流行語から読み解く中国社会(第1回)過酷な労働環境を示す「996」はかつての日本と酷似
表面的に浮かび上がる事実だけを追うと複雑で、一見すると理解が難しい中国社会だが、いくつかのパターンを覚えておけば、読み解くのは実はそんなに難しくはない。
今回のシリーズでは中国社会は「流行語」を見れば大体の方向性が分かる、ということを実例を示しながら中国の現実を伝えていく。
中国の流行語は、大きく二つのカテゴリーに分類できる。
一つは、政府が定義し、プロパガンダ的要素を含んだ「官製流行語」である。もう一つは、民間から自然発生的に流行する、真の意味での「流行語」だ。
官製流行語は日本の「流行語大賞」と同様、毎年発表されるが、世論や社会の空気感を読み取る上ではほとんど役に立たない。しかし、それ自体に別の重要な価値がある。それは、中国政府がどの分野に注力しようとしているのか、すなわち国家の戦略的方向性を把握するための極めて重要なシグナルとなる点だ。
筆者の見解では、中国は国家資本主義社会である。国家主導で戦略的目標を定め、その目標に対して巨額の投資を行うことで、特定の産業を急速に成長させる構造を持っている。
2025年の官製流行語に登場した単語は中国製AIである「DeepSeek」や国産3Dアニメ「哪吒」の関連用語だった。
このように、デジタル社会、ビッグデータ、AI、ロボットといった現在の中国におけるキーテクノロジーには、必ず関連する官製流行語が登場する。こうした中国の戦略的目標を正しく把握し、それに沿った対抗策や協力体制を構築することは、日本にとっても極めて重要である。
一方で、民間から生まれる「流行語」は、中国社会の生々しい実態を理解する上で不可欠な要素となる。これらは人々の本音や不満、あるいは生活スタイルの変化を鋭く反映しており、官製の流行語では見えてこない中国の今を映し出す鏡といえる。
ここからは2019年ごろから始まった中国の長期不況と当時の民間の流行語を見ながら、中国社会の変容を追っていく。
996:朝9時から夜9時まで週6日間労働
2019年から流行りだした「996」とは、朝9時から夜9時まで、週6日間(月~土)働く労働体系を指す言葉である。もともとは、あるIT企業の社員が過酷な労働環境を自嘲し、告発する意図で使い始めたのが発端とされる。
この時期、中国を代表する経営者の多くは60后(1960年代生まれ)や70后(1970年代生まれ)であった。中国版「団塊の世代」ともいえる彼らは急速な経済発展の波に乗り、起業家精神をもってビジネスを成功させてきた世代である。
対照的に、その部下にあたる90后(1990年代生まれ)は、生活環境こそ改善されていたものの、深刻な社会問題に直面していた。特に住宅価格の異常な高騰は、彼らの世代にとって大きな重荷となった。住宅購入資金を得るための出世競争は激化し、「努力すれば必ず報われる」という神話が崩壊し始めたのである。
「996」が流行した背景には、親世代である60后・70后の「勤勉こそが成功の鍵である」という思想と、子世代である90后の「働いても報われない」という冷めた価値観の衝突がある。
この構造は、日本の団塊の世代と団塊ジュニア世代(あるいはそれ以降の世代)の関係性に極めて類似している。
親世代:貧しい時代を経験したが、努力が右肩上がりの成長に直結した。
子世代:物資には恵まれているが、努力と報酬のバランスに不公平感を抱いている。
2025年1月、中国で大きな波紋を呼んだ32歳のプログラマーによる過労死事件は、現代中国の労働環境の過酷さと「996」の帰結を象徴している。
亡くなった男性は、事件直前の1週間、連日深夜23時前後まで勤務を続けていた。亡くなった当日の朝、彼は明らかな体調不良を感じ、病院に搬送されながらも、妻に対して「病院にパソコンを持っていく」と告げたという。搬送中の救急車内においてさえ、彼は会社のシステムにアクセスし続けていた。
さらに心肺停止状態で処置が行われている間、彼は新たな業務チャットグループに追加された。グループ内では「仕事を手伝ってほしい」というメンションが飛び交い、彼が息を引き取ってから8時間が経過した後も、仕事を促すメッセージが届き続けていた。
中国の不動産バブル崩壊は、かつて日本で「24時間戦えますか」というキャッチフレーズが躍った高度経済成長期の熱狂と酷似している。そして、その帰結もまた、日本が過去に経験した過労死問題と同じ轍(てつ)を踏んでいる。
高度成長期、がむしゃらに働くことが美徳とされた時代の終えんは、過労死という形で中国社会に突きつけられている。
文/下川英馬 内外タイムス
