夜中まで働き、ネタを作り、机の上で1〜2時間寝て仕事へ…激務の日々は「2005年になったらがらっと変わりました」(撮影・徳重龍徳)

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波田陽区インタビュー前編

 ギター侍として一世を風靡した芸人の波田陽区さんは10年前、東京での仕事が激減したことをきっかけに、再スタートを切るべく福岡県へと移住した。まず前編ではギター侍としてのブレイクから、最高月収、スポンサー降板事件。そして、自分の人気が落ちたと感じた出来事まで聞いた。

【画像】出身は山口県下関市出身。福岡に来て「今年の4月で11年目に入ります」。活き活きとした表情でインタビューに応じてくれた

――波田さんは現在、福岡に移住されています。まず改めてキャリアについてお聞きしたいんですが、ブレイクのきっかけとなった「エンタの神様」(日本テレビ系)で初めてテレビに出たそうですね。どういった経緯だったんでしょうか。

夜中まで働き、ネタを作り、机の上で1〜2時間寝て仕事へ…激務の日々は「2005年になったらがらっと変わりました」(撮影・徳重龍徳)

波田:それまで「エンタの神様」はマジックショーあり、歌あり、お笑いありという番組だったんですが、2004年にお笑いだけに一本化しようとなったんです。その中で、テレビにまだ出たことのない芸人を探すとなって、たまたま、その頃に「ギター侍」のネタをやっていた僕も呼んでもらえたんです。

「エンタの神様」ってお客さんが200人くらい入っているんですけど、その場で受けないとオンエアされないんですよ。だからネタをやったけど、お蔵入りになっている芸人もいっぱいいました。

――厳しい番組だったんですね。

波田:僕はテレビに出たことなかったので、カメラが20台くらいあって、お客さんが200人いるという状況に緊張しまくっていて。逆にそれでゾーンに入ったんです。いつもなら普通のトーンで「残念」というところ、あの時だけはびびった自分に負けないように「残念!」と大きな声になっていて。あと「言うじゃない」の部分も、今考えてもわからないんですが、なぜか「言うじゃなーい」と普段と違って伸ばしたんです。そうしたらビックリするぐらいお客さんにウケたんですよ。

――いつも以上の力が発揮されたんですね。

波田:それで番組の演出家の方から「これから毎週番組に出よう。半年間はエンタ芸人として頑張ろう」と言われたんです。番組としても、僕に賭けてくれた。だから超ラッキーですよね。そうやって毎週エンタに出させてもらうようになったんですが、最初はエンタにしか出ていないから、ギター侍が人気になっている実感は全くなかったです。

 ただ電車に乗っていたら、ちっちゃい子が「残念!」と僕のネタをやっているのを見たり、あとエンタが終わると明石家さんまさんの「恋のから騒ぎ」が放送されていて、さんまさんが若い女性とトークで「言うじゃな〜い」と言ってるんですよ。さんまさんは僕からしたら雲の上の人なので。「さんまさんが僕のこと知ってくれている」って、嬉しかったですね。あの時が一番幸せでした。

最高月収は…

――売れると周りの環境もどんどん変わっていく。

波田:変わったのは営業ですね。テレビには週1回のエンタしか出ていないので、忙しくはなかったんですよ。でも、人気が上がっていくのと比例して、土日の営業がすごい増えていって。営業先に行ったら「波田陽区ー!」「ギター侍ー!」って歓声が上がっていました。給料も最初にテレビ出た時は6万円。翌月は12万円、その次の月は24万円と毎月倍々になるんですよ。それが本当に幸せでした。

――最高月収っていくらぐらいだったんですか。

波田:月収は最高で2800万円でした。CMや本、CDとか、あと着ボイスのお金がまとまって入った月です。

机の上で寝て、仕事へ…売れっ子ゆえの激務

――波田さんは徐々に「エンタの神様」以外の番組にも出るようになりますが、当時はそれぞれの番組ごとのネタを作るために、ホテルに缶詰めになって作業していたそうですね。

波田:当時はずっと、麹町の日本テレビの横にあったホテルに缶詰めになってネタを考えてました。朝から夜中まで働いて、それで日テレの横のホテルに自腹で泊まって、次の日に4番組、5番組くらいの出演があって、番組ごとに4、5人を斬らなきゃいけないので、20個から25個のネタを用意する。そのまま机の上で1時間か2時間寝て、また朝から仕事に行く。それを2、3か月やってました。

 今だったらそんな生活はもうできないですね。そもそもなんでホテル代、自腹だったんだろう(笑)。働きすぎて、もう訳が分かんなくなってました。取材の時に「当時、印象に残っている番組はありますか」と聞かれるんですが、当時、自分が何の番組に出ていたか、忙しすぎてほとんど覚えてないんですよ(苦笑)。

今だったらSNSが炎上していたかも?

