2022年7月、31歳の時に、東京本土から約287km離れた離島・八丈島に移住した女流プロ雀士の松岡千晶さん(35)。プロ雀士として活躍し、都心で便利な生活を送っていたにもかかわらず、なぜ彼女は離島に住むことを決めたのか?

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 八丈島で暮らす松岡さんに、移住のきっかけや、20代のときに抱えていた仕事や将来への不安、コロナ禍で心身が不安定になったときの状況、移住を実現するまでの経緯などについて話を聞いた。(全5回の1回目/2回目に続く)


松岡千晶さん(本人提供)

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プロ雀士・雀荘店長として多忙な毎日を送っていた20代

――松岡さんは、東京都大田区生まれながら、現在は東京から飛行機で1時間ほどの離島・八丈島にお住まいなんですよね。

松岡千晶さん(以下、松岡) はい。今は毎日のように釣りをしたり、畑を耕したりして暮らしています。都心で麻雀ばかり打っていた頃には、考えもしなかった暮らしですね。

――もともと自然が好きだったのでしょうか?

松岡 そうですね。小さい頃から家族と釣りに行っていたみたいで。昔の写真を見返すと、そういう場面が残っているんです。

 中学生で麻雀にはまってからは、文字通り麻雀漬けの生活をしていましたが、そんな生活でも、レンタル畑やベランダで野菜を育てたりしていました。今思うと、自然に触れることが、私にとって大事な時間だったのかもしれません。

――八丈島に移住したのは、一人旅で訪れて気に入ったのがきっかけだったそうですね。旅もお好きだったのですか?

松岡 旅を始めたのはここ数年、コロナ禍のちょっと前くらいの話なんですけどね。私、もともと内気なところがあって。その性格を変えたくて、いろいろ挑戦してみたいなと思ったうちの1つが、一人旅でした。  

 LCCを使って、片道数千円で行けるところを見つけては、知らない場所でもとりあえず行っていたんです。国内のLCCを使って行ける場所は、ほとんど行ったと思います。

 普段は内気なんですけど、知らない土地だといつもと気分が変わるからか、気づいたら地元の方に混ざって居酒屋で飲んでいたりして(笑)。

 そうしているうちに、同じ日本でも、場所によって土地の空気も、住む人の雰囲気もぜんぜん違うことに気がついて、面白いなって。いろんな土地でいろんな人と話してみたい気持ちが、どんどん大きくなっていったんです。

 ただ、仕事もあるから、2泊3日程度の旅がほとんどでしたね。

――当時は、都内でプロ雀士・雀荘店長をしていたのですよね。

松岡 中学生のときに麻雀にはまって、大学生になってアルバイトができるようになってから、雀荘で働き始めたんです。そこで出会った人たちから、「そんなに麻雀が好きなら、プロを目指してみたら」と言われて。

「大好きな麻雀をしながらお金もいただけるとは、なんてすごい仕事だ!」と思って、プロを目指すようになりました。21歳のときにプロ雀士になり、24歳のときには、雀荘の店長も任されるようになったんですよ。

――まさに、麻雀漬けの生活だったのですね。

松岡 麻雀が楽しくてしょうがなかったのはもちろん、女流プロとしてお仕事をいただける機会も多かったですね。ありがたいことに、雀荘にもたくさんのお客さんが来てくれていました。おかげで、20代で月80万円前後は稼げていたと思います。

将来に対する不安やストレスが積み重なり心身が不安定に

――当時は、どんな生活をしていたのでしょうか?

松岡 神田の家賃15万円の1Kのマンションで、一人暮らししていました。ホテルみたいにきれいな内廊下のマンションで、すごく気に入っていたんですよ。

 ただ、雀荘の店長をしながら、全国の雀荘のイベントにゲストとして参加したり、プロの対局に出たりする毎日を送っていたから、しっかりした休みはほとんどありませんでした。

――そんな忙しい生活のなかで、どうやって旅にでていたのでしょうか?

