「種とはなんぞや」という定義は、じつはまだ完成していません。いくつもの違う定義が存在するのです。DNA解析という技術を、動物の種という問題に当てはめて、すっきりと解決することはまだ早いのです。まだ、この技術を種の分類に応用してはいけないということでしょう。現在の分類学は、ある意味、混乱している状態なのです。

父の手紙に書かれていたブラウンという動物学者の著書を、僕は読んでみました。そこには、こういった主旨の記述がありました。

DNAの研究者も、実際に動物が生息している現場に行って考えなさい。そうすれば、DNA上の研究結果が正しいのか、おのずと証明してくれる。研究室でDNAだけ見ていても、わからないことはたくさんある』

ブラウンのこの言葉は、僕をますます調査に駆り立てるきっかけになりました。

「動物たちが生きる現場に実際に足を踏み入れるからこそ、わかることがたくさんある」

そのことを生涯忘れないようにするためにも、僕は、父からの最後の手紙を今も大切に持ち続けています。

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