――波田さんは人を斬るネタでしたが、令和の今だと炎上していたかもしれないですね。

波田:今だと悪口とかがSNSでたくさん来ていたでしょうね。当時も、モーニング娘。や現「STARTO ENTERTAINMENT」の皆さんを斬ると、事務所に苦情のお手紙が来てました。あまりにくるので、事務所に波田陽区専用の苦情ボックスがありましたね(笑)。エンタが始まってからは手紙の9割9分は苦情でした。中には殺すというようなことも書かれていて。

 街を歩くのも怖くて、もしなにかあったらギターのハードケースで自分の身を守ろうと常に考えていたり。当時はそれぐらい怯えて生きてました。テレビ局や事務所に出待ちの方がいて「波田さーん!」と声をかけてくれるんですが、それが本当に出待ちの人か分からない。事務所の前に警備員さんが何人かついていました。

スポンサーを降板させたネタ

――斬られた芸能人で怒った方とかいらっしゃいましたか。

波田:実際に怒ったタレントさんは一人もいないです。芸能界の方はみなさんシャレだって分かっていますし、一応ネタ前には番組のスタッフさんが向こうのマネージャーさんに確認はしてます。伊東四朗さんだけは「もう確認するな」「俺だって芸人なんだ。そんな確認はいちいちするな」とおっしゃってました。

――さすがですね。ただエンタで披露したネタで「おしゃれカンケイ」を「汚れカンケイ」と言って、資生堂が「エンタの神様」のスポンサーから降りたそうですね。

波田:ありました。それでも別にエンタのスタッフは全然怒らなかったです。僕はテレビに出たてだったので、スポンサーが降りることの重要性がわからないわけですよ。今考えたら大変ですよね。

――でも波田さん悪くないですよ。エンタは録画でしたし、そのまま流す日テレ側が悪い(笑)。

波田:そうやっておっしゃってくれるとありがたいですけど(笑)。もう資生堂さんとは仕事できないんだと考えていたんですけど、2019年に資生堂さんの「uno」のウェブCMに呼んでもらったんです。「ああ、怒ってなかったんだ」って、その時はめちゃくちゃ嬉しかったです。

――ギター侍で大ブレイクしましたが、その人気はどこで潮目を迎えるんですか。

波田:2004年にブレイクして、年をまたいで2005年になったら、がらっと変わりました。急に「去年の人」「過去の人」扱いが始まったんです。今まで1日4、5個だった営業が徐々に減って、週の休みが1日、2日と増えていって。あの時は怖かったですね、「俺はもう必要とされてないんだ」っていう。

要は誰でもよかった…「腐っていった」ブーム終了後

――エンタでも、波田陽区さんのような人を斬るネタの芸人が量産されていきました。

波田:要は誰でもよかったわけですよね、キャラクターが違ったら。僕のエンタの出演回数も、毎週だったものが、月に1回になったりどんどん減っていって。自分でも分かりました。だって番組に出て、2004年は「残念!」と言ったらお客さんも演者の皆さんも盛り上がってたのに、2005年にやると、お客さんはただ拍手をするだけなんです。もう露骨でしたね。

 そこから僕は腐っていきました。事務所のおかげでバイトはせずにすみましたけど、だんだんと一発屋芸人としての仕事が増えていって。でも、一発屋の仕事って「最高月収は?」「最低月収は?」「今の悲しい話をお願いします」という、この3つの質問しかないんですよ。それを時々テレビに出てやって、あとは営業に行ってという暮らしが10年続きましたね。

 そうなると、街ゆく人全員に笑われている、馬鹿にされているという感じになってくるんですよ。居酒屋に行っても、隣の席のお客さんに指をさされて「波田陽区じゃん。最近見ないけど、お前芸人やってんの?」「お前が残念!」とか言われて。だんだん外に行くのも怖くなって、余計に腐っていきました。

 例えばヒロシさんはキャンプでもう一回ブレイクしましたが、僕は自分の人生をひっくり返せるパワーも実力もなかったんですよね。ただ、当時は「会社が何とかしてくれない」「周りの奴がちゃんとしてくれない」とか言っていて、本当に嫌な人間になっていました。

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 後編記事【福岡移住10年で「10倍幸せ」波田陽区の現在 「今も営業できている」仕事ゼロの再出発を支えた恩人たち】では、現在の暮らしぶりについて語ってくれた。

徳重龍徳(とくしげ・たつのり)
ライター。グラビア評論家。ウェブメディアウォッチャー。大学卒業後、東京スポーツ新聞社に入社。記者として年間100日以上グラビアアイドルを取材。2016年にウェブメディアに移籍し、著名人のインタビューを担当した。その後、テレビ局のオウンドメディア編集長を経て、現在はフリーライターとして雑誌、ウェブで記事を執筆している。著書に日本初のグラビアガイドブック「一度は見たい! アイドル&グラビア名作写真集ガイド」(玄光社)。noteでマガジンを連載中 X:@tatsunoritoku

デイリー新潮編集部