松岡 店長だったので、シフトを自由に組めたんですよ。イベントや対局がある日と雀荘のシフトをできるだけまとめて、2、3日のまとまった休みを作るようにしていたんです。

 ただ、店長だからこそ休みの日に連絡が入ってくることも多くて。旅先でトラブル対応に追われることもあるし、そうでなくても「いつ電話が来るかな」と気が休まらなかったです。次第に「このままでいいのかな」って気持ちが強くなっていきました。

――このままでいいのかな、というのは。

松岡 ちょっと麻雀から離れたくなったんですよね。麻雀が好きな気持ちは、今も昔も変わりません。でも、中学生の頃から麻雀のことばかり考えていたから、麻雀の世界しか知らなかったんですよね。

 プロ雀士としてお仕事をいただけているうちはいいけど、「今後そうでなくなったら?」と考えるようにもなって。私よりも若くて才能のある女流プロが出てきたら、私の需要はどうなっていくんだろう、という不安もありました。

――将来に対する不安が芽生えた。

松岡 あと、人前に出て話したり、大勢の人に注目されながら対局したりするのに、ものすごいプレッシャーを感じていたんですよね。

 写真集を出したり、撮影会を開催したりするタレント活動みたいなことに対して、「私はただ麻雀が好きだから、麻雀プロになったのに……」という思いもあって。

 将来に対する不安や、慣れないことを続ける毎日に、だんだんと心がすり減っていって。そんなときに、新型コロナウイルスが大流行して、心がポッキリ折れてしまったんです。

――当時の様子や心境を教えていただけますか。

松岡 仕事の中止や延期が相次いで、不安がより大きくなって。結果、うつ病のような状態になり、日常生活を送ることすらままならなくなってしまったんです。

 何をするのも辛くて、ただ部屋にいて、天井を見ているだけの日々が続きました。このままじゃいけないのは分かっているけど、麻雀の世界しか知らないから、どうしたらいいかもわからなくて……。

 当時からペットを飼っていたんですけど、「この子たちのためにも、ここでくたばるわけにはいかないな」という思いもあって。それから少しずつ、生活を立て直していきました。

「とりあえず自然が多い島に移住しよう。何をするかは行ってから考えよう」

――どのように生活を立て直していったのでしょうか? 

松岡 当時29歳だったので、「30歳になるか、1000万円貯めたら新しいことを始めよう」と目標を立てて、貯金を始めました。

 お金を貯めながら、麻雀以外にしたいことを考えてみたら、自然が好きなことを思い出したというか、気づいたんです。飽きずに続けてきたことは麻雀だけだと思っていたけど、自然が少ない都会で生まれ育ったのに、釣りや家庭菜園をずっと続けているなって。

 それで、「とりあえず自然が多い島に移住しよう。何をするかは行ってから考えよう」と思って、移住することにしたんです。

――そもそもなぜ「島」に移住したかったのでしょうか。自然豊かな場所なら、島でなくてもありますよね。

松岡 「海に囲まれた場所に住むのって、なんかかっこよくない?」と思ったんです(笑)。あと、仕事中心の生活だった頃は、人付き合いを損得勘定で考えてしまうところがあって。「この人と仲良くしたら、仕事につながるかも」って。

 でも本当は、仕事の付き合いとか、利害関係のない人たちと、親戚みたいに仲良くなれたら……っていう憧れがあったんですよね。だから、海に囲まれた小さな島なら、ゼロから人付き合いを始められそうだな、と思っていました。

――そして実際に、島移住に向けて動き出すわけですね。

松岡 1000万円が貯まったタイミングで、麻雀関連の仕事は一旦区切りをつけて、同時に家の退去届も出しました。

――急展開ですね。

松岡 退去届を出してから、実際に退去しなきゃいけない1ヶ月間のうちに、車の免許を取るための合宿に2週間行って、残りの2週間で移住先を決めるために、いくつかの島に下見に行ったんですよ。

――もともと八丈島のことは知っていたのですか?

松岡 いや、「名前は聞いたことある」くらいでしたね。

――八丈島以外には、どんな島が候補にあがっていたのでしょうか。

松岡 たとえば、長崎の五島列島も候補でした。コロナ禍真っ只中で心が疲れていた時期に、五島列島を舞台にした「ばらかもん」というアニメを見て「すごくいいな、こういう島に移住してみたい」と思ったんですよ。

 実際に行ってみてもすごく素敵な場所だったのですが、私と同年代の人をあまり見かけなかったのが気になりました。移住するなら、年代の近い人がいると嬉しいな、と。

写真提供=松岡千晶さん

20代で月収80万円・都心マンション生活→31歳で八丈島へ移住…「家は70平米で家賃3万円と超破格」女性プロ雀士(35)が語った“リアルな離島暮らし”〉へ続く

(仲 奈々)